平行世界のOntologia

著 : 柊 純

act30:魔王


 踏み込んだケインの足が床を鳴らす。一歩ずつ歩み寄る男の表情は、微妙な変化を繰り返しながら別人へと変わっていった。

「この戦いの首謀者は戦場にはいないんだよ。"ここ"にいるんだ。見覚えはあるかな?高校時代じゃ、もう分からないよね。当時の自分になってみようか」

 指をパチンとならし、学生服姿の若い男になった。

 タクヤと仲の良かった同級生の姿である。薄らとした記憶の底の方に、当時の情景が残っている。何度か言い寄られたのを思い出したが、名前が思い出せない。

 首謀者と言ったケインは、目の前で、それを理解させる程の不可思議なモノを見せた。だから、それ自体は納得してしまった。

 となると、そこから発生するものは不気味さと、今までこんな男が近くにいたと言う恐怖感だ。

「何度か告りに行ったろ?君、モテたから覚えてないだろうなー」

「タクヤの友達でしょ?名前は忘れたけど」

「十分だ。嬉しいよ。あれからね、つい最近まで君のことを想い続けていたんだ。何とかしてモノにしたい。自分で言うのもあれだけど、歪んでいたもんさ。仮想的な世界の中で、君を作ろうとしたんだ」

 表情がないまま、どこを見てるかも分からない。

 金縛りにでもあったように体が動かなくなっていた。

「何度も挑戦したよ。だけど、何かが違った。普通の人工知能には魂がないんだ。大事なのは、脳内のユニークなシナプスが作り出す、個々の感情なんだと思う。それを人工的に作ろうとした。が、至らなかった。で、どうしたら良いと思う?いくつか考えたよ。本人をちゃんと獲得するか、本人の脳のコピーを取るか。まずは後者だ。だが、脳のコピーなんて、余程の設備がなければ実行できない。で、実験的に君の、いや、他にも複数から、感情の流れを採取したんだ。さぁ、どんなものが出来たと思う?」

「何言ってんのか分かんない。何なの?」

「鈴鳴と一緒にいた女は分かるよな?あれが出来上がった」

「アシュリー?あの、私を黒髪にしたような女のこと?」

「色々試したんだよ。抱いたり傷をつけてみたりしたんだけど、生々しい感情が足りない気がするのさ。リアリティーがないと言うか。いや、リアリティーはあった。だけど、模倣なんだ。満足するには至らなかった。で、人工的なものには存在価値がない。そう結論付いたんだよ」

 セシリーは、吐き気に似た感覚を覚えて、口元を押さえた。勿論出るものなどないが、出してしまいたい気分になる。

 自分のクローンのような存在が、好きなように遊ばれていたのだ。

「その後は前者さ。君のことが好きになりすぎていたから、遠回しに近寄ることにした。そこで作られたのが、このケインだ」

 一度ケインの姿に戻り、また若い姿に変化した。

「だけど、近くにいるうちに、どうにも憎たらしくなってね。壊してしまおうと考えた。どうやるか悩んだが、この世界内で行うのには変わりない。で、思い付いた。ある機能のテストに併せて、いたずらをしてみようと考えたのさ。何をしたかと言うと、特殊な信号を、特定の誰かから発信しているように見せ掛けたんだ。その上で、運営に連絡を入れた。実装されていないはずの機能が、一般のプレイヤーに備わってしまったように見えたはずだ。慌てたはずだよ。けど、切り替えが早かった。運営は、独自に抱えているギルド、青竜を派遣したんだ。真相を探るついでに、実装された力を試すことにしたんだろうね。これは面白い。そう思ってユダになった。そこからは分かるね」

 全ては理解できない。ただ、全ての元凶がここにいる。それだけはわかった。

「さて、今話していたように君のことが憎らしいわけだが」

 危険を察知したからか、体が動く。

 鞘から、銀の刃が撃ち出されるように飛び出し、切っ先がケインの首を狙う。

 それは、当たりはするものの、硬い岩にでも叩きつけたような手応えとなってセシリーに返った。

「無駄だよ。配られた軍服は間違いなく本物のチート装備だ。君の力じゃ、千回斬ってようやく、だろうね」

「どうするつもり?」

 恐怖からくる震えで、手から小烏丸が抜け落ちる。

「弄ぶさ。ただ、その前に」

 ケインは、寝転がるシビラの方に顔を向けた。

 寝息は相変わらずだ。

「GMのチームはどこまで嗅ぎ付けた?」

 少しの間沈黙していたが、我慢仕切れなかったのか、シビラが笑い出す。

「貴方が今喋ったところまでだよ。確かに、このチームの近くにおかしな存在が居るのは知ってたけど、誰かすら分からなかった」

 目を開き、談笑するように話した。

 しかし、今まで見たこともない冷徹な目をしている。

「そうか、それじゃぁ、もう少し捻るべきだった。にしても、困るんだよね。同じ世界にいるのに、プログラムが別だから壊せないんだ。プログラムのチームが監視してるからハッキングも手が掛かるし。まったく、困ったものを作ったもんだ」

「ハッキングなんて出来ないんじゃないの?メインプログラマは本物の天才だよ?」

「ふん、そのプログラムは誰が組んだシステムの上で走ってると思ってる?」

「パーツ組み合わせただけでしょ?ハードなんて。ソフトがなければ動きやしない」

「それを言ってしまえば、プログラムだって同じだよ。誰かが作った言語で構成されている。世にもてはやされるのはプログラマだが、彼等が動くプログラムはハードの上だ。まぁ、この世界を動かしているソフトウェアは、俺が考えうるギリギリまで性能を引き出している。確かに奴は優秀だよ」

 ケインの姿が、髭をはやした武将風に変わっていく。

「まずは、邪魔なGMを消すとしよう」

「あら、プログラム的に無理があるんじゃないの?それに、もしゲームのシステム的に私を倒そうって言うなら、貴方、私の実力ナメてるでしょ。その姿、もしかして本物のキヨマサ?だとしても技術面で私が上だから」

 自信に裏付けがある。

 現実世界の実力に、この世界を自由に動ける設計。余程の事がなければ負けないと判断しているのだろう。

「試してみたまえ。白虎のマスターの名は伊達じゃないぞ」

 この世界中に名を轟かせる剣豪は何人かいるが、青竜のヨシツネ、白虎のキヨマサ、この二名は突出している。

 単純に頭の回転が早いのも理由だが、このシステムを知り尽くしているが故の強さだろう。

 その上、キャラクターのステータスが高い。数値だけで言えば、この世界内では五本指に入る。

 シビラは、どこからともなく一振りの刀を取り出した。

 銘はなさそうだが、突き刺さるような覇気に包まれている。覇気とは表現したが、それは実態の分からない棘のような圧力である。近寄りがたい畏れ多き存在。それが似合う。

 怯むようにして後ろに下がったセシリーに、シビラは優しく言葉をかけた。

「希ちゃん、下がって観ててね」

 そう言うと、キヨマサを促して甲板に出た。

 セシリーは、理解が追い付いていない。

 シビラとは偶然の出逢いだったのか、それとも計算されたものだったのか。

 そして、有名な白虎のマスターが立ちはだかり、中はケインを演じていた高校時代の同級生。

 自分が中心になって動いていたのだろうと感じたこと、多くの人間を巻き込んだ大事件に発展してしまったこと。

 甲板に出た二人を追い、フラフラと移動した。

 甲板上はどよめきで溢れている。

 急に現れた、剣士からすれば英雄のような存在、キヨマサ。それに対する、青竜内でも有名な凄腕女剣士が、異様な武器を手に対峙している。

「みんな、下がって。巻き添え食らうよ」

 波が引くように人が下がり、遠巻きに、楕円形に距離を置いた。

「もっと広がって!」

 ザワリと鳴って、甲板の端ギリギリまで、まるで表面張力の働いた水のように人が避けた。

 船が、誰の操作もなしに降下し始める。

 シビラが上段に構える。

 大会で見たことのあった力強く気迫に満ちた構えに、ふと体育館の天井を思い出す。

 対するキヨマサは、刃を上にして右斜め上に高く、足を開いて腰を落とし、一見格好よく見えるような構えを取った。

 セシリーの目からすると、近所の子供がチャンバラするのと変わらなく見える。

 仕掛けたのはキヨマサだった。

 動きは早い。

 物理的な法則を無視したような動きで距離を縮めるが、斬りつけるタイミングで軽く横に体を傾けたシビラには当たらない。

 続けざまに刀を振り回す武将姿、それを冷静に、簡単に避けるシビラ。

 途中まで実力の差はあからさまだった。

 だが、少しずつシビラの動きに揺らぎを感じるようになってきた。

 避けていただけの状態から、少しずつ攻撃に転じるようになる。それは、先程とは全く逆であった。

 どんなに速い攻撃も、相手にかすりすらしない。

 冷静には見えたが、セシリーは、その動きに隠れた焦りをしっかりと捉えていた。

「当たりませんね」

「貴方のも当たってなかったよ」

 キヨマサが、シビラと全く同じ構えを取った。

「君の動きは全部貰った。さぁ、今度は自分自身と戦ってもらおうか」

 キヨマサの姿が歪む。

 数秒で、その姿はシビラと同じになった。

 武器以外に見分ける術がなくなる。

 ギャラリーがざわめく。

「良い趣味してるじゃない?凄い美人だわ」

 上段に構えた二人のシビラは、全く身動きせずに隙を探っている。

 セシリーであれば、開始早々に大きく踏み込んでいるだろう。

「君のコピーした能力、それと俺の頭。反応速度は確実にこちらだ。どうする?」

「私が自分の技に負けるとでも?」

「自分だけ、ならな」

 仕掛けたのは偽物側だった。

 呼応するように、本物も動く。

 どちらも、ほぼ同時に刀を振り下ろす。が、相手を割いたのは本物側である。

 あまりにも速く、その場の殆どの人に、その場で何が起きたかが分からなかった。

 単純に振り下ろされる刀を弾き、大袈裟に言えば"く"の字に見える軌跡を描いた強刃は、振り下ろした後、上に向けて折り返しに斬ったのだ。

 傷は浅くないだろう。

 現実世界であれば完全な致命傷になる深傷だが、偽物の動きは止まらない。

 相手の痛覚はフィルターされたままであることを、斬りつけた直後の反撃を受けて理解した。

 シビラ自身、今の肉体は別のプログラムで構成されている。そのため、同じく痛覚のフィルターは掛かったままであった。

 この戦いは、心が最初に折れた方が敗けである。その事に気付いた瞬間、自分の不利を感じた。

 恐らく、相手の動きはコンピューターを使った模倣。要所要所にプレイヤーの介入はあるだろうが、見物しているのとあまり変わらないだろう。 倒す方法は、首を切り離すか、四肢を切り離すか。戦闘にならない程に痛め付ければ勝てる。が、模倣とは言え技量は高い。オリジナリティのある動きも混ぜてくる。

 難易度は、過去のどのバトルよりも高い。

 だが…

(模倣は模倣。精度が低い。所詮は劣化コピーでしかない!猿真似にやられてたまるかっ!)

 四神ギルド率いるイザヴェル連合軍は、巨大な浮遊大陸に辿り着いていた。

 ここまでの被害は皆無。士気はこの戦いが始まって以来最も高い。

 ほぼ全ての兵が浮遊大陸上の迷宮に駆り出されていて、残るのは船を護衛する僅かな、だが、かなりの精鋭たちである。

 その全てが、レイラ率いる銃士隊である。理由は単純で、ロングレンジを迷宮に放り込むより、視界の開けた船の護衛にする方が良い。と言う意見からであった。

 残されたレイラの膨れ面が、この決定に対する不服を表している。

 全てヨシツネに持っていかれる腹立たしさと、存分に暴れられないという消化不良で、まるで爆発物のようになっていた。

 忘れたような頃にやってくる少数の敵は秒殺されてしまうので、

「接岸してよ!」

 と言って陸上の敵を甲板に誘い込むように指示を出したが、取り巻き全員に封じ込められた。

 強い風が吹き荒れている。

 風の音に混じり、歌姫の美声が聴こえていた。

 レイラの憤怒を消し去ることは出来なかったが、いくらか和らぐ効果は与えたようだった。

 歌い手のミシェルは、結果的に活躍出来ずに立っているだけの自分を、現実世界の自分に重ねていた。

 自身のキャラクターにも片足が無いように感じる。

 自由に動けるはずの仮想的な肉体に、あるはずのない不便すら感じていた。

 剣を抜いてヒラヒラと舞うが、実感がない。

 剣の先は緩やかに動き、交響曲を先導する指揮者のようにも見える。

 気が付くと、暇をもて余した連中がミシェルを丸く囲んでいた。

 1曲終えた時には、拍手が鳴り響いて、歓声に包まれる。

 物足りなさが燻った。

 動きは激しくなり、奏でる交響曲の雰囲気はダンスミュージックに変貌を遂げたようだ。

 何となく歌い、踊り、これではないという感覚に取り憑かれていた。緩和はしたようだが、まだまだ足りない。

 多くの待機者が、似たような感情で苛立ちを感じていただろう。

 今にも土砂降りになりそうな雨雲を蓄えたようなもので、切っ掛けさえあれば降りだすだろう。

 いつくるか分からない、そう思えた切っ掛けは、誰も予期しない形で現れた。

 ミシェルが何曲か歌い終えた後、一番端の小さな船に火の手が上がった。

 轟音と木材がへし折れる音に、半数が銃を構える。不思議と、嬉しそうな顔がチラホラ見える。

「レイラさん、あの船に乗ってた人達からの反応がない!」

 エリカの叫びに立ち上がったレイラは、目を見開いて剣を抜いた。

「船長、地上に降りて!全艦着陸!スナイパーは索敵!」

 誰の目にも、一撃で船が沈んだように見えていた。

 隣接していた船がまた、火の手を上げる。

 システム上、早々壊れるものではない。耐久値はあるものの、全プレイヤーが一斉攻撃しても破壊は難しいだろう。その事実に気付いた者は、開発や企画に携わったごく一部のメンバーだけである。

「レイラ、避難した方が良い。あの威力、アンタ以外に耐えられる者は居ない、全滅するぞ」

 取り巻きが数人、既に各方面に向けて走っていた。

「敵が何だか分からないから仕方ないね。規格外みたいだし、待避して良いよ」

 レイラはそう残すと、隣の船に向けて助走をつけて跳び移る。誰一人、その後を追おうとする者は居なかった。

 敵は、レイラを認識したようだった。沈む船の甲板の上、煙の中に立ち、黒い翼を広げ、小さな体をゆっくりとレイラに向けた。あまりにも華奢で、見掛けで言えば、同じく華奢なレイラよりも更に小柄である。少女のような姿をしたソレは、黒髪のショートヘアをかき上げると、目を細めて薄っすらと微笑んだ。角が生えている。後方へ向けて捻れながら伸びる二本の長く鋭利なもので、高熱を持った金属のようだ。特徴が、記憶の底に眠っている。

 レイラには、ソレが何だか分かっていた。

 将来的に実装される予定がある"魔王"である。その案として出ていた複数のデザインの中で、一番小型のタイプだ。

 ステータスは企画段階のため、ソレは、入谷が最大値を投入したものになっただろう。となれば、全力で攻撃すれば町一つが更地になる。

 魔王が大きく跳んだ。

 どす黒い泡が、空に向けられた掌から天を貫くように伸び、長い片刃の剣となる。

 それは縦に真っ直ぐ、レイラに向けて振られた。



top