平行世界のOntologia

著 : 柊 純

act31:本物に足り得るか


 色々な感情が蔓延していた。

 それは所々で採取され、蓄積され、解析されて、成形され、足りなかったパズルのピースが埋まるように、一つの完成形へと変貌を遂げつつある。

 中枢に仕掛けられたプログラムは、足りないものを採取するために、奔走した。今やイザヴェルは、そのプログラムにとっては宝の山になっている。もしくは、絶好の狩場だろうか。

 もっと極度なものが欲しい。

激しい哀しみ、苦しみ、感動、悦び。全てを欲した。

創造神となり、世界を完成させたい。

これが、プログラムが最初に持った、いや、"持たされた"欲求だった。

 乾いたスポンジのように、ありとあらゆるものを吸収して、膨らんだ。

 新たに追加された感情の波は、既に世界に撒かれた幾つかのオブジェクトにランダムに投入されていく。そして、早いものは覚醒した。

 急に身体を起こした和装姿の女の乱れた呼吸は、今その場に生まれた事を意味していた。

 アイテムボックスから刀を取り出して、慌てるようにして甲板に向かう。艶のある髪は無秩序に舞った。

 セシリーの足元に、シビラの腕が飛んできた。握られた刀が、今の状況を物語っている。

 つい数分前まで、どちらかと言えば優勢だったはずだった。が、現在立っているのは、無防備にしゃがんだ弱々しい姿だけだ。

 いつの間にかギャラリーは姿を消している。消されたと言う方が正しいのか、移動されただけなのか。自然の鳴らす環境音のみが聴こえる。

 静かになった甲板上は、強い恐怖の念と、優越感に悦ぶ無邪気さで支配されていた。

「やってみたら意外に簡単だった。もう、データは書き換えられたよ。実態は、別のサーバ上で稼働していたカスタムプロセスだけで、入り込んだら普通の人達と同じものをベースにした派生品だった」

 いつの間にかケインの姿に戻っている。

 その手に握られた剣はシビラの頬に当てられ、そこからは一筋の赤い線が、重力に任せて下に流れていた。

「戦場でメインディッシュが現れたから、監視の手が緩んだんだ。内部からの攻撃力には隙があって、そこは人の手でやってたからね。数秒の隙を突いてセッションを確立、後はデータの書き換えだけだ」

 口元は笑っているが、目が笑っていない。

 いかにも生真面目である目元は、辺りを吸い込むような暗い色をしている。

「痛いか?」

 シビラは返事をせず、無くなった腕を探して肘の辺りを探っていた。

 後ろから見るセシリーには、顔が見えない。痛みに顔を歪めているのか、悔しさに耐えているのか、分かるのは戦意喪失した小さな背中が震えていることだけだ。

 風が止んでいる。

 勝手に降下を続けていた船は、気が付けば地上に到達していた。それに気付かなかったのか、ケインは一瞬ハッとした顔をして周りを見渡す。

 それをトリガーにして、鈴の鳴り響くシャンシャンという音が聴こえてきた。

「鈴の音?」

 まるで吐息のように言葉を漏らす。サッと船の一番後ろに目を向けると、日の光を背にしたバサラが立っていた。

 やや時間を開けてから移動し始めたバサラは、逆光でどんな顔をしているか分からない。

 動きからは落ち着きが見えているが、歩みにはどこか重みを感じさせた。

 鯉口からの鈴が鳴る音に混じり、鼓動に似た音が混じっているように聴こえる。

「お前の弟ってのから、直接連絡があったんだわ。ソイツが言うには、今お前は罠の中にいるらしい。で、気付いていないんだとよ。ソイツの腕が飛んだのは、完全にハメるために必要だったらしいが、お前はどう捉える?」

 バサラの表情が見え始める。何度も見た、人をバカにするような表情ではない。

 バサラはセシリーを一瞥して、まばたきをするほどの一瞬、温かな表情を向ける。昔どこかで見た優しげな瞳に、その中に居る人物を予測することができたような気がした。

 どういう事か、今この場に居て感じていた不安がぬぐい去られる。

「俺のツレをいじめんなよ。弱いんだから」

 ケインの笑みが消えている。

 激しく鳴る鈴の音が、甲板を埋め尽くしていた。まるで音の波に飲み込まれ、溺れてしまいそうなほどだ。

 バサラは冷たく、まるでナイフのような目をした。

 歩みを続けながら、バサラはテレポートの転送用マーキングを設置し、大きな声で

「ヨハン!」

 と、自分の部下の名を呼んだ。

 テレポイントが光り出し、数人の姿が浮かび上がる。ヨハン以外は袴に陣羽織で帯刀していた。背格好はバラバラだが、立ち居で姿は同じである。ステータスがオープンになっており、全てにGMのマークが入っているのが見えた。

「お前らは、奴が何か出したら動け。無いと思うがな」

 全員小さく頷き、ゆっくりと甲板の上に散らばる。

 ケインは警戒しながら姿を変えて、エモノを構えると、キヨマサへと姿を変えていく。

 相変わらず格好ばかりの構えだ。

「何だよ。その隙だらけの構えは。奈緒、お前こんなんにやられたのか?」

「痛いの。勘弁してよ」

 青ざめた顔が振り向いた。

 バサラの舌打ちが聴こえる。

 弱い人間に対する苛立ちではない。その状態にした相手への怒りである。セシリーにはそれが分かった。何度も見た行動である。

「先輩?」

 振り向きもせず、腕を組んだバサラの背中が大きく見える。

 姿勢だろうか。

 別人の姿であっても、それでも本人だろうとしか思えない。

「セシリー、シビラの刀を使え。お前がやってみろ。この一週間くらいで感覚は戻ってるだろ?現実世界と同じように闘ってみろ」

 武将風の顔が怒りに崩れていく。

 エラーのポップアップが幾重にも重なって表示され、順番に消えていく。それが止めどなく溢れるようにして出力され続けた。

「残ってるのは姿変える能力くらいか?痛覚はないままだよな?」

 セシリーは、震える手でシビラの刀を手に取った。

 刀身が青くムラのある色に変わっていく。冷たい氷のような光を携えていた。

 振れるが、非常に重たく感じる。

 これは、力業では扱えない。それを確信して構えた。

 上段に、左手は力強く、右手は添えるようにして軽く。姿勢は真っ直ぐと、背筋を伸ばして針葉樹のように。呼吸を整えて精神を統一させる。

 目の前に居る男、キヨマサは、低く構えてジリジリと近付いてきていた。

 少し焦りが見えている。ステータスに頼っていたので、間合いが分からないのだろう。セシリーからすれば、既に斬りかかれる位置に入っている。が、ブーストされた状態では避けられてしまう可能性は高い。

「急に大人しくなったな。考えられるものは全部封じられたか?」

 バサラも刀を抜いている。

 だが、加勢する気があるのかないのか。構えていないので、ただの警戒かもしれない。

「確かにログに残っている。弟のIDだ。この船は石棺だったわけだな。そして、蓋は閉じられている。拘束して接続して、AIの処理に味付けしてあったんだが、自由を奪ってなお、ここまで仕掛けてくるとはな」

「最小限の栄養補給だけして放置、ちょっと可哀想だと思うよ。それも、実の弟だろ?本人は肉体の心配をしてる。ロックしたものを全て解除しろと言ってるぞ」

「あぁ、大分前からしつこく言ってたな。フィルターしてたからスッカリ忘れていたよ」

「まぁ良い。どちらにしても時間の問題だ。もう捜査が開始されている。お前の弟は見付かるだろう。お前の肉体も、強制的にこの世界から引き戻される。後は」

 セシリーを見た。

「このままじゃシコリが残るだろ。決着は付けておけ。ソイツの機能に痛覚はないはずだ。好きにして良いぞ」

 数歩下がって少し首を傾けた。

 例え無敵であったとしても、やはり巨大な物が自分目掛けて降り下ろされるのには恐怖を覚える。

 レイラが両手をクロスさせて攻撃を防いだのには、そんな理由があった。外野で見物するプレイヤーに、それを理解した者は居ない。

 当てられた感じがしなかった。

 全てが終わった後、少し注文をつけよう。頭の中で今後の企画について考えを巡らす。

 ゲームは終わらせない。

 どんな手段を使っても。

 ダメであっても、身売りして続けてやる。

 ある種の怨念めいた心の奥底には、過去の無念がとぐろを巻いて居座っていた。

 レイラの周囲は陥没している。

 謎の素材ではあるが非常に硬い物で出来ていて、通常、プレイヤーレベルでは傷すら付けられないようなものがダメージを受けていた。

 間にレイラが挟まって直接触れていないのにも関わらず、衝撃だけで周りが破壊されたのだ。

 それでも使い切っていない。余力がある。一撃の後の硬直なしの動きが物語る。

『レイラさん、援護します。距離を取りつつ射撃しますので、出来るだけ相手の動きを抑えてください』

「分かった。それと、誰かヨシツネ呼んで。彼が居れば長期戦は回避出来るはず」

『分かりました。ダンジョン内は通信が抑えられてるようなので、誰か走らせます』

 魔王はレイラの前に降りた。

 まるでダメージを受けていないレイラを見て、顔を紅潮させている。感情を持っていることが感じられた。

 手刀がレイラの頚を狙う。が、何かに阻まれて触れられない。

 目が紅く輝き始めた。

 触れられずにいた手が、熱を発し始める。

「無駄だよ。システム的に、私は無敵なの。固定値で変更が効かないから、ハッキングして何かしようって言うなら、この世界の根本的なところから作り替えないといけない。それは、どんな天才でも、数年かけて出来るかどうかってレベルの話なんだよ」

 魔王の手を掴んだ。腕力は同じくらいだろうか、小刻みに震える。

 そこに、数発の弾丸が飛んできた。炸裂して、レイラの視界は白く染まる。視界が戻ると、魔王の目が蒼くなっていた。表情が消えている。

 小さなかすり傷に、ダメージは殆どないことを確信した。

『レイラさん。ヨシツネは閉じ込められてる。バトルフィールドから出るには今の敵を倒さないといけないらしいんですが、姿がないそうで』

 長期戦の覚悟をして、掴んだ手を全力で握り締めた。ステータスを限界までブーストさせる。メキメキと軋む音に魔王の感情が戻ってきた。と、少女姿の怪物は悲鳴を発する。

 正に、耳を割くような叫び声だった。魔王の口から発せられたのは、痛みに対する反応そのものである。

 表情がある。

 泣き出しそうな、恐怖を感じているような、対する相手への負の感情。

 レイラは唖然とした。

 人工知能で動いているただのオブジェクトのはずである。それが、このレベルで感情を見せた。

 ふと、一つの答えを見たような気がした。

 人工知能、いや、完全な仮想人格の完成が近付いている。

 人権を主張するレベルの意思を持った仮想霊魂。今まで存在した、人の手で作られた膨大なパターンの集合体とは違う、シナプスレベルのエミュレータに近い。

 数年前にどこかの大学で作られた、ネズミの脳をスキャンして模した仮想脳を思い出す。

 人間の脳をスキャンするプロジェクトは、どこかの人権団体に潰されてしまった。その時の技術者がこの世界の人工知能の構築に何人も関わっている。

 過去の無念。ダイブシステムのスキャン機能。別の手段での密かな達成。

 何人かの顔が思い浮かんだ。

 首謀者の単独犯行ではない。

 セシリーの持つ刀は、キヨマサの攻撃を一つ一つ丁寧に避け、さばいていた。

 相手は、ただがむしゃらに武器を振り回しているだけで、何一つ技にならない。冷静に対処すればどうにでもなるだろう。

 近所の子供が、百均のチャンバラ用の刀を振り回す光景と似ている。

 まだ、ケインの姿で剣と盾を構えていた時の方が強かった。

「何で当たらない!?今のこの姿でも、ステータスは一般のプレイヤーとは別格なんだぞ!」

 今の状況は数分間続いている。

 相手も最初は冷静に戦っていたが、今はもう半狂乱になっていた。

「模写機能が使えれば、すぐにでも切り刻んでやるのに!」

 卑怯な手を使ってきたのがよく分かる。システムの使い方がうまかっただけだった事がよく分かる。今、刃を交えていなければ、それを実感せずに全て終わっていたのだろう。

 自分は決して弱くない。それに気付くことが出来た。ただ周りに少し、強いプレイヤーが多かっただけだ。

 少しずつ反撃の手を加え始めると、距離を置くようになった。武器を盾に、一歩近付くと二歩下がる。

 強みがなくなってしまえば、何て情けない男だろう。

 斬るに値しない。

 が、

「もう、終わりにしよう」

 言葉は、何度も練習した舞台の役者のように、引っ掛かることなく出た。

 踏み込んだ。

 キヨマサの刃がセシリーの頸動脈を狙って真横に振られたが、それを潜り、胸の中心に差し込む。

 相も変わらず、鉄のような度胸であった。

 途中まで突き立ったところで一度止まり、そこからもう一歩踏み込み、押し込んだ。

 顔を見ると口から血が吹き出した。鮮血をモロに浴びて、目を閉じる。

 もう、相手を見る必要はない。

 刃が上に向いた状態で突き立った刀を、力一杯持ち上げた。

 温かい液体が降り注ぐ。

 殺した感覚を覚える。

 一瞬にして、自分のしたことに対して後悔した。呪縛に飲まれ掛かる。これが現実であれば、いや、相手に痛覚があれば、死に至るダメージだ。今まで考えたこともなかった。

 キヨマサはまだ立っているのか、倒れる音はしない。

 目の辺りの血を拭うと、まだ立っているのが見えた。

「痛くないのよね?」

「痛覚モジュールは外してあるが、鳥肌が立つよ。もし他の連中と同じ条件にしていたらと思うとな」

 自虐的な笑みで、青い顔をしている。

「その笑いは何?」

「俺は、ある一つの可能性を試したんだ。ダイブするシステムは、その応用の仕方次第では、脳内のスキャンが出来る。で、今、俺の脳ミソはスキャンが済んでる。問題は、本人の処理能力に匹敵できないことと、俺は混じり物だって事ぐらいだ」

 ニィと笑うと、

「さて、オリジナルは何処に居るんだろうな?」

 そして、沈黙した。

 視点が合っていない。

 出来の悪い人形のような不気味さを漂わせていたキヨマサは、フラリと崩れた。立つように作られていない人形が倒れるのと同じような、無機質な倒れ方だった。

 コンピュータが、膨大な処理能力を使う、無駄なリソースを解除したのかも知れない。

 倒れた向こうに立つ、黒髪の、セシリーのコピーのために。

「次はあなた?アシュリー」

 震えているようだ。

 初めて会った時は機械的な冷たさがあったはずなのに、今は、生々しく感情が見えていた。

 状況に興奮し、乱れた鼓動に力の入らない足元。その手は武器に掛かっている。何かに突き動かされる衝動のようなものがあるのだろう。意志がありつつも逆らえない本能のようなもの。誓約や抑制のようなものかもしれない。

 バサラが一瞬口を開きかけたが、何も言わずに閉じた。

 仲間に目配せをし、備えるように促す。

「セシリー、あなたがその人を倒したの?」

 スラリと抜かれた刀が、セシリーに向けられる。

 アシュリーには、キヨマサとの間の良い記憶だけが残されていた。だから、キヨマサの姿をしたその抜け殻は、アシュリーがセシリーに斬り掛かるには十分な理由になっている。

 それ以上言葉を交わさずに、互いに刀を構えた。剣先は、どちらも相手の喉元に向いている。

 呼吸を調えたアシュリーが先に動いた。姿が消え、左斜め正面に足音が鳴る。その場へ、軽く突くようにセシリー武器の先端が飛び込んだ。が、当たらない。次の足音が左後ろで鳴ったのを確認して左から右へ真一文字に全力で振り抜いた。固いものに当たる手応えに、防がれたことを確信する。

 火花とアシュリーの姿を目視できた。

 弾かれたままバランスを崩している。追い討ちをかけようと一歩進んだが、相手は距離を置いていた。

「戦う必然性って何?仇討ち?」

「解らない。ただ、何か衝動的にあなたを倒さなくちゃと、私の中の何かが叫んでる。こんなもの、今まで感じたことがない。これが何であるかが理解できない。ただただ、あなたを倒したいと本能が願っている。仇とは何?」

 アシュリーの心には間違いなく、キヨマサへの情が存在していた。結果、今の行動は仇討ちになっているが、自身はそれを理解できていない。他にも混雑した新しい感情が植え付けられているからだろう。

「セシリー。私はあなたとは同じ世界で同時に存在していてはいけないと感じている。理由は解らない」

 アシュリーは、自身がコピーをベースに作られた存在だとは気付いていない。コピーがベースで、現実世界の記憶も持ち合わせているからだ。本人が疑問に思うとしたら、記憶の中の自分とこの世界の自分との性格に整合性が取れていないことだろうか。が、しかし。今、生々しい感情を持ち合わせている自分自身が存在している。整合性は完全には取れないものの、疑問は薄まっていた。

 アシュリーは、戦いに集中できる状態になっている。

「戦いは避けられない。それは分かった。だけど、無意味だよ?」

 また姿が消えた。

 足音の鳴る位置がランダムに変わっている。

 "学習"しているのだろう。

 こうなると、どのタイミングで仕掛けるか、予測が付かない。

 闇雲に振るか、一撃入れさせるか。今は痛覚が活きている。下手をすると致命傷になる。

(私なら、どう仕掛ける?一度負けた相手に)

 一瞬音のリズムが変わる。

「後ろ!」

 次の音が後ろで止まった。

 振り向き様、跳びながら横に薙ぐ。

 ギンッ と硬い金属がぶつかり合い、音の波を甲板上に放った。

 目を丸くしたアシュリーの、驚愕した表情が見える。

 折れた刀が、バサラの足元に突き刺さった。アシュリーのものだ。

「お前じゃ勝てないぞ。アシュリー、やめとけ」

 和装が風にはためいている。

 どうにかしたい。だが、どうにもならない。絶望に近い感覚を覚えながら、アシュリーは甲板を蹴った。

 サッと移動すると、船縁に片足をかけたままセシリーを一瞥する。

「いつか負かしてやる。次は私が勝ってやる」

 そう言って、船外に飛び出した。

 残されたセシリーは、アシュリーが去った方を見て想いに耽った。良い気になって、他より強いことを誇っていた自分を振り返り、気恥ずかしくなる。

 世界は広かったし、せいぜいエレノア程度と思っていた強者は、世界中にたくさん居た。

 惰性のようなログインを繰り返す日々だったが、今回のことで何か一歩踏み出せたような、自分自身にとっての自身の存在意義を感じられた。

 今まで立ってすら居なかった気がする。

 立ち上がり、次の一歩を踏み出せる状態になったのだ。

『レイラさん。私達がやります。そのまま抑えられますか?』

 ミシェルだった。

 どこに居るのか分からないが、魔王の身体が見える位置に居るのだろう。

 力を行使しようと言うのだろうか。

 魔王が腕を振りほどこうとしてもがいている。

 大人しくさせるのは無理がある。

『タクヤさんの銃を使って狙撃するんです。私は、自分の力を使って密度の高い魔力弾を込めます』

『レイラさん、私の弾が貫通しないの。試してもらっても良いかしら?やってみたら出来たってレベルだけど、力を使って弾が作れてしまっているので』

 エリカの声に期待と歓喜が入り雑じっている。

「良いよ。私ごと撃って」

 力ずくで押さえ込む。

 薬中患者が暴れるような抵抗をされるが、全力で締め付けて甲板に押し付けた。

「アラフォーのチートプレイヤーなめんなよ、コンピューター!」

『撃ちます!』

 ややあってから、魔王の左肩付近に何かが着弾した。

 辺り一面が光った。

 閃光に飲まれてしまい、何もかもが見えない。

 ホワイトアウトした中、足元が崩れていくのが感じられる。

 終わりを意味したその光の中、今だにもがき続ける魔王の身体が、少しずつ分解していくのを確認した。

 辺りが見え始める。

『もう一撃、いきます!』

 強力な再生能力が、魔王の肉体を元通りにしていく。

「普通のでは無理!ミシェル、イメージして。相手の肉体が完全に崩れ去るような力を込めたものを。多分、分解と言うより溶解が良いと思う。溶けきり、蒸発させるもの。気化すれば、この世界の理では再生しないはず!」

『分かりました。やってみます』

 魔王が、レイラの身体を持ち上げて立ち上がる。膨張はしないが、細い腕がガチガチに固まっている。血管が浮き出て湯気が立ち上ぼった。

 軽々と持ち上げたレイラを引き剥がして地べたに数回叩き付け、掴んだまま羽を広げて舞い上がる。

 数秒で雲の浮く高さまで上がると、急降下した。

 そのままGを感じて、次の瞬間見えたのは土が破裂するように飛び散る様。

「私は隕石か」

 自分がクレーターの真ん中に居るのを見て苦笑いをする。

 そこで、ミシェルから再度連絡を受けた。

『レイラさん、多分出来た。これで良いかは判らないけど』

「オッケー。ぶん投げるから、ヨロシク!」

 レイラは魔王の腕を引き剥がし、顔面に一撃入れた。一瞬意識が飛んだように視点のズレを確認し、相手の髪を鷲掴みにする。そのまま立ち上がって真上に放り投げた。

 魔王は数回転し、空中で羽を広げて静止する。そこへ、小さな何かが吸い込まれていった。

 物質ではなく形のない光の塊のような弾丸で、それが当たると蒸気が噴き出すようにして、辺りをモヤで包み込んだ。

「セシリー?」

 目覚めたカヤが、ベッドの近くでうとうとしているセシリーを見た。

「色々あったから、疲れてるんだ。寝かせといてやってくれるか?」

 部屋の入り口付近で座り込み、欠伸をしていた男が、ダルそうに呟く。

「バサラ?何でここに居るの?」

「この世界から出れるまで、護衛だ。痛覚がまだある状態だから危ないしな。もう外とは連絡取れてるんだが、開発の連中が言うには、後半日はかかるらしい。コイツは、また微妙な敵増やしちまったからな、寝てる間は危ないかも知れないしな」

 適当に理由付けはしているが、ここは拠点内部で普通なら外部からは侵入はできない。

 何があったかは知らないが、そういうことなのだろうかと考えた。

「他は?終わったの?」

「ああ、終わったよ。入谷が仕込んだ魔王とやらが居たんだが、それももう倒されたらしい。ミシェルだって言ってたっけかな、立役者は」

「寝てる間に全て終わってしまったのね」

「不服なのか?」

「いーえ、面倒がなくて助かるわ」

「だよな」

 数時間後、プレイヤーは解放され、現実世界へと帰っていった。

 メンテナンスが入り、元通りになるには数日を要した。セキュリティの穴を塞ぎ、安全面でのテストも実施されたそうだ。だが、システム上の安全は確保されたものの、潜在的な危険性に対する声は大きかった。それは、先日までの事件全てが例に挙げられている。

 イザヴェルの生命は、内部の犯行を認め、企画チームの調査で浮上した何人かが逮捕。それを公にすることで、ゲーム自体は首の皮一枚で存続が出来た。

 結果的ではあったが、死人はでなかったのが不幸中の幸いだった。痛覚が限界に達する前に、プログラムはコネクションを切る設計になっていたのだ。

 この設計は意図されたものではなく、膨大なテスト項目の漏れで存在していたものだった。コンセプトとして、リアリティの追及をされたシステムとしては、バグのようなものだった。

 このバグのような仕様のせいで、イザヴェル上の肉体は生きたままのような状態を保っていたらしい。サラハを例に挙げられる、死んだと思われたプレイヤー達は、メンテナンス終了後に再びイザヴェルへログインし、多くの仲間たちを驚かせた。

 死んだと思われたサラハがイザヴェルに戻った時、エレノアがうっかり涙を流し、その後長く語り継がれることになる。鬼の目にも涙と、サラハ当人が吹聴してまわったのが原因だが、エレノア本人は、それに対して怒りを見せることはなかった。

 首謀者を自称した入谷は雲隠れし、逮捕には至っていない。痕跡を残さずに姿を隠したその手際の良さは、タクヤなどからして見れば、

「昔からそんな感じだよ。確証はないけどさ、絶対見付からないと思うよ」

 と言った具合である。学生時代を知っている者には、その言葉が確証のようなものであった。

 セシリーは、その少し後に実施された大規模バージョンアップ以降、姿を消した。

 カヤにだけ一言、

「新しい世界、冒険してきます」

 とだけ残して。

「という訳で、暫くセシリーが居ないです」

 カヤの言葉に、

「引退しないなら良いでしょ。ゆっくり好きにさせてあげてよ。仲間大好きなのに、自由人で独り放浪する人なんだから。矛盾してるけど」

 と、レンファの返事が返る。

 数人が頷くと、

「裏ボスの許可取れたな」

 タクヤが横からボソりと続ける。数人が失笑すると、笑いは室内の仲間に伝染していった。

 金髪が、風になびく。

「ジンさん。うちらなんだったんでしょうね。ほっとんど活躍もせず、最後なんて名前すら出ず。ジンさんに謎の力が宿りましたけど、それもよく分からないまま終わりましたし」

 金髪が風にあおられてはためいている。

「ところで、その金髪、なんなんすか?」

 金髪が振り向く。

 浅黒い人相の悪い顔が、サラサラの金髪に似合わず、優しげに微笑んだ。

「俺、現実世界だとこんな感じでサラサラ金髪ヘアーだからな。まー、気にすんな。イメチェンだ」

「似合わないっすよ。気持ち悪いっす。どうしてそんなことしちまったんすか?」

 沈黙の中、金髪が強風に踊り狂う。

「そうか、似合わないか」

 突風が駆け抜ける。

 金髪が大きく羽ばたいて、空高く翔んだ。

 ハゲ頭が光り輝き、ラザールは目を閉じた。

「クソッ、眩しくて直視できねぇ、やっぱコレだよ。ジンさん。俺、ずっと付いてくよ!」

「チクショウ、カリスマハゲでも目指すか」

 ヴァンサンが吹き出した。

 飛び散ったツバは、新たに追加された世界に撒かれた。

 ここは、まだ誰も足を踏み入れていない新規フィールドである。それも、予定されていなかったものだ。

 大規模アップデート当日。世界は、予定を超える巨大な空間となった。

 人工知能が隠れて作り、データを散らせていたのだ。それは、アップデートを合図にフィールドサーバに集約された。

 大規模と謳われていたが、想定よりもあまりに巨大なため、誰もが驚きを隠せなかった。

 何故こんなに空間が広がったのか、誰にも分からなかった。

 ざっと十倍の広さである。それも、現在の世界観が引き継がれたものだ。企画チームが溜め込んでいた案が散りばめられ、手直しは殆ど必要ないレベルに至っていた。

 運営チーム、開発チームでは、予想外の出来事に戦場のような慌ただしさに飲まれた。

 一連の事件が関わっていることだけは、関係者にのみ予想が付いた。そこで、各方面から調査が開始される。幾つかのチームが派遣されたが、その中の一つにジン達のチームがあった。

 金髪の癖毛が風になびく。

 華奢な体つきである。

「なんだよ、お前、元の姿と殆ど変わらねーじゃねーか。名前もセシリーのままだし」

 バサラの声に振り向いた少女は、

「少し幼くしたんだけど?」

 口を尖らせる。

「現実世界同様貧乳になったな」

「そういうとこ、館長ソックリだよ。先輩」

「そりゃ嫌だな。もっと紳士にならねーとな」

「それは気持ち悪いよ」

 かなり離れたところで何かが光った。

 今は未開の地にいるので、もしかすると同業者かもしれない。

「あっちに誰か居るな。行ってみるか?光ったのが頭なら、確実にジン一派だろうけどな」

「良いよ行かなくて。この探索、私は先輩と二人で進めたい」

「奈緒が子供産むまでな」

 事件の翌日、それとなく話されたらしい。数時間後、和枝が紙おむつを持って現れそうだ。奈緒と和枝が実は仲が良かったことに、その瞬間まで知らなかったと不貞腐れながら呟いていた。

「館長は、やっぱり戻ってきて欲しいみたいだよ。道場だけ、どうにか残したいんだってさ」

「断る」

「先輩、私が挑戦状叩き付けたの忘れてるでしょ?」

「忘れた。こっちでならいつでも受けてやるけどな」

 お互い、その後は話題を切り替えた。

 公開されている情報から、今見える大草原の向こうに都市国家が存在していることになっている。

 現地テストされていない場所に行き、安全に行動出来るかどうかを見極めなくてはならない。

 勿論、机上では何も問題ないと出てはいるが、根拠には薄いとの判断が出されているのだ。この、どうやっても剥離させられない世界をうまいこと取り込むには、派遣されるチームのメンバーが出す報告に委ねられる。

「行くか」

「だね!行こう行こう」

 今立っているこの場所は、新世界との境界に当たる。ここから先、どんな敵が、町が、物語が拡がっているから判らない。

 二人は足を踏み出す。

 セシリーの第一歩は、今ここで、力強く踏み込まれた。

平行世界のOntlogia

第一部 完



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