平行世界のOntologia

著 : 柊 純

act17:歌姫の操り人形


 カメラを仕掛けてベッドに座ったミシェル、本名、"成瀬 綾香"は、Guildのアコースティックギターを手にして脚を組んだ。

 ステンレス製の義足がキラリと光った。

稼動部分は樹脂のようだが、デザインの美しい金属部分にマッチした色をしている。

 動画サイトにアップするものだ。

 顔が入らないかどうか、正面のディスプレイを確認した。マスクはしていたが、それでも、ネット上に首から上が出回るのは嫌だった。

 どうにも疲れが抜けない頭を振りながら、手元のパネルをタッチして曲を再生する。

 ギターが奏でられ、コードを読み取ったコンピュータが反応して歌い始めた。

 ボーカルの声は馴染みだった声優が担当したもので、自分の声と似たような質のものだ。透明感があって、少女のようにも聴こえれば、大人っぽい声にも聴こえる。

 一昔前はクセがあったコンピュータの歌声も、今となっては本人と遜色ないレベルにいた。

 ただし、気持ちが篭ったものではない。

 流れているのは、ミシェルがイザヴェルで歌ったオリジナル曲だった。

 弦を奏でる度に、先のカールしたロングヘアーが揺れ動く。

 静かなバラード調の旋律は、マイクを通して1と0のデータに変換して録音されていった。

 自分で歌いたいと想いながらも、勇気がなくていつもこんな風に落ち着いてしまう。

 今の感情を乗せたい。

 気が付くと、声を出して歌っていた。

 慌てて録音を止めると、保存前のデータを削除する。

 大きく漏れる吐息は、そばで聴いていた愛犬のセリカに心配をもたらしたらしい。近寄ってきたセリカの脚も、右後ろが欠けていた。自分と同じ境遇に心動かされ、つい半年前に引き取ってきたハスキー犬だ。

「ゴメン。大丈夫だよー。少し慌てただけ」

 その声は、イザヴェルで喋っていたミシェルとまったく同じものだった。

「私自身が歌っちゃうと、もしかしたら大騒ぎになっちゃうかもしれないんだ」

 自分の、膝から先がない脚を見た。

 右脚の膝から上にも大きな傷痕が痛々しく残っている。

 事故にあった時の記憶は殆どない。

 気付いた時には、姉とマネージャーがベッド脇に座っていた。

 全身が痛み、それなのに右脚の痛みはない。微睡みに混ざって聞こえる泣き声が、響くように反響していた。

 意識がしっかりしてきて、片足が消えていることに気付いた時は、仕事のことばかり気にしていた。

 この状態でファンの前に出て良いのか。

 声はちゃんと出ているが、良い声は出るだろうか。

 院内で軽く歌い出して看護婦に叱られた。こんな状態なのに叱られたことに、逆に怪我人であると実感させられたものだ。

 不思議とその時は、片足を無くした絶望感が薄かったようだ。

 リハビリにも挫けなかった。

 現実に引き戻されたのは、社長と涙を流すマネージャーがやってきて、"引退"の話を聞いた時だった。

 やるのであれば、何とかしてみせる。ただ、今の姿のこともある。ファンにそれが受け入れられるか見当がつかない。その上、復帰のタイミングは難しい。だから、引退を考えてみて良いのではないか、と。

 自分には商品価値が無くなったのだろう。

 冷静に考えれば、歌よりもルックスで売り出されたのだ。

 社長は音楽にはあまり興味がないらしく、レコード会社からのオファーがなければデビューもしなかっただろう。

 そう考えた。

 社長とマネージャーが帰ってから、空気の抜けた風船のようになった。

 リハビリにも力が入らなくなり、何とか歩けるようになったものの、外出もしなくなっていた。

 完全に空っぽになって、毎日起きては寝るの繰り返しをしていたところ、イザヴェルと出逢った。

 ゲーム好きの姉が買ってきたもので、一緒に遊ぼうと言われた記憶がある。

 最初はただ何をするでもなくログインするだけの日々が続いた。姉以外に知り合いが居ない、静かでただリアルな世界を歩き回った。

 ヘビーゲーマーの姉は、のんびり過ごす妹とは対象にメキメキと頭角を表していた。

 目立つ新人として名前が売れ始めたのが開始から一月。気が付くと、比較的大きなギルドに所属していた。

 その頃、ミシェルはイザヴェルでも歌い始めていた。歌っている時だけは自分の存在を確かめられたのだ。

 毎日毎日、森の中で、大木の前で歌った。

 何が切っ掛けになったのか、心が晴れて立ち直ったようで、いつしか純粋にゲームを楽しみはじめていた。

 単純に、イザヴェルの世界に順応していたのだろう。

 毎日歌うことを続け、力強くイザヴェルの大地に立っていたのは、事故から一年後。初ログインからは二ヵ月後だった。

 流れ着いた治安の悪い町を根城に、独りモンスターを狩り続けて過ごした。

 よく悪党に絡まれたのが印象に残っていたが、寂しい時期でもある。

 週に一度は姉と遊んだ。

 姉は仲間を連れてくることが多く、その都度ギルドに誘われた。が、人数が多過ぎることを理由に断った。

 人数の件もあったが、オフ会の多いギルドだったことが最大の理由である。

 自分の姿を人に見られたくない。

 過去、テレビに出演することが多数あったし、もはや一般人ではなかったから、そんな気持ちは人一倍大きかったのだろう。

 ある時、急な思い付きで、服を脱いで姿見の前に立ったことがあった。

 映る自分の肉体は傷痕にまみれていて、パーツの足りないフィギュアのようだと、本当に人形でも見るように眺めた。

 失った右膝から先。そこから伸びた一筋の亀裂のような痕は腹部まで続き、今こうして立っているのが不思議にすら思われる。

 現実感がない。

 まるで壊れた操り人形だ。

 目を閉じると今でも聞こえてくるような、"来栖 菜々美"の名前が、今の姿を操り人形であると思わせた。

 長い夢を見ている。そう思う事にした。

 現実に引き戻されたのは、テレビを観ている時。

 同期でライバルで、業界内では一番の友人だった声優が、パネルの中で歌って踊っているのを見付けた時だ。

 自分の時と似たような衣装、演出、楽曲・・・

 ガラス板の向こうにある光の集合体は、当時の自分を彷彿させるような光景となって心を張り裂いた。

 また、無意味にログインを続ける日々が到来し、週に一度は姉と遊ぶものの、心は常に空っぽのままであった。

 そんな時、セシリーと出遭った。

 PKプレイヤーから救われたのが出会いの切っ掛けだったが、再会したのはそれから一月後。

 隣町の武器屋街で姿を見掛けて後を追いかけた。

 あの時のお礼がしたい。

 ただそれだけだったと思うが、その時の心境はもう思い出せない。ほぼ真っ白になって、ただただ追いかけていた。

 何度か曲がり角を折れた先で、突然煙のように見失ってガッカリとしていると、目の前のカフェの中から笑い声が聞こえてきた。

 店内でしゃがんでこちらを見ている姿を見付け、派手に驚いたのを思い出す。

 その時のセシリーは、とても嬉しそうに見えた。

 セシリーは、気さくに話し掛けてくれた。当人はその時、ミシェルのことは全く覚えていなかったようだ。頑張って後を追ってくるミシェルに興味を持っただけだったらしく、通り過ぎなければ声を掛けようと思っていたらしい。

 姉やその仲間と違って、活き活きとした雰囲気に惹かれたのだろう。食い付くようにして話をした。

 向こうもそれが楽しかったらしく、別れ際にフレンド登録をした。

 姉以外では初めてのフレンド登録だった。

 セシリーは、ログインする度に挨拶のメッセージをくれた。

 感覚的にずっと独りぼっちだったミシェルに、そのメッセージは宝物のように大切になった。ファンレターに似て非なるメッセージの枚数を、一枚ずつ数えるのが楽しみであった。

 暫くして、一緒に遊ぶようになった。

 比較的難易度の高いダンジョンだった記憶がある。戦う姿が輝いて見えた。以前助けに入ってくれた時よりも力強く、勇敢に見えたものだ。

 いつも足を引っ張ってばかりのミシェルは、自身の強化に腐心するようになる。追い付きたい。背中ばかり見るのではなく、肩を並べたい。

 常にそう考えるようになっていた。

 元々ステータスの強化には全く興味がなかったが、この頃を境に、急激に成長していく。いつしかのめり込み、深く深くイザヴェルへと溶け込んだ。

 そして、ミシェルに取って現実世界の肉体は、本当に壊れた操り人形になり果てた。

「綾香、出掛けてくるね」

 姉が、扉の向こうから声をかけてきた。綾香は編集の手を止めて、「はーい」と返事をする。

 出掛けることに反応したセリカが、扉の前へひょこひょこと歩いていく。

「セリカも行きたいって!開けて良いよ!」

 扉が開いた。

 ショートカットだが、綾香にそっくりの顔が覗き込む。少し小悪魔風のメイクで、背が高い。

「新しいの、素敵な曲ね。歌詞変えた?」

 一軒家だが、特に防音加工してある部屋ではない。聞こえるのは仕方がないのだが、言われると恥ずかしさが込み上げる。

 今の自分の気持ちを乗せているから、尚更だった。

「ちょっとね・・・」

 照れ笑いする妹の愛犬の頭を撫で回し、優しく首輪を付けながら、

「好きな人でもできたのかしら?」

 と、呟くように小さく言った。

 黙って視線を上に向けた綾香に向け、続けて、

「図星?顔赤いよ」

 と言うと、

「う・・・、あのね、・・・そうかも」

 我が妹ながら可愛いと大きく納得した素振りを見せる姉に、はにかんだ顔で「ヤダもー」と照れ隠しに、ふわりと枕を投げ付けた。それはセリカに命中する。少し恨めしそうな顔で振り向くセリカに、両手を合わせて謝った。

「あ、そうだ。もう少ししたら私も出掛けるんだ。お姉ちゃん、セリカのことお願いして良い?」

 そう言って、編集中の曲を再生した。

「いいよー。夕飯も食べさせとくね」

 コンピュータの歌声、アコースティックギターの生演奏、シンセサイザーが奏でるメロディーが流れた。

 それに併せて、綾香も歌いだす。

 実の姉が鳥肌を立てるほどの歌声だ。

 まるで聴く人に話し掛けているように、しかし、間違いなく歌唱している。コンピュータの歌声と混ざりあい、互いの声を補完して、まるで羽ばたくように拡がっていく。

 眼を閉じて音の波に身を委ねると、世界に溶け込んでしまうような錯覚に陥った。

 綾香の歌には、歌詞を聴かせる魅力がある。

「相変わらず天使すなー。次元が違うのがよく分かるよ。綾香、うちで歌わない?」

「ジャンルが違うから、きっと心篭らないよ?やめとくー」

 ベェと舌を出した。

 本当は歌いたいが、人前への露出は控えたい。

 本当は外出でさえも不安があるのだ。

「残念。それじゃ行くね。辛かったら連絡して。車で迎えに行くから」

「ありがとう」

 姉が出掛けた後、義足を隠すようにジーンズを履いた。

 綾香の義足は体重が掛かると発電する。それプラス蓄電池の電力を利用して、足首のバランスを取る特殊なものだ。

 歩く姿が自然に近くなり、パンツルックならパッと見では気付きにくい。駆動音も殆ど聞こえないので、音楽の流れる店内では分からないだろう。

 デザイン賞を取るようなオシャレな義足なのだが、やはりそのまま外を歩く自信はない。

 動画サイトにアップする時は首から下なので、逆に義足はアピールする。自宅でなければミニスカを履けないのが大きいかもしれないが。

 ピンク色のハードケースを斜め掛けにして外へ出ると、空が曇り始めていた。

 昼間だと言うのに、空気が張り付くように冷たい。

 電車で数駅先の楽器屋に行くだけなのだが、こう寒いと心が折れそうになる。

 駅までは3分ほどだが、耳が痛くなるような寒さに、途中折り返して帰ろうかとすら考えていた。

 バランスは取れているが、速く歩くことはできない。寒さが身に染みる。

 風が凍るように冷たいので、マフラーを口元に引き上げた。

 駅近くの弁当屋の前を通り、その隣のラーメン屋からの湯気に食欲をそそられながら、エレベーターの前まで真っ直ぐ向かった。

 途中、自転車を飛ばしてきたオバさんにぶつかりそうになり、倒れこみそうになりながらエレベーターのボタンを押す。

 階段は苦手だ。オートバランサーの性能は非常に高いが、不慣れな綾香には障害である。特に下りが不得意で、義足を下ろす時の不安感は大きい。

 エレベーターを降りたところで電車がくる。地下鉄なので、押し出された空気の圧でフラついた。

 何とか改札を抜け、電車に飛び乗る。

 ケースが扉に挟まれそうになり、前のめりに倒れそうになった。周りには聞こえないような小さな駆動音が鳴った。装着している綾香本人は、脚からくる微振動を気にして周囲を見回す。

 小さな子供が見ていた。

 マスク越しに苦笑いをしてみせる。

 精一杯の努力のつもりだった。

 それほど混んではいなかったが、椅子に座らなかった。隣に誰かが座り、義足に触れられるのが怖かった。

 日曜だったが、車内にはスーツ姿の若者が多い。

 就職活動中だろうか。

 綾香は今、働いていない。

 一時期は焦りを感じたものだが、お金に余裕があるので気にしなくなっていた。片足を失った代償に得た豊富な金銭のせいで、感覚が狂っていた。

 が、立場からすると少ない金額だったかもしれない。

 目的の駅で降りて、真っ直ぐ楽器屋に向かった。

 弦を買いに来たのだが、癒しを求めてギターコーナーに向かった。

 ところ狭しと並んだ商品を長々と鑑賞し続け、暫くその場に居た。

 白くてキレイなアコースティックギターに眼が行き、触れようとしては引っ込め、それを何度か繰り返す。

(・・・手に取ったら間違いなく買っちゃう。セシリーさんも、武器を見るときはこんな気持ちなのかな・・・?)

 もう、部屋には置き場がない。今でも楽器の山な上に、姉にも預けている。

 母に見られたら、間違いなく説教を食らうだろう。

 その後アンプを見て、ギターコーナーに戻り、少し移動してベースと睨めっこをし、またギターコーナーに戻った。

 次に、店内をぐるっと一周し、楽譜を手に取り、キーボードを華麗に弾いてからまたギターコーナーに戻る。

 その度に白いギターを眺めて溜息を吐いた。

 三時頃に家を出てきたのだが、気が付いた頃には外が薄暗くなっていた。

 綾香は目的の弦を買うと、逃げるようにして店から出た。レジの店員が会計の間中、綾香の方を終始見ていて、それが不安を煽ったのだ。

 外に出ると、ますます冷え込んでいた。

 風が強くなっており、寒さに負けて向かいの本屋に飛び込んだ。本屋の独特な、印刷物の香りに酔いしれそうになる。

 綾香は楽器も好きだが、本も好きだった。殆ど漫画や雑誌だが、壁が一面本棚になっていてギッチリと詰まっている。

 店内は人が少なかった。

 文庫のコーナーに一人、雑誌を立ち読みしているのが一人、漫画やら攻略本やら置いてある辺りに一人。店員がレジに一人立っていて、もう一人が本を並べていた。

 レジ近くの雑誌コーナーで音楽雑誌を立ち読みすると、奥の漫画売り場に向かった。

 新刊の山の中から、集めている漫画を見付けて手に取った。そのまま攻略本の一角に眼をやると、イザヴェルの特集を組んだ雑誌を発見する。

 近いうちに大規模なバージョンアップがあることが書かれており、開放されるエリアが複数掲載されていた。

 実際のゲーム内の写真などは取り扱われておらず、イメージ画像がいくつも載っているだけだった。

 早く行ってみたい。そう思いながら雑誌を戻すと、漫画を手に持ったままレジに向かった。

 窓から外を見ると、ハラハラと白いものが振り出している。

 振り向くようにして、ギターケースを見た。

(なんでギター持って来ちゃったかな・・・)

 レジに向かって歩き始めた。

 足元が少し堅くなっているように感じた。

 そう言えば、イザヴェルに行きっぱなしで充電をしていなかった。

 このままだと、歩いて発電しても早くに電池が切れてしまうかもしれない。そうなると、移動に支障をきたしてしまうだろう。

 綾香は、壊れた操り人形だ。

 自分自身はそう感じており、足が動かなくなるとその気持ちが大きくなる。

 今はそうでもないが、以前はそれが恐怖であり、外出は全くしなかったものである。

 どこかで時間を潰しておいて、姉に迎えに来て貰うのが良い。

 綾香はスマホを取り出して、メールを打ち始めた。



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