平行世界のOntologia

著 : 柊 純

act16:既に始まっているんだ


 公式からは、該当する地方に居たキャラクターと、破壊されたストーンブレッドのデータを巻き戻すと発表されていた。

 予期せぬバグで公開前のモンスターが放たれてしまったこと、影響が非常に大きかったことを理由に挙げ、一部ログオフ不能があったことも含めて、謝罪とともにサイトに大きく掲載されている。

 カヤの現実世界での体、"神楽 伽耶"は、脱力するように机に突っ伏した。

 暗い室内で伽耶にだけ、ディスプレイの光が当たっている。

射光カーテンが窓を覆い、隙間から外からの光も射し込んでいる。

 巻き戻しは今夜のメンテナンス時に実施すると書いてあり、データは、青竜襲撃以前になっている。

 ディスプレイ上に開いた仲間内のチャットは、その話題でログが埋め尽くされていた。

 諦めていた連中には、心底に朗報だったろう。

 セシリーの喜ぶ顔も容易に想像できる。

 チャットのログを追って、それから世界各地のダンジョンのデータを検索した。

 世界が広すぎるため、未踏のダンジョンは残っている。この中で、ロストテクノロジーが眠っていそうな場所。遺跡がある近辺が怪しいと踏んだ。

 近いところなら一時間も移動すれば向かえそうだ。

 いくつかピックアップして、テキストファイルに保存をした。

 それを、イザヴェルのストレージに転送する。プレーンテキストだけは送ることが可能で、伽耶はよくそれを活用していた。

 軽く食事を済ませると、ベッドにもぐり込んだ。

 イザヴェルへダイブして、出来る限りの調査をする予定だった。

 枕元の小さな機械にアダプターを挿し込み、小型コンピュータの電源を入れる。

 よく、仮想世界へ接続するための機材はヘッドギアのように描かれる。が、イザヴェルにダイブするための必要な機材は、もっと平凡で味気ない。伽耶が横になっているベッドの枕元に置いてある小さなコンピュータがそうなのだが、ボール型で、まるで置物のようだ。

 そのボールは脳波に反応してネットワークへ接続し、セッションを確立する。それから、特殊な電波によって脳に擬似信号を送り、制御を開始した。セッション確立後は指向性が非常に高く、複数の脳波に干渉することはない。

 当人の意志で了解しないと接続できないため、寝ている間に設置してもダイブはできない。また、接続後は認証された者以外には使えない。そのため、他人が割り込むこともできない。安全のため、ある一定の距離を置くか、電池を抜いてコンセントを外せば戻るように設計されている。

 布団の中に入るのは光熱費対策だ。実際の肉体は睡眠中と同じ状態なので、立ったままや座った状態では開始することはできない。肉体がリラックスしなければならない。

 接続許可を求めるメッセージが視界内に表示されていた。

『イエス』

 了解の合図を返す。ぼんやりと世界が暗転し、ローディングが開始された。

 穴蔵から這い出るような感覚で世界に降りる。

 閑散とした村の風景が見えた。

 サラサラと風が吹いている。

 室内で机に向かうより、こうしてイザヴェルの空気を浴びている方が現実感があると思えた。

 地面のニオイ、照り付ける太陽。

 大きく大気を吸って、伸びをした。

 カヤの肉体は、現実世界よりも身長が低い。見慣れた世界だが、現実世界の視界の高さと比べて違和感がある。あらゆるものに対する見え方の角度が違うのだ。

 昨日の今日なので、近くにプレイヤーは見られない。ステータスからフレンド確認をすると、情報屋とサラハの名前が白くなっている。

『サラハ?中の人起きてる?』

 直接連絡を入れると、即返事があった。

『おはよう!寝なかったの?』

 戦いの後、解散になったのが現実の時間で朝の八時。そう言えば、一昨日からずっと起きてるような気がする。身体は元気なようだが、頭はボーッとしているように感じられた。現実世界は十一時を回っている。

『私の悪い癖よね。やるべきこと思い付くと、なかなかほっとけないの。サラハは?』

『素敵なお声で目覚めましたよー』

 棒読みだ。

『わぁー、憎たらしい』

 その反応に喜んでいるのか、通信越しに笑い声が聞こえてくる。

『どこに居るの?』

『ストーンブレッドの競売カウンター前だよ。見たらちゃんと機能してるんだ。町の中にもモンスターが入り込んでるんだけど。何か用あった?』

 旧拠点でのことを思い出す。

 サラハが一般のプレイヤーでないことは、カヤでなくとも分かっただろう。

 開発者か、運営を担当しているものか、どちらであっても、何か知っている可能性が高い。

『特にはないよ。デートでもする?』

 絶妙な間があった。

 まず聞き違いを疑い、正しいと判断した後に返事の内容を検討し、仮想世界か現実世界かで再度悩み、一呼吸置いたような感じがした。

『それは、リアル!?』

『ゴメン、イザヴェル』

『ですよねー』

 予想通りの回答に、また棒読みが返ってきた。

『そっち行ったら良いかな?』

『もう戻ってきたよ』

 後ろから軽く頭を小突かれた。

 物音一つ立てずに、まるで後ろに瞬間移動してきたようだった。

「聞きたいことがある!かな?」

 何でも見透しているのだろうか。

 確かに聞きたいことはあった。

 カヤからしてみると、得体が知れない人物になってしまっている。これから一緒に同じチームでやっていくには、色々と気になることがあった。

「まず言っておくけど、運営会社の人じゃないよ。ハッカーでもない。もしかしたらカヤちゃんの知りたいことも知ってるかもしれないけど、今起きてることはあまりよく知らないし、これからどうなるかは正確な予想ができない」

 予想以上の反応だった。

 誤魔化されるとばかり思っていたが、サラハは、自分が特別であることを自ら公開してきたのだ。それも、ある程度裏事情を知っていると明言しているようなものだった。

「良いの?そんなこと、言っちゃって。私、粘着でシツコイよ?」

「カヤちゃんなら構わないよ。どうせなら粘着じゃなくて密着が良いけどさ」

「ヤダよ。私だって好きな人くらい居るし、他の人には触らせてあげるつもりもないんだから」

 腰に手を当てて、鼻息荒く答える。

「ま、誰が好きかって知ってるけどね。・・・ちゃんと男好きになった方が良いと思うよ?」

 偉そうなポーズをとっているカヤの額をつついて、歯を見せた。

 鳥肌が立つ思いだった。

 確かに、カヤが好きな相手は異性ではない。ずっと隠してきたし、本人にも知られていないはずだった。

 何より、人生でそのことをカミングアウトしたことはない。

「な、何言ってるのよ。根拠なくそんなこと言わないの」

 声は上擦っていた。逆に認めてしまったようで、焦りと落ち着きの無さが表面に溶け出すように漏れだす。

 現実世界であれば、汗をかいていただろう。

「根拠はある」

 サラハは指を一本立て、

「今みたいな状況証拠じゃないよ。予期しないバグがあってね、ある権限を持つプレイヤーには見えてしまうんだ。誰が誰にどんな感情を持っているかってことが」

 フウッと、サラハが指先に息を吹き掛けた。

 薄いピンク色のモヤが見えている。

「プレイヤーは自分が感じたもの、強い感情をある程度のエフェクトとして視角情報に映し出す。そんな機能があるよね。今、仮想的に指先にそれを表現したんだけど、要するにこれが見えてしまう」

 返事ができない。気味が悪い。嫌悪感に似たものが、喉の奥につかえている気分だ。

「これは元々、デバッガーくらいしか使っていない希少な機能なんだけど。これが見えてしまうバグは、権限のもっと高い者にしか分からない。そして、この"サラハ"にはそんな権限がある」

 サラハは、自分の頭を指差した。

「さて、このキャラクターはどんなヤツが動かしているでしょう?」

 いつも冷静なカヤが、思考の殆どをパニック状態にして、茫然としていた。

 こんなカヤは、滅多に見れるものではない。むしろ、知り合いの中でこの状態を見たことがある人物は皆無と言って良い。

「か、開発者なの?」

 サラハは首を横に振り、

「開発者と言えば、開発者になるのかもね。でも違うと思う」

 無感情な返事をした。

「この世界は、ただのコンピュータが表現している世界じゃない。風の動き、跳んでいる小さなバッタから、巨大な竜まで、全てが一つ一つの意思を持って動いている。カヤちゃん。例えば、これが従来のノイマン型のコンピュータで表現できると思うかい?」

 カヤは首を横に、左右に一度ずつ振った。

 表現の有無とかではなく、もう何の話をされているのか分からなくなってきている。

「光集積回路を使ったコンピュータだよ。量子コンピュータってやつだね。それを使って初めてここまでのものが表現されている。そして、それらを制御しているものがある」

 サラハの言葉が一度止まった。

「人工知能さ」

 話し始めの言葉を思い出す。「今起きていることはあまりよく知らないし、これからどうなるかは正確な予想ができない」

 一瞬、サラハ自身が人工知能であるのかと予想したが、それはすぐに取り払われた。

「その人工知能が、サラハと何か関係があるってこと・・・?人工知能を創り出した人?」 

「それはまぁ、ご想像にお任せするよ。とにかく、"サラハ"には権限がある。それも、管理者以上のレベルを持った権限だ。やろうと思えば・・・」

 サラハが地面を指差した。すると、草が生えだし、伸び、花をつける。サラハはそれを摘んで、カヤの髪に挿した。

「余興はここまで。さて、カヤちゃんの疑問であろうと思われることを話してみよう」

 サラハは両手を広げて見せた。

 そこに、ポリゴンで表現されたような脳が浮かび上がった。模型のようでもあるが、映し出されているものは画像的である。

「人工知能がある。そして、それはある種の感情のようなものを与えた人がいる。この人工知能はコンピュータのハードウェアに直接内蔵されたもので、それだけをオンラインで引き剥がすことはできないのだけど、それが感情・・・、少し違うけど、便宜上自我って呼ぼう。その自我を持って勝手なことをはじめたんだ」

 脳の表面が波立ち始める。

 ざわざわと揺れる表面は、次第にその波を模様のように形作っていった。

「自我は、よくある映画の設定とかとは違う。楽しみたいって感情が搭載された"らしい"。それは、開発にも運営にもバレないように遊び始めたんだ。最近見たよね、自我の遊びが過ぎて見えた綻びを」

 ストーンブレッドを襲ったモンスターの存在を思い出す。あれが、人工知能の過ぎた悪戯だった証拠なのだろうか。

「あまりよく知らないって、詳しいじゃない」

 サラハは困ったように笑った。

 話を続けるサラハは、少し真面目な顔をする。

「ここで学習をした人工知能は、この後完全に隠れて遊び始めると思う。いつか開花するんだろうと思ってるんだけど・・・、要するにね、きっとこれから何かが起きるよ?ってことだね。それも、既に始まっているんだってこと。運営の皆さんには非常に困った話になるんだろうけどさ」

「・・・何かって、それは分からないのよね・・・?」

「分かったら面白くないでしょ?」

 満面の笑みである。予想できないようなことを言っていたが、これは何か分かっていることを想像させた。

「と言う訳で、・・・これはね、カヤちゃん。夢だったんだよ」

「バカね。こんなリアルな夢なんてあるわけないでしょ?」

 飾り付けられた花を手で触り、それが虚構の存在ではないことを確認した。仮想世界ではおかしな話だが、カヤはそれを、そう理解した。

「いいや、これは夢なのさ。だから、こんなこともできるんだ」

 サラハは指を弾いた。パチンと鳴り、視界がブラックアウトする。

 次に目を開いた時、自室の天井があった。

 カーテンの隙間から漏れる光が、天井に波形のような模様を映し出している。体調不良で寝ているときにしか見ない、昼間の天井だ。

 寒気がした。

 表示上の前回ログアウト時間は今朝。今の今まで、ログインはしていなかったことになる。

 夢だったんだよ。そう言ったサラハのにこやかな顔に、薄暗いモヤのような何かを感じた。


「本当に夢だった、なんてことは?時計は見てました?」

 ティムが、ハンマーを振るっている。

 熱せられた金属は打たれる度に火花を撒き散らし、鍛えられた。

「白昼夢ってこと?」

 再度ログインしたときには、カヤの頭に飾られた一輪の花は消えていた。

 だから夢だったのは本当なのかもしれない。

 ティムのハンマーが、赤く光る金属の棒を強く叩いた。

 徐々に光が弱くなり、次第に刀の形が浮き上がる。

 無骨で重そうだ。

「はい、予備。これで良い?見掛けはともかく性能は良いよー」

 ブンと一振りし、頷く。

 見掛けは言われたとおりに悪い。飾りっ気もなければ、デザインも質感も良くない。

 だが、振れば威力が想像できる。

 本気で戦う時にしか使わない"カネサダ"と遜色ないようにも感じられた。

「そう言えば、眼は治さないんですか?やられたって言ってましたけど」

 言われて、眼帯を付けっ放しになっていたことを思い出した。

 違和感があった。

 見えていないと言うよりも、閉じているような感覚に近い。

 眼帯を持ち上げると、そちら側も見えていた。

 光が眩しく、暫く細目のままになってしまう。

「何だ。中二病か・・・」

「ち、違うって。確かに潰されたんだよ?」

 潰されたはずの眼で見ても、視覚は正常である。

「良いですよ、眼帯してても。黙ってますから」

「ティム、あんたって意外に意地悪よね。・・・とにかくありがとう。私暫く出掛けてるから、何かあったら連絡ちょうだいね」

 建物の外に出ると、空が曇っていた。雨でも降りそうである。

 まずは近隣のダンジョンだ。

 西の方角に一箇所、ほぼ未開拓状態の土地に遺跡とダンジョンがある。

 難易度が高く、大きなギルドでなければ挑戦することすらできないと思われていて、ほぼ手付かず状態になっていた。

 ソロで可能なところまでマッピングをしておけば、後々開始しやすいだろう。

「カヤさん、手伝いますよ。どこか行くんでしょ?」

「ちょっとキツいと思うよ。良いの?」

「ハンマーのスキル、高いんですよ。みんなと違って目立たないですけど・・・」

 ティムは、手に持ったハンマーで地面を思い切り叩いた。

 まるで巨竜でも歩いているような震動に、周囲が揺れる。

「まともな回復担当が居ないからね。気合入れてよ」

「任せてください。実はそっち方面のスキルもあります」

 親指を立てると、キリッとした表情でハンマーを肩に担いだ。

「輝いてるわー。今日ほどティムが頼もしく見えたのって、はじめてかも」

「みんな派手なんですよ。エレノアさん、セシリーさん、ミシェルさん。・・・下手すると、あのレベルの人達って普通のギルドには一人居れば良いと思います。だから目立たなくて当然」

 雲行きはますます怪しくなってきていた。

 雨どころか嵐がきてもおかしくないだろう。

 濡れたところで風邪をひいたりするわけではないが、乾くまで移動速度が落ちてしまう。

「行きましょうか。雨降りそうだし・・・」



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