平行世界のOntologia

著 : 柊 純

act18:声を掛けるべきだよ


昼過ぎに目覚めたタクヤは、エアコンのスイッチをいれてベッドから這いずり出た。

 ベッドに隣接した棚に、オーディオと来栖菜々美のアルバム数枚が立て掛けて並べてある。

 現実世界のタクヤ、"塚元卓弥"は、空腹に堪えながら電子ケトルに水を入れてスタンドに置くと、スツールの上にしゃがんだ。

 フローリングが冷た過ぎて足を下ろしたくない。

 テーブルの上に積んであるカップ麺を手に取ると、淀みない手つきでビニールを剥がして蓋を開ける。

 中に入っているブロック状の肉を、強烈な食欲を持って観察した。

 乾燥した小さな塊は、練り固めて圧縮されているのだろうか。素材は得体が知れないのに、こんな形に加工されてしまえば、食べることに抵抗はなくなる。

 蒸気が上り始めた。

 お湯の沸く音が聞こえるとほぼ同時に、電子ケトルを持ち上げてカップに注ぐ。

時計を見て時間を確認して、割り箸を割った。目標は二分。

早めでまだ麺が柔らかくなりきっていないのがちょうど良い。

 インスタント麺の香ばしい香りに腹が鳴る。

醤油と鶏ガラ、脂の混ざりあった良い匂いだ。

 時計を見て二分経ったところで蓋を全て剥がし、割り箸でかき混ぜると、音を立ててすすった。

(滲みる・・・)

 ため息を吐いた。

 白い息が、カップ麺の湯気と混ざり合って立ち上っている。

 よく食べる方なので、全く足りない。もう一つ食べようかとてを伸ばすが、堪えてシャワーを浴びに立つ。

 安アパートの床は冷たかった。

 浴室に入り、シャワーがお湯になるまでの間待つ。水の出る音が変わって湯煙が立ち上るまで、便器にしゃがんで待った。

 シャワーを浴びて出てくる頃には、部屋の中は暖まっていた。

 時計の針は午後一時半を差している。

 そこから動画サイトを眺めて一時間。お気に入りに登録してあるチャンネルをいくつも巡回する。

 歌ってみたり、弾いてみたりしてきた中の気に入ったものがアップされていた。が、一番のお気に入りは変わりがない。

 義足の女性がアコースティックギターを弾き、コンピュータがオリジナル曲を歌うのだが、その歌声のタイプに懐かしさを感じさせられる。曲調も来栖菜々美のものに近く、魅入ってハマりこんだ。

 いつもの間隔であれば、そろそろオリジナルの新曲がアップされる頃だったが・・・

 動画を観た後、デジタルデータ化した来栖菜々美のアルバムを再生し、伽耶にメールを書いた。

 その後、ダビングした土日のテレビ番組を見て一時間半。そこで早くも空腹を示すアラームがぐうぅと鳴り、食事に出掛けようと着替えて髪型を調えた。

 いつもならイザヴェルにログインする頃だったが、空腹に負けて出掛けることにした。

 卓弥は、髪の長さは違うものの、イザヴェルとそっくりな顔をしている。ボイスプラグも使っていないので、声もそのままだ。

 イザヴェルの知り合いが見たら、アレ?と思うだろう。

 鏡を見ながら、もう少し変えるべきだったかと物思いに耽った。

 準備を終えて扉を開けると、骨の髄まで凍りそうな冷風が吹き荒んでいた。出るかどうかを悩んだが、体が米を欲している。

(昔は自炊とか当たり前だったのになぁ。また作るようにするかな)

 出て、鍵を閉めるとダッシュで駅に向かった。

 空気が冷たすぎて鼻が痛い。

 体が鈍っている。

 部屋からすぐの大通りに出たところで、ヨタヨタと歩き始めた。

 イザヴェルに行くようになってから、完全な運動不足になったと感じた。

 高校までは希と同じ町道場に通っていたが、卒業を期にそちらもやめてしまった。続けていれば良かったなと思い返す。

 あの当時は希に想いを寄せていたのだが、同じ道場に通う先輩以外に男が映っていなかった。苦痛でやめたのだが、あのまま近くに居れば…、そんなことを考えながら牛丼屋に入った。

「よぉ、タクヤじゃん?」

 高校の同級生が座っていた。

 英雄好きのコンピュータオタクで、いつもノートパソコンを持ち歩いて居た男だ。趣味は極まったらしく、頭に変な物を被っている。

「入谷か。久々だなー。何だよ、その頭にくっついてるやつ」

 趣味に似合わぬイケメンの入谷は、全力で顔を輝かせた。

「よく聞いてくれた!これはね、自宅のコンピュータを全てリアルタイムにラグなしに遠隔操作する機械だよ。こないだプロトコルの追加もしたからね、これでヴァーチャル空間に飛び込むこともできるんだ」

 入谷は、どちらかと言うと天才の部類に入っているかもしれない。高校一年にして、痕跡を残さずにハッキングに成功するレベルにいたと記憶がある。その時の戦利品は、どこかの研究機関の極秘ドキュメントだったが、それを読みあさっては納得して頷いていた。

 その後、コンピューター部というオタク集団に入り込み、所々からジャンク品を集めてきて、ある理論を元に一つのコンピューターを作り上げた。

 カエサルと名付けられたそのコンピューターは、ジャンク品の寄せ集めにも関わらず、校内のサーバ全てを使っても処理能力に雲泥の差が出るほど高性能で、ある種のスーパーコンピューターとなっていた。

 カエサルは翌年、同じ高校に入学してきた入谷の弟が協力して強化に入り、天候のシミュレーションを楽々とこなすようなモンスターマシンへと変貌を遂げる。そのコンピューターに、教師陣は度肝を抜かれたそうだ。

 後にそのコンピューターの暴走で、校内のパソコンが全て使用不能になる事件があった。その事実は、当事者達の中で封印されることになったが、伝説となり受け継がれることとなる。

 バグが原因で、アイツは学校への反乱を企てた、と。

「そう。相変わらずだな・・・」

 食券を買って、一つ席を空けて隣に座った。

「タクヤ」

「なんだよ・・・」

「味噌汁奢るから隣に座ってよ」

「断る」

 大盛りの牛丼が卓弥の目の前に運ばれてきた。食欲が一気に増加していく。

 入谷は座ったままで、何も食べずに腕を組んでいる。

「入谷、注文してないのか?」

 口に物を詰め込んだまま問いかけた。

「もう食ったんだよ。実は、タクヤ来るの分かってたから待ってたんだ」

「エスパーか。相変わらずだな・・・」

 入谷はいつも、超能力でも使っていたかのような不思議な行動を取っていた。

 用事があるときは先回りして待っていたり、具合の悪い生徒を数分で快復させたり、封筒の中身を当てたりしたもので、同級生には魔術師と呼ばれていた。

 結果的にどれもタネはあったようだが、演出がうまかったのだろう。最後にはタネ明かしをするものの、それが起きている時はみんな騙された。

「違うって!タクヤ、ソーシャルのフレンド設定の近距離フラグがONになってるから、近く来ると分かるんだよ」

 そんな設定があることを、知らなかった。

 ある程度のカスタマイズはしていたが、詳細設定が多すぎて手に負えない。

「その、頭に装着してるやつでか?」

「まぁね」

 入谷は、被ったコンピュータをグリグリと弄り回して見せた。

 手作りなのだろうが、デザインまで凝っていて既製品のような美しい仕上がりだ。

 器用な男で、タブレット型のコンピューターも自作した。夏休み明けに披露されたそれは、店頭で見る品物と同等の質であったため、誰一人手作りを信用しなかったものだ。

「まるでストーカーじゃないか。キモいよ」

「悪かったな。・・・って言うか、なぁ、希ちゃんとはくっつけたのか?」

 古い話を持ち出された。

 一旦手を止め、店員が目の前を往復するくらいの時間考えて、

「・・・いや」

 と、一言返した。

 希の名前が出て、頭に浮かんだのはミシェルである。

「なんだよ、早いとこくっつけよ。俺困るだろ」

 なんで困るのか意味が分からない。

 入谷の考えていることは、いつも理解しがたかった。凡人の卓弥には理解が出来ない物の考え方をしていたような気がする。

 自分が愉しければそれが一番である。それは分かるのだが、結果的に何がしたいのかが分からないことばかりだった。

「なんで入谷が困るんだよ。それに、それもう終わった話だから」

 入谷は「ふーん」と、取って付けたように返し、

「ま、別にタクヤが誰を好きになろうと、俺が口挟むとこじゃないからね」

 飛躍した話に持ち込んだ。

 ガツガツと食べて、入谷の言葉はスルーした。

 別に嫌いな訳じゃないが、どうも今は絡みたい気分じゃない。

「タクヤ、今イザヴェルに居るだろ?本屋寄ってけよ。特集組まれてるの出てたよ」

 その言葉を残し、入谷は店を出て行った。

 あまり話しをしなかったが、久々に会ったにも関わらずあっさりと出て行ってしまい、寂しい気持ちにもなる。

 もう少し話してても良かったかなと思いつつ、肉を頬張った。

 腹が膨れた卓弥は、放浪するように街中を歩いた。

 雑貨屋を覗き、古着屋でコートを見て、喫茶店でコーヒーを飲み、

(優雅だなー)

 休みの日にこんな行動をしている自分が誇らしく感じた。

 牛丼の後味にコーヒーと言うのも悪くない。

 少しぶらついただけで日が沈み始めた。街灯が映えないので、中途半端に暗くて気分が沈んでしまいそうだ。

 家に帰る時間。子供の頃の記憶がふと浮かび上がってくる。

 入谷の言葉を思い出す。

 特別興味をそそられる訳ではなかったが、せっかくなので向かうことにした。

 入谷のことだから、待ち構えているかもしれない。そうであれば、捕まえて居酒屋にでも流れ込んでみよう。と、歩みを進めて小さく息を吐く。

 風は一層強くなり、髪が流される。

 地元ではかなり大きめな本屋が、パン屋に隣接して建っているのが見える。

 焼きたてのパンの香りに、帰りに買って帰ろうと決め、本屋を覗きこんだ。

 入谷の姿はない。

 寒風から逃げるようにして店内に入り、一番奥の漫画やゲーム書籍関連のコーナーに向かった。

 途中にある雑誌コーナーには、数年前は"来栖菜々美"の特集されたものが並んでいた。

 アンチが少なく、その性格の良さ、ルックスの良さで人気が高かったものだ。

 テレビにもよく登場していたし、ラジオの番組も持っていて、たまに天然ボケを披露しては笑いを誘った。

 明るく裏のない性格で、周りの悪ノリにも上手く乗ってみせたし、本当に嫌なことはキッパリと嫌であることを伝えられる。それが、テレビ向けの演技だったのかどうかは定かではないが、卓弥には好みのタイプに映っていた。

 よく笑顔に釘付けになっていて、基本的に執着心の少ない卓弥には珍しいほどののめり込みようであった。

 ゲーム書籍コーナーに、入谷の言っていた特集を組んだ書籍が置いてある。

 次回大規模アップデートに関する情報が掲載されていた。

 事前にネットで出ていた情報が殆どだが、よく読んでみると詳細も掲載されている。憶測で流れた部分が否定的に記載されていた。

 また、翻訳機能の試験が終わり、北欧でのサービスも開始となるらしい。

 食い入るように見ていると、いつの間にか大きなギターケースを持った女性が隣に立っていた。

 マスクを付けていて顔は見えないが、目元が美しい。

 卓弥と同じ本を手に取って少し中を読むと、そっと元に戻す。

 もしかしたらイザヴェルの住人かもしれない。

 声を掛けるかどうかで悩むうちに、ギターケースをフラフラと揺らしながら遠ざかって行った。

 暫く後ろ姿を追った。

 背格好だろうか、髪型だろうか、懐かしい雰囲気を感じる。

 メールが届いた。

 差出人不明の、件名が記載されていないメールである。スパムかと思い、削除しようとした。

 指が近付くと、自動的にプレビューが開く。挙動に一瞬戸惑いつつも、内容に目が行く。

『声を掛けるべきだよ。

 入谷』

 ゾクりとして辺りを見回す。入谷の姿はない。店の外から覗いている様子もない。

 見当たらないが、必ずどこからか見ているに違いない。

 入谷であれば、監視カメラをハッキングするくらいは簡単かもしれないと思った。

(ここまでするか!?)

 牛丼屋をチョイスしたことを後悔した。

(久々だけど、変人っぷりだけは変わらないな)

 それほど怒りはなかったが、かなり不愉快になっていた。

(やっぱり探そう。説教しなくちゃだ)

 待ち構えるか、探して回るか、メールで呼び出すか。

 最後の選択肢はすぐに消えた。画面を見ると、メールは既に消えていたのだ。

 メールのフリをしたアプリが、ハッキングされた端末に流し込まれたのだろうか。

 セキュリティにはかなり気を使っているが、入谷のスキルならあり得なくないことだ。

 探しだそう。

 そう行動してれば、向こうから現れるかもしれない。とは思ったが、ギターの女性が戻ってくるのが目に入った。

 少し動きがぎこちない。

 片足が素直に動かないように見えた。

 力が入らず引きずるような無機質な右足の動きに、それが義足であることを予感した。

 正面から見て初めて、卓弥の中で色々なものが結び付いて行く。

 お気に入りの動画の人物と、同じ足が不自由であること。

 正面から見た髪型と綺麗に染められた色。

 先日も見た動画の髪型との酷似。

 ギター。

 マスク。

 イザヴェルで身体が不自由であることを伝えられた時の状況が、何度も再生される。

 歌声がコンピューターのものである理由。

 人前に晒せない声。

 同じ声のアバターが、ボイスプラグではない。

 事故の噂と片足のない姿。

 引退。

 声を掛けるべきだよ。

 ドクンと大きく一つの鼓動が鳴り、全身の血が、指先まで感じられるほどに流れた。それは濁流を維持し、体温を上げていくように感じられる。

 鼻血でも出てしまうのではないかと思えるほど、血流は激しい。

 スマホを操作しながら近くに歩いてくる女性に、全神経が集中していく。バクバクと鳴り続ける心臓の忙しない興奮状態は、より一層ヒートアップしていった。

 海上で落とした宝石を見付けたような、見付かる可能性がないものが、予期せず眼前に現れた気分である。

 女性の目が、自分を見ている男の視線に気付いて慌てて顔を背けた。

 完全な条件反射的行動である。

 視覚からの情報が後追いで纏まり、目の前にいる人物がイザヴェルの住人であると判断した。

 目を丸めて勢いよく卓弥の方へ顔を向けると、何故か瞳が潤い始める。

 その行動が、卓弥の"もしかして"を、事実にまで押し上げた。

 高鳴るレベルを超し、鼓動は機銃の連射のようになる。毛細血管を流れる血流までもが圧を増した。

 恐らく向こうも、卓弥が誰だか気付いている。

 イザヴェルの自分と現実の自分。今ほど同じであって良かったと感じたことはない。

 ゴクリと一度、喉を鳴らした。

 その後の一言は、搾り出す必要はなかったようだ。

 軽く、優しい雰囲気を携えて出てくる。

「こっちでも会えたね」

 驚いた風もない、至って普通の言葉だった。



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