「やはり居た・・・。隣の部屋で堂々と寝てますね」
エレナは遥か遠くのビルの屋上からライフルのスコープ越しに自室の隣を覗き込んだ。部屋の中は暗いが、外からの光で壮介にも何とか見える。
見覚えのある銀髪が部屋の中で転がっているのが見える。寝ているのか、それとも何か作戦があって待ち構えているのか。
「確かにアイツだ。遠くから狙撃されるって事は考えないのか。ただのバカなのか」
どちらにしても、ここから狙う事は出来る。
本職のスナイパーではないから、この距離で当たるかどうかは分からないが。
「誘っているのですよ。礼を持って戦うのであれば、あの場に行くべきなんでしょうね」
と言いながらも、エレナはライフルを構えた。
壮介が準備した英国製のライフルは、エレナの身体の一部のように馴染んだ。
腕が伸びてその先に銃口があるような気分になり、照準を合わせると高揚感を感じられる。大昔、騎馬上から獲物を狙ったあの時の気分と似ている事に、エレナは懐かしさを感じた。
「当たらなければ、西に見える高層マンションに移るぞ」
「ええ」
エレナは集中力を高める。
呼吸を整え、自分の世界をスコープの中の小さな標的にのみ限定した。遠く下の世界から響く夜の蝉時雨が消える。
この場所は、的の居る場所から2km程の距離がある。現時点で世界最長の狙撃記録は2.5kmだが、エレナは本職のスナイパーではない。
現実的な話をすれば、特殊に開発されたこのライフルの公式に公開されている射程距離自体が1.4km程度である。現場の感覚ではそれ以降も正確に狙えているのだが、海抜の高さから考えて空気の密度は高く、弾丸が目標に届くまでに壁があるようなものだ。
エレナにこの狙撃を成功させる自信は全くない。
それでも良かった。逆に当てるつもりはない。倒す時は自分自身の手でやるつもりであった。
これは挑発行為であり、いつもどこからか狙われていると思わせることによる精神的な疲弊を促すためだけの、確実に勝つ為の布石としての行為である。壮介がどう考えているか分からないが、エレナにしてみればそれで良い。自分が狙撃手を買って出たのにはそんな理由もある。
この理由が無かったとしても、きっと壮介に銀髪は撃てないだろうと思った。普段から人の形をしていないものばかり相手していた壮介に、人と同じ形をした標的を撃ち抜けるとは思えない。例え内容が化け物だったとしても、人の形をしていれば人を殺すのと同じ感覚になる。引き金は引けないだろう。その為に引き金を引くのには資質が必要になる。
殺人者と同じような資質が。
壮介に殺人者になる勇気があるかどうか。心優しい彼には無理だろうと、エレナは考えた。
エレナは風が止むのを待った。それまでの間に銀髪が動けば撃つつもりだ。
隣でフィールドスコープを覗いている壮介が、付近の人通り等を監視している。夜も深けてきており、帰宅する人は疎らであったが、それでも何かの間違いで流れ弾が当たらないとも限らない。長く生きていて肝が据わっており、無感情に狙撃が出来るとはいえ、もしそうなれば面倒な事になる。
「・・・今!」
壮介の合図と共に、エレナは呼吸を止めて引き金を引いた。乾いた火薬の破裂する音と共に弾丸が宙に撃ち出される。
金属の弾は空気を裂いて飛行し、目標の足元に着弾した。フローリングの木材が砕けて少し飛び散るのを見て、壮介が舌打ちをする。
銀髪は飛び上がるようにして起きると、手早くカーテンを閉めて死角に入った。
「移動しよう」
その隣でまだスコープを覗いているエレナの頭をくしゃくしゃとする。
スコープ越しにエレナはまだ部屋を見ていた。
距離が遠く、その場に生命反応があるかどうかが分からない。だが、まだあの場所に留まっているだろうと思った。
「もう少し撃ちます」
荷物を纏めている壮介に一言伝えると、カーテンに向けて何度か引き金を引いた。
カーテンが撃ち抜かれて揺れる。
銀髪は、動揺くらいはしているだろうか。
「スコープ貸してください」
引き続き何発か撃つ前に壮介からフィールドスコープを借りて周囲を確認する。
人は殆ど居ない。
だが、見た事のある姿が二つあった。