吸血鬼

著 : 秋山 恵

逢着



「随分良いところ住んでるのね」

 紗季の見上げる先に、高級な新築マンションが建っていた。

 一階はガラス張りのロビーになっており、ソファが置かれていて、まるでホテルのロビーのようにも見える。

 振り返るとそこには駅があり、始発の電車が止まっていた。

 ロータリーにはこの時間でもタクシーが止まり、並びにあるコンビニは、外の明るさに負けない程に光を発している。

 街路樹が風に揺さぶられてザワザワと鳴り、明け方の蝉の鳴き声と合唱を続けていた。

「不満?家の場所まで知られて」

 紗季の作り笑顔に男の肩が丸まるように下がった。

 男の名は吉本浩介。一時間程前に紗季に一捻りにされた男である。

 紗季が浩介の住んでいる場所を把握したのは、これ以上の被害者を出さない為の抑止力と、少なからず同じ血を得た仲間と、今後もやり取りをする為であった。

「不満っつーか、怖ぇよ・・・」

 顔を逸らしたまま、小さな声で呟く。

 浩介が目覚めてから、多くの話をした。

 途中圧力を掛けたりもしたし、話を聞かない時は少々実力行使もした。ちゃんとした血を得ていない力の弱い浩介からすると怖い相手になってしまったようだ。

 脅かし過ぎであったかもしれないと思い、紗季自身少し反省もしていた。

「別に、取って食ったりしやしないわよ」

 紗季は苦笑いをしながら、萎んだ男の頭をクシャクシャとかき回した。

 多分、浩介は紗季よりも年が上だろう。だが、紗季の物の言い方は、出来の悪い弟に言い聞かせるような優しさがある。

「女が好きなら、あっちこっち駆けずり回って好きなだけ抱けば良いでしょ。でも、我慢せずに血を得るのはダメ。自分を見失うのよ。そのままほっとくと、よく映画に出てくるような狂った吸血鬼になるから」

 エレナが過去に見てきた記憶が、紗季の脳裏に朧げながら浮かび上がる。見付ける度に不快な気持ちを押し殺して仲間を葬り続けてきた、昔の黒い記憶が。

 エレナが行方不明である以上、唯一の同族に同じような目にあって貰いたくない。その気持ちが大きかった。

 だが、今のまま血を求めて彷徨うようなら、エレナがしていたのと同様に命を奪う事になる。

「最近明るいの苦手でさ。俺もう寝るし、上行くから」

 頭に乗った紗季の手を振り払い、頬を膨らませて建物の中へ入っていった。

 陽はまだ登り始めたばかりだが、一時間もしない内に強い日差しが辺りを照らし始めるであろう。

 離れていく浩介の背中を見ながら、自動ドアの閉まる直前に、

「偶に連絡するからね!」

 と大きく声を掛けた。

 紗季の言葉に、振り向きもせずに手を振ると、同族の若い吸血鬼はエレベーターの中へと消えて行く。

 暫くそのエレベーターを見ながら、ようやく同じ血の流れる仲間と出会えた事に対する喜びを味わった。

 これからどうなるかは分からないが、少なくともたった一人ではなくなった。そして、それだけでも十分だとさえ思えた。

 東の方にある建物と建物の隙間から、強い光が覗き始める。

 手のひらでその光を遮りながら、紗季自身も、そろそろ住みかに戻ろうと踵を返した。



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