ラリー、やろうぜ! 第二章

著 : 中村 一朗

A.ムサシノシリーズ・秋の陣


 うっとうしい夏の暑さもようやく終わり、オレンジ色の秋風が吹き始めた十月初旬。

 研究室で帰り支度をしていた僕に、服部が、唐突な電話をかけてきた。

“キャッシュラリー”以来だ。

 よう、久しぶり、と返した直後。

「ムサシノシリーズの“クォーター7スポーツラリー”に出たいんだけど、どうよ?」

 三つほどゆっくり数を数える程度の沈黙の後、ぼくは口を開いた。

「…つまり、ぼくにナビをやれってこと?」

「そう。十月の最終週の土日。空いているよな」

「一応、大丈夫だと思うけど…」

 そう答ながら、頭の中でカレンダーをめくってみる。

 学園祭の前の週だから、学生たちは忙しい。

 逆にぼくは、学生相手の雑務からは解放されて暇になる。

 この暇を当て込んで、毎年内田教授が論文作成のデータ整理を命じてきたりするのだが。

「よし!じゃあ、決まりな。申し込んでおくから」

 ああ、いいよ、と、答ながら、思い出した。

「…でもさ、おい。確か、“クォーター7”って、計算ラリーじゃなくて、ムサシノシリーズの本戦だったんじゃないか」

「ああ。そうだよ。でも、計算セクションもちゃんとあるから、ナビの仕事も多いぜ」

「お前、今年は計算ラリーに徹するって言ってなかったっけ?」

「前言、取り消し。と、言うことで。じゃあ、また電話するわ」

 あっさりと言ってのけると、服部はさっさと電話を切った。

 携帯電話を懐にしまいながら、夕暮れの窓ガラスにぼんやりと映っている自分の顔をチラリと見た。心霊写真のような無彩色の仏頂面が、こちらを見つめ返していた。

 僕はパソコンを立ち上げ、“クォーター7スポーツラリー”について調べだした。

 そして15分ほどして、窓ガラスに映ったままの仏頂面を睨みながら、大きくため息をついた。


 あれから、二ヶ月。

 実は僕は、次のラリーへの参戦を心待ちにしていたのだ。

 もちろん、ビギナー向けの計算ラリーのことだけど。

 そのためにコツコツとラリーについて調べたり、“キャッシュラリー”での出来事を頭の中で反芻して、同じ過ちなど繰り返さないように何度かシミュレートしていた。

 もう大丈夫…、と、そう思えるようになるまでに、ひと月ほど。

 そして、先週の九月の最終週に、“キャッシュラリー”の次戦になる計算ラリーが開催され、服部から誘いがなかった僕は、指をくわえてそのイベントを見送った。

 奴は以前から、九月は忙しいから参戦は無理かもしれない、と言っていた。

 だから、見送るのは仕方がないと思っていたし、僕のほうから参戦の催促をするのもなんとなく気が引けて、連絡もしなかったのだ。

 そして、横柄な今日の電話。

 しかもその主旨は、計算ラリーどころか、ムサシノラリーシリーズ本戦の中でも、最もハードに走らせるといわれている“クォーター7”に出たい、などという。

 ネット情報によれば、“クォーター7”は過酷だ。

 まず午前中にジムカーナのSSから始まり、午後から、〔レッキ〕という複数の全開走行区間の試走。そして夕方から、そのレッキ区間をSSセクションにしたスピードラリー。さらに、これらをつなぐ通常の計算ラリーセクションがある。

 朝の集合から明け方近いゴールまで、20時間近く走るらしいのだ。

 例年の走行距離は、300km前後。

 そのうちの全開走行区間は50km程度だけど、新品タイヤがほぼ丸坊主になるらしい。

 加えて、オール舗装セクションなのにリタイア車両も多く、酷い場合はエントラントの三分の一近くにもなるという。

「何、考えてやがんだ…」

 と、つぶやいてみたが、率直で単純な服部が何を考えているかは明白だ。

 早く、林道での本気の全開走行をしたいのだろう。

 元々、峠の走り屋としてはかなりの腕自慢だったのだし、前回のイベントでは計算ラリーという特殊なフィールドと、ラリー車両という特殊な改造車に戸惑っていたのだ。

 つまり愚直なまでのクソ真面目が災いして、本来の運転技量を発揮できなかった。

 ある意味では、“歩きウンコ”先輩が服部に邪悪な魔法をかけたようなもの。

 だから気持ちはよく解るし、スポーツラリーのナビとして横に乗りたいとも思う。

 でも同時に、僕は“野良猫ランサー”の身の上を案じている。

 鏡に映る仏頂面の正体は、その一点こそが最大の理由だ。

 そしてもうひとつ、気になることがある。

“歩きウンコ”先輩の運転する“野良猫”の助手席で感じた、独特の緊張感。

 すでに忘れたつもりでいても、骨の中にまで染み付いているものを思い出させてしまう、原始的な闘争本能ともいうべきあの衝動。ラリードライビングは、武道の試合と共通したものがあるのかもしれないと、あのとき僕は思った。

 果たして僕は再び、服部の運転でもあの時の感触を味わうことが出来るのだろうか、ということ。もちろん、痛い思いなどしないという条件付で。



top