ラリー、やろうぜ! 第一章

著 : 中村 一朗

I.完走、そして…


 モータースポーツのゴールシーンは華々しいもの。
 チェッカーフラッグが振り下ろされ、カーニバルのような大騒ぎを連想していた。
 中継のサービスがあれだけ賑やかなんだから、ゴール会場もさぞかし、と。
 でも、どうやら国内ラリーは例外らしい。
 ゴールラインの付近にはだれもいない。
 そこを通り過ぎて駐車場に向かうと、オフィシャルが一人、赤色灯を振っていた。
 その誘導にしたがって、ゼッケン順に駐車した。
 しおれかけた風船みたいに、覇気のない、疲れきった顔があちこちにある。
 たぶん僕も、同じ表情なのだろう。
 “野良猫”が戻ったときには、すでに30台以上のラリー車が駐車場に並んでいた。
 半分以上の車は無人。
 休憩スペースのバンガローの大広間に入っているのだろう。
 駐車場に残っているドライバーは、眠そうな顔で立ち話をしている。
 ナビは、車の中で結果を計算中。
 ベテランのナビはここに来る間に済ませてしまうらしいが、僕はせいぜい、コントロールシートにCPカードを順番に貼り付ける程度のことしか出来なかった。
「先に、中に入ってていいよ。まだ少し、時間がかかりそうだから」
「いや、ここにいる。ゆっくり、やってくれ」
 服部は車の外に出て、整理体操のつもりか、大きく伸びを繰り返している。
 後ろゼッケンのクルーも次々に帰ってくる。
 顔見知りになったクルーたち同士で、つかの間の井戸端会議が再開されたようだ。
 10分ほどで、僕は計算を終えた。
 第2ステージの減点は、17点。
 “0”が2つに、“1”が3つ。
 “2”は5つで、“4”がひとつ。
 “4”は、言うまでもなく、松姫の下り。
 僕が5、6秒の先行を指示した箇所だ。
「おっ!意外に、いいじゃん」
 窓越しに覗き込んだ服部は上機嫌だ。
「まあ、思っていたよりはマシだったね」
 僕らはゴール会場の大広間に行き、入り口でコントロールシートを提出した。
 ちらりと見たほかのクルーの第二ステージの減点は、だいたい僕らのと同じ程度。
 吉山・柳沢チームには1点差、山内・河野チームには4点差で負けた。
 靴を脱いで大広間に入ると、そこここから騒ぎが聞こえてきた。
 一番の馬鹿騒ぎをしているのは、やはり“Jリーグ”の一派だった。
 僕らがきょろきょろしていると、吉山さんたちが手招きしてくれた。
 そのあたりに、初心者チームが集まっている。
 井戸端会議のメンバーが、車座になって話していた。
 と、言うよりは、既に宴会状態だ。
 座の真ん中には、ビールとお茶とコーラとジュースが仲良く並んでいる。
 それを囲んでいるのは、学生から中年までの楽しげな男女たち。
 それでも、十分に盛り上がっている。
 競技ストレスからの開放感は、学園祭の打ち上げにも似ている。
「ヨウ、お疲れさん!風呂、入れるぜ。沸かし直しの鉱泉だけど」
 缶ビールを片手に、山内さんが教えてくれた。
「わあ、ありがたいな。じゃあ、さっそく。で、アキラは?」
 温泉好きの服部は、そそくさと温泉セットをバッグが取り出した。
「僕はまだ、いいや。後で入る」
 僕の目は、座の中央に置かれている500mlの缶ビールに釘付けだ。
 とにかく、まずは一口。
 そのためなら、悪魔に魂を売ってもいい。
「水谷さん、お疲れ様。遠慮なく、どうぞ」
 僕の熱視線に気づいた柳原さんが、よく冷えた“エビス”を差し出してくれた。
 女神様みたいな方だと思いながら、感謝して受け取った。
 プルリングを引き、喉いっぱいに流し込む。
「クゥ~!…黄金の味だ」
 そう言ったかどうかは覚えていない。
 それがきっかけになって、僕も宴会の輪の中に入った。
 服部が風呂から戻ってきたのは、だいたい40分後。
 酒が飲めなくても、服部はすぐに誰とでもなじむ。
 ゴールしてから約二時間、僕らのコンパ状態は続いた。
 途中で主催クラブの用意した弁当が回ってきたが、食べたかどうかは覚えていない。
 午前七時十二分。
 暫定の成績表が壁に張り出された。
 僕は、入試の合格発表を見るようなドキドキ気分で駆け寄った。
 “野良猫”のクラス順位は、4つ上がって、9位。総合では、23位。
 服部は酒も飲んでいないくせに、幸せそうな顔で一時間前から大いびきをかいている。
 起こそうかと思ったが、あんまり気持ちよさそうに寝ているので、やめておいた。
「おい!ポイント、ゲットだな!」
 後ろから右肩をどやしつけられて、振り返る。
 そこに、松尾さんの顔があった。
「あっ!どうも、ありがとうございます。すいません。あっちで楽しく飲んでいて、ゴールしてからあいさつにいくのを、すっかり忘れてました」
 なんとも無礼な弁解と気づいたが、途中で言葉を止めることができなかった。
 酒のせいじゃない。
 もっとずっと、タチの悪い理由。つまり、僕の人格的な問題なのだ。
「別に、あいさつなんかいいよ、で、初ラリーは、どうだった?楽しめた?」
「はい!ゴール会場のコンパは、最高です!」
「アホ。ラリーのことを聞いてんだ」
「はい。ずっと緊張してました。正直、楽しいというよりは、苦しいですね。でも、くやしいから、しばらく続けることにします」
 松尾さんは、にやりと笑って小さく頷いた。
「そうか。で、服部はどうだった」
「相変わらず、ヘタクソです。でも、今日一日で、ずいぶん運転が変わったような気がします。あいつもたぶん、そう思ってますよ。酒が飲めたら、荒れてるでしょうけど」
 服部が下戸のおかげで、僕は存分に飲めるのだから、ありがたい限りだ。
「こっちも、みんな荒れてて大変だったからね」
 松尾さんは、成績表と“Jリーグ”の面々がたむろする方向を顎でさして笑った。
 “Jリーグ”は、5クルー全てが壊滅的な成績だった。
 最下位のワースト3を独占しただけでなく、ベスト10に入賞したクルーは誰もいない。
「仲良く喧嘩しているみたいに見えますけど」
「そう。そんな感じ。結果的には、良かったんだよ。このラリーで勝ったら、またヒンシュクを買うところだった。本戦でいつもメダルを独占するから、バチが当たったのさ」
 松尾さんが、意地悪そうにほくそ笑んだ。
「ところで、四谷先輩は…」
 そう言いかけたとき、松尾さんの後ろに、白髪頭につばつき帽子をチョンとのせた目つきの悪いおじさんが近づいてきた。
 古い日本映画に出てくる、酔いどれ医者のような雰囲気だ。
 確か、“キャシャーン”上町さん、だったと思う。
 その気配を察して、松尾さんが振り向いた。
「松尾くん。“1ステが61点だった”村木さん、知らない?」
 僕はその日本語が直ぐに理解できずに、少し動揺した。
「えっ?知りません。村木さん、いないんですか?」
「うん、そう。20分くらい前から。せっかく暫定成績が出たんだから、早く教えてあげないと、かわいそうだからさ。たぶん、どっかで、拗ねてんだと思うな。森さんの車の中じゃないかな」
「そうかもしれませんね」
「総合順位32番だったって、ちゃんと教えてあげなきゃ。岩村さんと西口くんには勝てたって。呼んできてあげてくれない?“1ステが61点だった”村木さんをここに」
「わかりました。ところで、四谷のバッグ、見つかりました?」
「まだみたいよ。さっき、脱衣場にもなかったって、泣きそうな顔してたから。まあ、ここで無くしたんなら、出てくるよ。盗まれることはないから。じゃ、よろしくね」
 上町さんはそれだけ言うと、きびすを返してふらふらと歩き去った。
 僕らはその後姿をしばらく見送っていた。
 やがて上町さんは“Jリーグ”王国の領土に戻ると、冗談みたいにパタリと倒れて寝てしまった。帽子のつばを、アイマスク代わりにして。口を半開きにして。
「あの人、あれで下戸なんだよな。村木さんもだけど」
「へえ、そうなんですか。お二人とも、水槽一杯の酒、軽く飲み干しそうですけど。ところで、四谷先輩、バッグを無くしたんですか?」
「まだ、探してる。けっこう、パニクってる。でも、すぐに出てくると思うけどね。表彰式のときにでも、みんなに聞いてみればいいし…」
 そういいながら、松尾さんの声がだんだん小さくなっていった。
 少しうつむき、何かを思いついた様子。
 “いいか!いいか!”の四谷先輩のバッグは、僕にも見覚えがある。
 ここに来て直ぐに、鳥小屋の中で先輩が抱え込んでいた代物だったからだ。
 バッグは、鳥小屋の中に放り込まれていたという。
 放り込んだのは、“インディアン魔神像”の村木さん。
 その村木さんは今、森さんの車の中でフテ寝しているらしい。
 僕は松尾さんの目を覗き込んだ。
 松尾さんも、僕の視線に気づいた。
 互いの目の中で、小さな歯車がカチッとかみ合った。
「…ダチョウ…小屋?」と、僕は呟いた。
「そう。たぶん、正解だ」と、松尾さんが答えた。
 信じられない、と思ったのが僕の本音だ。
 想像を絶するいじめっ子ジジイの村木さんはたぶん、四谷先輩のバッグを盗み出し、性懲りもなく、またあの鳥小屋に放り込んだに違いない。
 そして村木さんは、森さんの車の中でフテ寝中なのだ。
「だけど、なんで、そんなことを?」
「そんなこと、知らないよ。でも、あの人なら、やりそうなことだ」
 成績が悪かった腹いせなのか、単に執拗な意地悪をしてみたかっただけなのか。
 どう考えても、僕の常識を超える人たちの中でも突出した怪人なのだから、わかるはずがない。僕よりもずっと付き合いの深い松尾さんでも理解できない人物らしいのだ。
 僕と松尾さんは大広間を出て、駐車場に向かった。
 朝の強い日差しが強烈に眩しい。
「それにしても、村木さんて、捕まえた蛇を輪切りにして遊ぶような人なんですね」
 何となく、酔った頭に浮かんだ思いつきの言葉だった。
「どちらかと言えば、捕まえた蛇を、生きたままネクタイにするような人なんだよ」
 僕はどう切り返すべきなのか判断できずに、無言のまま先を急いだ。
 鳥小屋は、緩やかな坂を登った先の駐車場の外れに設置されている。
 僕の少し先を歩いていた松尾さんが、ふいに立ち止まった。
「あれ?」と、つぶやきながら。
「どうしました?」
 その直後、落雷のような轟音が響いた。
 それが人の声だと気づいたのは、3秒後。
「松尾!松尾!」
 その、けだもののような叫び声に、松尾さんは飛び上がった。
 すぐに、声のするほうに全速力ですっ飛んでいく。
 僕は酒のせいで、急いで走ることが出来ずに小走りで後を追った。
 松尾さんは鳥小屋の前で立ち止まり、少し遅れた僕も、その横に並んでそれを見た。
「何、見てんだ、この野郎!早く、鍵を開けろ!」
 鳥小屋の中にいたのは、真っ赤な顔で怒鳴っている村木さんだった。
 右手には、四谷先輩のバッグを握りしめたままで。
 そして村木さんの後ろには、でっかいダチョウ。
 キョトンとした顔で、僕らを見下ろしている。
 松尾さんはあわてて、扉の落し鍵を開けた。
 村木さんは、61歳とはとても思えない素早い身のこなしで飛び出してきた。
「村木さん、…いったい、どうして」
 松尾さんの言葉に、僕は不思議な既視感覚(デジャ・ヴュ)を連想する。
 無論、昨日の夕方の、服部の台詞とかぶったからだ。
「中に入ったら、勝手に鍵が下りやがった」
 村木さんはバッグを叩きつけるように松尾さんに押し付けると、僕には視線すら投げずに、とっとと歩き去っていった。
 僕らは、村木さん後姿がバンガローの玄関の中に消えるまでじっと見ていた。
「つまり、バチがあたったってことですか?」
「…まあ、そうかもね」
「こんなこと、本当に起きるんですね。きっと、三流のギャグ漫画でも、こんなネタじゃあプロット段階で編集者が没ですよ。あまりに、ありえないって理由で」
「ラリー長くやってると、信じられないようなバカバカしいことが、よく起こるからなあ」
 この後、松尾さんはその“信じられないようなバカバカしい話”を幾つか披露してくれた。僕は敢えて、その内容についてはここでは触れないことにする。
 だって、本当に“信じられないようなバカバカしい話”だったのだ。

 結局、暫定成績はそのまま正式な“キャッシュラリー”の正式結果になった。
 僕らはクラス9位で、総合は21位。
 吉山・柳原チームはクラス8位で、山内・河野チームが9位だ。
 表彰式では、一応ポイントのつく10位まで表彰対象になり、僕らは賞品にTシャツ二枚と、ウィンドウォッシャー液のボトルを一本貰った。
 商店街のくじ引きが当たったような気分だったけど、妙に嬉しかった。
 村木さんが鳥小屋に閉じ込められた話は、後日、ネットのラリーサイトで話題になった。
「“Jリーグ”、バカまるだし!」と名づけられた投稿タイトルで、それなりに恨まれている“Jリーグ”が壊滅的結果だったこともあって、大いに盛り上がった。
 ネタを提供したのは、もちろん松尾さん。
 後で聞くまで知らなかったけど、松尾さんは“Jリーグ”のメンバーじゃないという。
 それを聞いて、ふと気がついた。
 あの時、村木さんを呼んでくるように松尾さんに声をかけたのは、上町さんだった。
 四谷先輩の相棒とはいえ、チーム員でもない松尾さんに、何でわざわざ村木さんを呼んでくるように命令したのだろうか。もちろん、縦型社会の偶発的な出来事とも思うけど、実ははじめから意図的なものだったんじゃないかと、僕は疑う。
 つまり上町さんは、村木さんが鳥小屋に閉じ込められているような滑稽な状況を、予め知っていたんじゃないか、ということ。
 身内のメンバーなら、村木さんの顔色を伺って、ネットでの公表は控えただろう。
 ネタとしても、あまりにもバカバカし過ぎてうそ臭いものだし。
 でも、メンバー外の松尾さんなら、面白ネタとしてすっぱ抜ける。
 第三者の事件報告として信憑性は上がるし、村木さんとの関係からも角は立たない。
 上町さんはその後の流れを予知した上で、松尾さんを村木さんの救出に向かわせた可能性は大いにある。自分で助けようとはしないで、村木さんをあのまましばらく放置して。
 四谷先輩に言わせれば、上町さんは村木さんの同類だという。
 つまり、「面白ければ、なんでもOK!」…みたいなところがあるらしい。
 チーム員が直接のライバルでもある奇人変人同盟の“ムサシノJリーグ”の人間関係には、底知れない闇が潜んでいるのではないか、と僕は思った。
 ラリー自体は、予想以上に面白かった。
 でもそれとは別に、“あの毒気”をもうすこし嘗めてみたくて、服部からの次のラリー参戦予定の連絡を、今の僕は楽しみにしているのだ。


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