秀綱陰の剣・第七章

著 : 中村 一朗

平泉の怪物


 奥州・平泉

 かつて藤原一族の統治により栄華を誇ったその地から遠く東に広がる山々。土地の者によりいつの頃からか鋸引山と呼ばれていた。高い山はない。寧ろ丘に近い山並みが続く。それ等を囲む広大な森は深く、水源にも恵まれている。そこに住む動物たちも多かった。周辺の土地にあまり雨が降らぬ年でも、山々の泉には豊富に水が湧き出していた。

 近在の農民たちは幾年かごとに訪れる水不足と十数年ごとの飢饉の度に、鋸引山の動植物層に救われてきた。ために、飢餓で子まで間引かねばならぬ以北の寒村に比べて悲劇は少ない。豊かではない。が、貧しくもなかった。それが鋸引山にある水源の恩恵であることを皆が身の奥深くまで知り抜いていた。実際に山々に頼ることよりも、常にその大きな存在を目に出来る安心感が貴重であった。飢餓の恐怖から自分たちを守る山とその森に対しては、ある種の信仰に近いものがその地の農民たちの間にはあった。

 ただし、十年前の事件までは。

 昼近い森の中を人影が行く。けもの道を進む若い男たちの数は七人。武装した者が六人と荷を運ぶ男が一人だった。六人はいずれも近在の村々から選ばれた屈強な農民たちである。先頭と後方に槍を持つ一人ずつを置き、刀を携える間の四人が周囲を監視する六角陣形をとっていた。荷担ぎはその中央におり、その男が一番の重労働を強いられていた。

 空に雲はなく、日差しが強い。日陰の暗い土中や枯れ葉の下にはまだ霜柱が残る。

 初冬の匂う北風に晒されているにもかかわらず、彼らの額にはうっすらと汗が滲んでいた。心地よい木もれ日の陽光も彼らには縁遠い。身の隅々までも湿らせているのは冷や汗であった。緊張の面持ちですでに一時以上、村を出てからずっと歩き続けている。危険だと言われる地域からはまだ遠いが、それでもいつ襲撃を受けるかわからない。この十年間に六人が殺され、十数人が不具の体にされた。重軽傷の怪我を負った犠牲者は百近くを数えた。中には女子どもも含まれている。それも、鋸引山に入ったというだけの理由で。

 相手は、ただ一人。いや、一匹の化獣である。〃赤目〃と名づけられていた。

「よし。ここらで一服だ」

 先頭の一番大柄な男が立ち止まり、恐面の顔で振り返りながらいった。右手の十文字槍の柄を、ドンと地に打ちつけながら。六人は足を止め、それぞれ周囲に気を配って、そろそろとその場に腰を下ろす。皆の口からため息が漏れた。

「油断するなよ。〃赤目〃が近くにいてもおかしくねえんだ」

 腰の竹筒から水を飲みかけていた清造と蓑作がギクリとして顔を上げた。怯えた目を背後に向ける。それを見て、大男が意地の悪い笑みを浮かべた。二人とも、大男の西隣の村から来た者たちだった。北隣にある別の村の由助と与一も同様に顔色を変えた。

(この腰抜けどもが…)と、内心の嘲笑が顔に出る。

 大男の名は茂吉。〃赤目〃の討伐を目的とするこの組の頭格である。

「茂吉。あんまり仲間を脅かすもんじゃねえ。みんな、ピリピリしてんだぜ」

 後方の源太が茂吉を窘めた。二人とも同じ村の出だが、昔から仲が悪い。が、互いに嫌い合っていることを熟知しているだけに、逆に上手く組んで仕事をこなすことが出来る。村の野良仕事だけではない。二人は農閑期に雇われ雑兵として戦場に参じたこともある。同じ足軽組に属しこそしなかったが、二人とも無傷で村に戻ることが出来た。戦場に出た回数は茂吉が六度。源太は五度である。今回もその経験が生きるものと暗黙のうちに了解している。奇妙なことに嫌い合う二人は、他の五人よりも相手の力量を認めていた。

「知ったことかよ。怖けりゃあ、帰りゃあいいんだ。好きで来る奴もいるんだからよ」

 茂吉が藪睨みの視線を四人に投げた。まともに見返すものはいない。村こそ違え四人とも茂吉の噂は聞いていた。茂吉は戦場で九人の雑兵を殺していると言われている。一方、彼ら四人は体格こそ良いものの所詮は地を耕すことを生業とする百姓である。それぞれがふとした事で戦場に一二度出た経験があるだけだった。その時も町場の喧嘩さながらに、敵味方の区別すらつかずに走り回っていただけである。殺人はおろか、剣を交えることすら出来なかった。人殺しに慣れた茂吉や源太と目を合わせることさえ憚られた。

「おれは、好んで来てる訳じゃない」

 茂吉に背を向けていた荷担ぎの伸介が吐き捨てた。背負子の緩んだ縄を締め直して立ち上がり振り返る。見た目ほど若くはないが、まだ少年の面影の残る男には細身だが茂吉にも負けぬ上背があった。引き締まった筋骨は百姓よりも武芸者に似合う。

「なんだ、おまえ…」

 茂吉の目が三角に吊り上がった。途端に槍の杷が伸介の頬に飛んだ。バシッと、肉を打つ軽い音が鳴った。首を傾げた伸介の唇が小さく裂けた。口元に手をやり、滲んだ血をじっと見る。血混じりの唾を足下に吐き捨てた伸介の目に茂吉への嫌悪の火が燃えた。茂吉の目にも似た類の炎が浮かんだ。自分への反発よりも、何の怯えも抱かない事が気にいらなかった。仕方がないとも思った。近在の村で茂吉を恐れぬものはいない。だがこの青二才は茂吉のことを知らないのだ。だから、早く教えねばならない。自分のことと規律を。茂吉はこれを今後の見せしめにするつもりになった。僅かでも逆らおうとする者には制裁を加える。赤目の討伐を目的とする以上、頭には絶対服従せねばならぬ事を徹底して皆に教えこんでおかねばならぬと信じていた。茂吉は槍を手放した。伸介を睨み据えるその目の中で凶暴な炎がぎらぎらと輝く。

 この急事に、当事者の二人よりも周囲の者たちが動揺した。

「よさねえか、茂吉」と源太。

「止めるな。このガキ、新参のくせに生意気だからよ。痛めつけてやる」

「伸介に大怪我をさせれば、この荷を皆で分けて運ぶ事になるぞ。それじゃあ、赤目が出てもすぐに動けなくなる。それに荷がなきゃあ、おめえの策が駄目んなっちまうぜ」

 背負子には七日分の食料と罠を仕掛けるための道具が納められている。重さも三十貫を越えていた。分散して各自が背負えば万一の〃赤目〃の奇襲に応じにくくなる。

 茂吉が僅かに躊躇った。それを見越したように伸介が視線を引き、身を屈めて再び背負子の紐を手に取った。荷の緩みを再び締め直す。その背をしばらく睨み、茂吉は喉の奥で毒突いた。伸介は十日ほど前に茂吉たちの村にふらりとやって来た漂白者である。庄屋の藤兵衛の納屋に寝泊まりをしていた。今回の編成に当たり、必ず役に立つ男だからと、藤兵衛に強く推されて茂吉はしぶしぶ伸介の参加を認めたのである。今にして思えば、なぜ断らなかったのか不思議でならない。伸介の素姓はわからない。藤兵衛の遠い縁者と紹介されたが、恐らく嘘であろうと確信していた。印象から伸介は戦場に出たことはあるのかも知れないとは思う。が、やはり気にいらなかった。全体の士気に関わることが予想されたなら、如何に藤兵衛の推薦でも不明の者など拒否するべきだったのだ。役に立ちそうもない他の村から選ばれた六人の若衆を送り返した自分であったのに。

 結果、六人で十分だった筈の隊が七人になった。

 鋸引山の森を囲む六か村百三世帯は、十三年ぶりの日照り続きのために深刻な水不足に見舞われていた。通年なら大水の心配すらする秋の長雨にも恵まれず、十月の声を聞いても川はまだ枯れたままだった。ひと月前、茂吉の村の者たち三人が糧を求めて山深くに入った。そこで赤目に遭遇し、三人とも手や足を折られて戻って来た。彼らは暗い森で襲われた。が、それでも赤目の姿を正確に捉えた者はいなかった。毛むくじゃらの大きな猿のような怪物だったと、落ち着いてから三人はかろうじて意見をまとめた。彼らの村だけではなかった。やがて起こり得る飢饉への恐れから、森の深くに赴いた隣の村人たちにも赤目の被害に遭った者が続出した。このひと月の間に六か村の重軽傷者を合わせて十三名。近在の村から赤目の被害者が出たのは五年ぶりの事である。

 以前は、赤目はただの伝説だと思われていた。鬼とも化生とも伝えられてきた〃赤目〃の噂は百年以上昔からあった。猪を追って鋸引山の奥深くまで踏み込んだ村人が、大きな丸太を投げつけられて逃げ帰ったというのが始まりと言われている。話を聞いて確かめに行った若い衆が大きな岩を幾つも投げつけられ、うち三人が大怪我をした。その時、彼らは大きな猿に似た真っ赤な大目玉の鬼を見たと告げた。以後、鋸引山の奥に行く者は怪物〃赤目〃に祟られるとされ、赤目が投げつけた岩があるところから奥が〃赤目〃の縄張りと定められた。村人たちは余程のことがない限り森の奥には行かなくなった。

 しかし言い伝えの持つ呪力も、世代を重ねるごとに薄らいでいった。

 その赤目が十年前から再び鋸引山に出没するようになった。

 旅の侍たちの惨殺が事の始まりである。雪解けから間もない春、山菜を摘みに行った村の娘たちが二つの死体を見つけた。どちらも無残な屍であった。ひとりは右腕と首が斬り落とされ、もうひとりは頭蓋を割られて首筋を食い破られていた。腕は刀を握ったままの状態で首と並んで死体の傍らに転がっていた。彼らは誰なのか。なぜ街道や民家から遠くはずれたその地に侍たちがやって来たのか。また、なぜ殺されていたのか。疑問の答は容易に推測することができた。彼らは関東から逃げてきた落ち武者ではないかと村人たちは考えた。奥州まで逃げてきて仲間割れを起こしたのだ、と。すると新しい不安が生じた。次は、自分たちの村が襲われるかも知れない。落ち武者が山賊稼業に身を落とすことはよくある。見回り役人との相談の末、六か村の者たちは万一の山賊の襲撃に備えて自警団を組んだ。月日が過ぎても山賊たちが里に下りてくる気配はなかった。やがてふた月ほど過ぎて山賊の噂が消えた頃、森の奥で再び首や手足を斬り落とされた無残な死体が見つかった。今度は、四つ。彼らも旅の侍であったことは後にわかった。発見したのは村の若い衆の三人だった。山賊の噂がたってからは森での薬草や山菜採りさえ男たちの仕事になっていた。山中で人の争う声を遠くに聞いて、彼らは駆けつけたのだ。賊に襲われているのが近在の村のものたちではないかと怯えながら。だが、彼らが到着した時には殺戮は終わっていた。暖かな木もれ日のもとに広がる地獄絵図。手足や首、引きずり出されたばかりでまだ湯気の立つ臓腑など、周辺に散乱する人体のかけら。生臭い血臓の匂いがあたりを包んだ。そして何よりも恐ろしかったのは、引きちぎられた四つの首に穿たれた両眼の暗い穴であった。地から生えたように横に並べておかれた四つの首。虚ろな死顔からえぐり取られた八つの血みどろの眼球は、かつての主の前で泥まみれになっていた。屍の部分部分には、もう蟻や蚋がたかり始めた。その悽惨な光景に誘われるように、村人たちは骸に近寄った。直後、彼らは森の奥に動く影を見た。暗がりに鈍く光る血走った野獣のような眼差し。迸るような敵意に村人たちは恐怖し、一目散に逃げ出した。しかしそいつは、村人たちの背に襲いかかろうとはしなかったという。間もなく自警団を伴った村人たちが死体のもとに戻った時には、怪物の姿は消えていた。その時から、怪物〃赤目〃の名が人々の口に蘇り、迷信深い村々で囁かれるようになった。伝説の怪物が戒めを蔑ろにして森を荒らしに踏み込んでくる人どもに怒り、爪と牙を振るったのだ、と。

 以後、十年。村人たちは鋸引山の森には近づかなくなった。無残な六人の死体から、村人たちは赤目が暗黙で求めた森の縄張りを思い知らされたのである。幸い良い気候に恵まれて豊作続きであったために、山深くまで行く必要はなかった。時折、誤って森の奥に迷った村人が赤目らしき物に脅かされて逃げてくる程度で、村々に被害を受けた者は皆無であった。せいぜい五年前に祭りの酒に酔った村の若者三人が強がって森の奥に踏み込み、赤目らしきものに襲われて大怪我をして戻っただけである。村人以外ではこの十年の間に流れ者や侍たちが赤目の被害に遭った。死者こそ出なかったが、多くの者が大怪我をさせられていた。そうした事から村人たちは、赤目の縄張りが十年が過ぎてもなお健在であることを知ることが出来た。赤目を知る者は誰も森の奥には行こうとはしなかった。

 だが今年の水不足は、村人たちを森に頼らざるを得ないところまで追い込んだ。村近くの森にある食べられる木の実や植物の数もめっきり減った。兎や猪も水を求めて山奥に消えたらしい。そうなれば、村人たちも森の奥に行かざるを得ない。生きるために、さらに森の奥へ。危険を承知で、赤目の縄張り近くまで。

 そしてひと月前に、赤目による村人の被害者が出た。あるいは戦国の気風がそうした選択を彼らにさせたのかも知れない。思案の末、彼らは赤目と戦う事を決意したのである。すぐに腕っ節の強い若者が各村から選ばれた。合議でそれぞれの村は二人づつの代表を出して赤目討伐隊を編成したが、頭格である茂吉がその内の六人を叩き出してしまった。戦知らずの腰ぬけだったから、という理由で。三人がかりの侍さえも殺されたのだと茂吉は指摘した。数に頼っても絶対に赤目は討てない。戦の怖さを知らぬ者など足手まといになるだけだと強硬に主張した。茂吉の言い分には理があった。多くの者たちを殺し、傷つけてきた赤目の討伐が目的である以上、楽観は許されない。若者を返された三つの村の庄屋たちも納得し、乏しい懐からなけなしの金子を吐き出してその代わりとした。

 斯くて六人の村の代表に一人を加えた討伐隊は鋸引山の森に踏み込んだ。彼らには赤目を捜し出す必要はない。赤目の方で彼らを見つけて攻撃を仕掛けてくるとふんでいる。その時こそ六人の連携が有効になる。そのための準備には十分な訓練を積んできた。どれほど恐ろしい怪物であっても生き物である以上、策にはめれば勝機は十分にあると茂吉は考えていた。茂吉は性根の曲がった人殺しではあったが、悪知恵は良くまわった。飢饉に怯える六か村の死活は茂吉の策の成否にかかっているのである。

 約四半時の休憩の間、皆沈黙のまま口を訊こうとはしなかった。間もなく赤目の縄張りに踏み込むことについて、それぞれに様々な思惑がある。程度の差こそあれ、赤目への恐怖は誰もが抱いていたが、それ以上に功名心の方が遥かに大きいことが共通の心情であった。戦場帰りの彼等は堅気な農民たちからは一様に白い目で見られてきた。兎の巣に住み着いた狐のように。例え人を殺してはいなくとも、金のために人を殺す職につこうとしただけで地を耕して生きる彼等とは異質の属に分類された。だが、赤目を捕えるかあるいは殺すかすれば、汚名を晴らすにとどまらず一躍村の救い主に奉られる。鋸引山の森から赤目を排除することは村々を飢餓から救うことに繋がる。六人の誰もがこの機会を逃したくなかった。この点に関しては、茂吉さえ例外ではなかった。

 茂吉は生粋の村人ではない。幼い頃夜盗に殺された両親の親戚を頼って、十七年前に二人の弟と妹を連れて流れてきた。その親戚の家での暮らしが茂吉の心を歪めた。家の子等が遊んでいるのを尻目に、日の出から日没までの畑仕事。食事は日に一度。やがて五年後に弟と妹がはやり病で死んだ。その時の病は村中を襲い、親戚夫婦も高熱に苦しみながら死んだ。病魔が去った時には、残された家の子等と畑仕事の一切を茂吉が取り仕切るかたちになっていた。その子等も茂吉とともに日の出から日没まで働くことになった。ただし食事は平等に日に二度。暮らしは貧しかった。それで、茂吉は戦場に出た。

 茂吉は戦で九人を殺していると言われていたが、実際は十人だった。味方の足軽組頭を殺している。それが最初の殺人になった。初めて戦に加わったのは天文十五年の四月、川越での大きな戦であった。たまたま出稼ぎで高崎まで出ていた時に人手を集めに来た口入れ屋の話に乗って、上杉勢として出兵することになったのである。茂吉は引き受けてから四日後には西に河越城を見下ろす丘の陣に入り、その三日後には上杉軍が攻略したばかりの名もない小さな砦の警備に送られていた。そして明くる日の払暁、砦の最外郭見回りの任についていた茂吉たちの組は、忍んできた武田軍の斥候と遭遇した。戦闘が始まった時の茂吉の記憶は定かではない。いきなり隣にいた雑兵の首に矢が刺さって倒れたのが混戦の始まりだった。争ったのは敵味方合わせて十数人。靄に霞む朝闇の中で、丈高い葦の群生を踏み倒しての乱戦となった。最初、茂吉は矢で倒れた仲間の体に躓いて転んだ。慌てて起き上がったところ、まだ息のあったその男が茂吉の足にすがりついてきて、また転んだ。そこに敵の足軽大将が倒れ込んできた。茂吉を死体と勘違いしたその足軽大将は、茂吉の体を押しのけるようにして立ち上がった。そいつが背を向けた時、茂吉は手にしていた竹槍を夢中で振り回した。それが頭に当たって男が驚愕の表情で振り向いた。血がだらだらと耳から頬に、さらに肩へと流れ落ちる。まともに目が合った瞬間、茂吉の意識はぶっつりと途切れた。次に気づいた時、血溜まりの中で倒れたまま二つの血みどろの肉塊と化したものを竹槍で繰り返し繰り返し叩き続けていた。左腕が焼けるように熱い。見ればそこに槍による浅い刺し傷があった。いつやられたのかまるで意識にはない。自分の血と返り血が混ざり合い、茂吉の全身を赤黒く染めていた。二人を殺してしまったのは偶発的な出来事だった。ひとりは敵で、もうひとりは仲間。周囲にその様を見ていた者はいなかった。殺しはしたが、その時の茂吉には敵の首を落とすだけの時間も度胸もなかった。その代わりにそいつが持っていた槍を盗んだ。それが、今も持っている十文字槍である。

 茂吉は味方の陣に戻らず、そのまま村に逃げ帰った。やがて援軍に破れた上杉軍が河越から撤退したこともあり、茂吉の脱走に気づいた者さえいなかった。また雇われ雑兵の脱走など珍しくもない時代だっただけに茂吉が約束の金を手にできなかったことを除けば、何の問題もなかった。死んだ足軽の首は持ち去られ、仲間の誰かの手柄になった。

 茂吉の脱走は戦況に爪垢ほどの影響も残さなかったが、その精神を大きく変えた。正確には、隠れ潜んでいたもうひとりの自分に気づかせた。心の奥底でじくじくと滾っていた他者への恨みや嫉み、長年の不遇な暮らしへの怨念とともに成長していた〃そいつ〃がどす黒い腐臭を纏って表に飛び出したのだ。一見、茂吉は以前よりも陽気になった。だが少し話せば、その目の奥でちろちろと燃える食肉獣のような黒い炎には誰でも気づく。

 二年後、茂吉は別の小さな戦場で敵の足軽を二人殺した。歴戦の侍たちのように戦利品の槍でとどめを刺し、普段は野良仕事で使っている鉈で首をはねて腰に吊した。その首を見下ろしながら、何の呵責も感じないでいる自身が意外だった。茂吉のいた軍は大勝し、ふたつの首は恩賞に変わった。恩賞の半分は三日三晩遊女を抱き続けて消え、残りの金を持って村に帰った。同じ戦場に源太がいたことは後で知った。その翌々年、茂吉は別の戦場でひとりの敵兵を殺した。この時は隣村の清造と蓑作も一緒だった。戦は金になると茂吉が二人を誘ったのである。二人は茂吉と同じ組になり、茂吉が人を殺す様を見て震え上がった。茂吉は殺した三人の首を、まるで稲の穂を刈るように平然と切り落とした。彼らの軍は勝利し、三人は金を持って村に戻った。隣村の二人は戦場での茂吉の行為を皆に吹聴した。噂は六か村にすぐに広がり、望む望まぬに係わらず茂吉は以前以上に畏怖の目で見られるようになった。此度の編成で茂吉の意向が重視されるように村人たちが計らったのもそうした経緯によるものだった。怪物を狩りたてるには獣たちを使うに限るから。加えて理由はもう一つ。茂吉は十年前に赤目が現れた場所を知っていた。



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