短編集

著 : 麻見 博之

記憶


 高温で熱せられ、ぐにゃぐにゃと混ぜられている。


 と、いうのが最初にあった。

 それ以前は記憶があるのか無いのか、寝ていたのか。


 永遠に続くと思われてた緩やかな動きが、ある日上に向かいだした。赤くどろりとした光を放ちながら。

 ガスや空気と混ざりあい、強い圧力が掛かった後、轟音とともに外に飛び出した。


 浮遊感と旋回。

 やや灰が混ざった黒く重い雲と雲の小さな隙間に、抜けるような青い空。

 回りに飛び散っているオレンジの飛沫が急速に冷めて、殆ど黒に近い灰色に変わっていった。


 あまり高く飛ばなかったものは、噴出した周りでゆっくりとした流れを作り、出口を見つけたように山から降っていく。

 流れた先にあるものは、容赦なく燃えていった。途中にあった深い森林は根元が流れで埋まり、外に出ている部分には火が点いた。

 黒い煙が立ちこめ、木を燃やす軽快な火柱があちらこちらで上がっている。



 そのまま流れていったものがどうなったか分からない。

 冷えるとともに動きが鈍くなり、森を少し越えたあたりで完全に動きが止まった。


 それから何度も季節が変わった。

 周りには草が生え、鳥達が運んだ種が少しずつ木を生やして、土が少しずつ形成されていく。

 まだ木々の背丈は低いものの、燃えてなくなる前に、着実に近づいていく。


 暫くして水の音が流れ出す。

 その音は長い年月をかけて近づいてきて、近くに川を作った。

 水を求めてリス、鼠など小型動物がやってくるようになり、シカなど中型の草食動物もやってくるようになった。

 暫くして川幅が少しだけ大きくなった。そしてその水の力に少しずつ削られ、ついに大きく崩れた。


 ただ重力に任せ倒れ、川の上に覆いかぶさる。


 音に驚いた動物たちが少しの間居なくなった。

 暫くして、乗って通ることで川の反対側に行けることに気が付き、また姿を現した。


 水の流れる音が染み入る。

 たまに鳥やリスが上に乗る。

 水が常に当たる場所には、ヌメリとした苔が生えた。



 何千回も苔が生え変わった頃。

 あたりの木は、最初に覆いかぶさった時と同じような高さになった。

 その頃から、コーン、コーンという音が響き渡るようになった。

 音は森のあちらこちらで鳴り、そして木が倒れる。


 人が歩くようになり、踏み固められ、小道になった。

 左右に道ができ、川を越えるために人が乗って通っていく。

 暫くして、近くに小屋が建った。

 甘い匂いが立ち込め、通る人がよっていく。


 賑わいの声があがっていたが、徐々に人の往来が減って行き、小屋は廃墟になった。

 道には草が生えていく。

 草も戻った頃、数十人ほどやってきた。


「こちらです、旧街道の橋として使っていたようです」

「これは立派だ。早速切り出しなさい」

 

 キン、キンという音とともに削られ、紐で結ばれ、丸太を等間隔に置いた道に乗せられた。

 山を降りていく。

 森を抜け、開けた場所に建造中の城があった。

 墨がつかられ、印のような窪みを付けられ、堀近くの一部に組み込まれた。

 ただ積み上げただけのため、間に多少の隙間が空いている。このため、雨が降ったときなど水はけがよかった。



 ある夜、たいまつを掲げた大勢の人が隙間を足がかりに上って行き、通り過ぎた。

 そして城が燃えてなくなった。

 堀は土で埋められたが、上のほうに位置していたため埋まらずに済んだ。


 さらさらと細かい土ぼこりを、風が運んできて時折掛かる。

 隣との間にそれらが挟まり、降った雨が定着をさせる。

 ふらふらと飛んできたたんぽぽの種がそこに根を下ろし、やがて花を付け、また沢山の種を風に任せた。



 数え切れない回数、種が空に舞い、大勢の人がやってきた。

 周りのものと同じように均一に削られ、台車に乗せられて山を登っていった。

 たどり着いた場所には大勢の人が居た。


「庄屋様、これで材料は足りそうですな」

「ああ、お奉行様の取りなしもあって、資金もどうにか調達できた。組み立てに入ってくれ」


 細かく採寸され、長方形に削られた。

 木枠が谷にかけられ、そこの上に弧を描く形で積み上げられていく。

 やがて内部に水が通されて、木枠が無くなった。


 水の音が、近くで絶え間なく流れる。

 この水は近くの農地に届いているようで、隣の山の向こう側に新たに田園が出来上がった。


 時折、内部にある泥や砂を抜くため、放水が行われる。

 轟音とともに短い時間、水が中央より前方向に飛び出し、白い滝を作り出している。

 それを目当てに、近くに住んでいる子ども達がやってくることもあった。



 周りには田畑が広がり、木々が生い茂る。

 水を通し、たまに人も通っていく。

 秋に稲穂が黄金色に染まったあと、綺麗に刈り取られ、紅葉も深くなった頃から放水を始める。

 これが名物となり、放水を目当てにやってくる人も多かった。


 幾度となく放水を繰り返したか。

 次第に通る水が減ってきて、空になることも多くなった。

 ある日大雨が降り、谷が増水した。上流から土砂が混ざった流れが轟音とともにやってきて、あちこち打ち付けていく。

 大きな流木が数本、根元に当たって土砂を集めて、溜まった水が更に大きな力となって一気に流れた。


 雨が止むと、あたりは一変していた。

 谷で川の水が当たるか、当たらないか、というところに居続ける。

 元あった場所には鉄で出来た橋が架けられた。


 川の水があちこちあたり、飛沫となって当たる。

 そこに苔が生え出し、増水にあわせて濡れたり乾いたりしていた。



「これは見事な」


 杖を使って沢登をしていた初老の男が、肌を叩きながら呟いた。

 暫くして紐が括り付けられる。遠くでドルルン、と音が鳴ると、空に持ち上げられた。

 車に乗せられて、そこから長い旅に出る。数日かけて到着した場所は、少し大きな庭園だった。


 松や梅、桜がまばらに植えられている。

 地面には芝が植わっているのだが、枯れて休眠している。

 幾つかの木には、頂点より少し高い場所から、放射状に紐が張られていた。


 苔を少し落とし、小さな川に架けられる。

 底は浅く、小さな魚が数匹、鈍く泳いでいた。



 北から、冷たい空気が届きだす。

 ゆっくりと、静かに。


 そして、空から雪が舞い降りてきた。



 ひら、ひら、と幾つか地面に当たり、ジワリと円を作って消えてなくなる。

 その感覚が早くなり、少しずつ積っていった。



 あたりは限りなく白い灰色の世界。

 木々も草も、向こう側に見えていた小さな庵も、全て雪に覆われた。


 音のない風の中で、せせらぎだけ流れる。





「あなた、こんなところで寝ていたら、風邪引きますよ」


 満開に咲いた桜を見ながら一杯やっていて、うたたねをしていたらしい。

 風はまだ少し冷たいが、日が当たる場所はとても暖かかった。

 手を当てると、ひんやりとしていた。確かにまだ外で昼寝をする時期じゃあない。


 爺さんが作った庭を引き継いで、何年だろうか。

 小さいながら、近くの川から水を引き、小川と池がある。

 どこかの沢から引き上げてきた、この橋の自慢をしている爺さんの姿を思い出した。


「何か、夢を見ていた気がする」

「あら、どんな夢?」


 どんな夢だったっけか。


「思い出せないけど、長い夢だったよ」


 微笑んで、空を見上げた。

 薄紅に色づいた山桜の向こう側に、雲ひとつ無い真っ青な空が見える。

 手のひらから水の音を感じる。

 なんだか、とても懐かしい気がした。



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