平行世界のOntologia

著 : 柊 純

Act13:剣の道


 目覚めたバサラの眼には、高級な内装が映っていた。

 それが青竜本部の一室であることに気付くまで、数分の時を要した。

 はじめはぼんやりとしていて、

「またやってしまったか」と呟いてしまったが、ヨハンの首を横に振る姿を見て、ここが仮想世界であると気付く。

「隣に女性を寝かせておくべきでしたか?」

 クスクス笑うヨハンを軽く睨み付けると、不機嫌そうにメニューを開いて日付を確認する。

 半日近く寝ていたようだ。

「ヨハン。ヨシツネはログインしているか?」

 ベッドから身体を起こし、少しクラクラする頭を振ってから立ち上がった。

 激しい疲労感を感じる。

「えぇ、居るみたいですよ。ステータス隠すのやめるように言ってくださいね。青竜のマスターはいつも不在みたいですしね」

「ホント、迷惑な話だよな」

 名前を入力して検索しても、ヨシツネのステータスはログオフしたのと同じ状態を保っている。

 フラりと立ち上がると、少しよろけながら部屋を後にした。ヨハンが手を貸そうとしたが、パシッと弾いて追い払うように手を振る。

 数千人のメンバーを抱えるだけあり、青竜の本部は城のように広い。イザヴェル史上最大級の要塞型を使用し、山間部の大都市に隣接した難攻不落の本拠地だ。

 今居る最上層は比較的小さめではあるが、それでも、普通のギルドの拠点の数倍の規模がある。

 バサラは、一番奥にある部屋まで歩いていくと、握り締めた拳で乱暴に扉を叩いた。まだ体がだるく、フラついて、両手で扉に手をついた。

「入ってくれ」

 扉を蹴って開けると、ズカズカと室内に入った。

 椅子に座ったまま窓の外を見ている男が居る。長い黒髪をオールバックにし、後ろで一つに束ねていて細身である。

 パッと見ると女性のようにも見えた。

「ヨシツネ、俺のこと殺す気だったのか?なんだよあれは」

「怒るなよ、知らなかったんだ」

 バサラは、フンと鼻を鳴らす。眼光が鋭く、言葉の端々に怒りが篭っていた。

 ドンと机に手を置いて、振り向きもしないヨシツネに向けて歯軋りした。

「最初、ワイバーンを一撃で倒した時は何も見えなかった。だけどな、自分がいざ標的になると見えるんだ。数千本の剣が、あの女の周囲に浮いてるんだよ。それが雨のように降り注ぐ。絶対防御を貫いてだ。きっと、最初ワイバーンに向かって使った時はもっと激しかったんだろうな。俺の数十倍ある体力値が一瞬で消え去ったんだ。その上、ダメージはアバターだけに留まらなかったぞ。俺の脳も疲弊しやがった。全力で使ったら、もしかしたら死人が出るんじゃないか?」

「ほぉ・・・」

「で、あんな感じのが、あのお嬢ちゃん以外にあと何人居るんだ?」

「確認できているだけで三人だ。力を使ったのを確認したのは一人だけだがな」

 ヨシツネはようやく振り向いた。

 端正な顔立ちで、気品に溢れた優しげな表情をしている。少し眉が細いが、温かな雰囲気があった。

「誰が何をやってる?」

「それを調べるんだ。これからな」

 机に肘をつき、目の前で手を組む。

 バサラは顔を斜めに大きく傾けてヨシツネを覗き込んだ。眉間にシワを寄せて眉をハの字にしながら、座った眼でジロジロと凝視してやる。

「そう凄むな。予想外の結果とは言え、少し疲れただけで済んだんだ」

「少しだぁ?三日連続で寝ないよりキツかったんだよ。バカにしてんのか?八つ裂きにすんぞ、優男」

 バサラの刀が鈴の音を鳴らし始める。親指が鍔にかかっていた。

 それを見て、ヨシツネは眼を細めて笑う。一見優しそうに見えるが、先程まで温かだった雰囲気が一瞬にして冷たいものへと変化した。

 冷戦状態になったような、ピリピリしたような空気になってきた。どちらも引かず、雰囲気が変わることはない。

 鈴の鳴る音だけが止まずに続き、時が止まったようにピタリと動かずに睨み合いは続く。目を逸らしたほうが負けるような、そんな気分にすらさせた。

 その状況を破ったのは、一つの緊急連絡であった。

『ヨシツネさん、大変です。ストーンブレッドが何かに急襲されたと報告が入りました。詳細は分からないのですが、巨大なモンスターが町の中に入ってきて暴れたそうです。私も今到着しましたが、東側がほぼ焼け野原になってます』

 ヨシツネが、驚きのあまり席を立つ。誤報だと願うが、報告者は生真面目で間違いがないように確認を怠らない者だ。

 システム上、絶対に有り得ないことである。これが覆るとは、設計を熟知した者には考えられない。

 コアな部分だから、技を追加したりするのとは話が違う。設定値が非常に複雑で、大規模なテストをしながら対応をしなければならない。

 裏でいつの間にかやりましたと言うわけにはいかないものだ。

 超高度なシミュレーターを使ってやることも可能だが、社で抱えるスーパーコンピューターは常に別のことに使われている。

 隙はなかったし、そんな手間をかけて仕掛けをした社員が居るとは思えない。

 少し前に、誰かがロビーサーバーに細工をした。ここら辺の因果関係も出てきそうな気がする。

「おい、運営。何が起きてんのか判ったら連絡寄越せ。手伝わんが見物に行ってやる」

 バサラは笑いだした。

「それとな、俺は暫く好きにするぞ。辺境方面軍はジンにくれてやる。問題あるならアンタが指示しろ」

 そう言うと、よろめくように歩きながら部屋を後にする。普段の動きがキビキビしているだけに、その後姿は少し不気味に見えた。

 残されたヨシツネは、窓から空を見上げた。

 いつも通りの、美しい青空が広がっている。

 ただの悪夢であることを祈りながら、ヨシツネはログオフすることにした。

 この後は、緊急会議になるだろう。


「撤退だと?」

 ジンは目の前の男に再度問い直す。

「撤退って言ったんだよな?」

「ヨシツネさんからの直接の指示です。それと、バサラさんから、辺境方面軍はジンさんに譲渡すると聞きました。駐留するなら解任するそうですけど」

 ジンは、眼を広げて自分を指差した。

「辺境方面軍、俺が貰えるの?」

 目の前の男は面倒そうに、もう一度ゆっくりと力強く、

「はい」

 と答えた。

 何とかして奪い取ろうとした地位が、まさに棚から落ちてきたぼた餅のように転がっている。

 何故か、子供の頃、商店街の福引きで二等を当てた時のことがフィードバックされた。

 ラザールが後ろで、同じようにポカーンとした顔をしている。

 ヴァンサンは、立ち位置が副司令に昇格する可能性を考えたが、そんなうまい話はさすがにないだろうと耳を塞いだ。

「分かった。引き上げよう。ラザール、全軍引き上げの準備をするように伝えろ。後、ハイロウの裏切り者はどこ行った?」

「本部に行って移籍の手続きをしてくるって話でしたけど、そういや連絡ないですね」

「今日中に撤収してくださいよ。またここに来るのは嫌ですからね」

 瓦礫と炭の山になった町を眺めながらそう言う。

 ジンが下ろされる場合は、この男が代わりなのだろう。

 小躍りしたい気持ちを抑えながら、ジンはニヤけた顔で腕を組んだ。しかし、その気分にすぐに水をさされる。

『副司令!』

『何だ?』

 まだ実感があまりないのか、"副司令"の呼び名に反射的に返事をする。

『スピアーが出ました。数は、全て騎兵で四十程!』

 集合を掛けられて集まりつつある兵は、その殆どが傷病状態である。先行して本部に戻った連中も居る。戦えるのはせいぜい二十名前後。

 アーチャーやソーサラーが居ないから、騎兵相手に戦うのは難しい。

 町の様子を見ると、火が消えずに燃えているところが多数あった。

 まだPVPが開放されてる可能性がある。このまま戦えば、殆どのプレイヤーがキャラをロストすることになる。

 逃げ場はない。

 スピアーとなれば、ハイロウほどではないが腕の立つプレイヤーが居るイメージがある。

 戦いを避ける方法も見付からない。

「かなりピンチだな・・・」

 ジン、ラザール、ヴァンサンの三人は、一人平均五人を同時に相手にできる。戦える者が頑張ったとして、それでも良くて全滅を免れるかどうか。

 連中の中に裏切り者は残っていないから、撹乱も難しいだろう。

 ジンの頭に一つ、ピンときた。

 指をコメカミに当てると、当人宛に直接連絡を入れた。音声はそのままで、周りのプレイヤーの耳にも入る。

『おい、ハイロウのユダ。聞いてるか?今すぐ戦える辺境方面軍所属の奴を纏めて、ストーンブレッドに来い。今からお前が俺の副官だ!』

 ラザールが隣で奇妙な声を上げ、ヴァンサンは予想通りと大きくため息を吐く。

『それは厚待遇ですね。乗りましょう。すぐに任命の手続きをしてもらえますか?まだみんなログインしてるから、即出れます』

 ケインの声が返ってくる。言い終わるよりも早くステータスは変更された。

「戦うんですか?逃げてください!」

 ヨシツネの連絡員がテレポートを開始している。

「兵がまだバラけてる。このままだとロストするのが増えるだろ。テレポート用の石は全員分はないんだぞ?」

「先に戻りますよ?」

「構わねぇ、行け!」

 スピアーが陣形を整えるのが見える。正に槍のような、先の細い三角形だ。

 集結しつつある青竜兵に向けて、傷病状態のメンバーを下がらせるように指示をする。

 どうなっても、これで一区切りつくだろう。

 ジンは剣を抜き、スピアーの騎馬兵の方に身体を向けた。


『情報通り、ストーンブレッドが壊滅してるな。青竜の連中はまだ残ってるみたいだ。集結しつつある。が、数が報告より少ない。これをやったモンスターにやられたのかもな・・・』

 カルロスの口調は、その惨状を見ても変わりはない。

『分かった。チャンスね。こちらもすぐに人を纏めて、ストーンブレッドに行くわ』

 カヤが、残ったメンバーに集合を掛けた。腕の動きを見て、みんな集まってくる。

 タクヤがゲートを開いた。

 見慣れたテレポートと同じような青い光が、砕けた石から粒子を飛ばし、巨大な魔方陣を縦に描いた。

 驚くような声が方々で発せられる。

 カヤがセシリーに向けて頷いた。

「この向こうは戦場だから、みんな気合入れてね!」

 セシリーがどよめきに向けて叫ぶと、魔方陣へ飛び込んだ。

 カヤもそれに続く。

 一度視界がホワイトアウトし、ほんの一瞬暗転し、瓦礫の山が広がった。

 倒壊した建物の向こうにスピアーの騎馬隊が移動しているのが見えた。

 土煙の先頭に、槍を斜めに立てて身体を前身させたカルロスの姿がある。

 続々と転送されてくる仲間たちから、破壊し尽くされたホームタウンに驚愕する声が聞こえた。

 タイミングはほぼ同じだった。同じ場所に、ポツリポツリと青竜の兵が転送されてくる。お互いに状況が理解できず、多くが狼狽えている様子だ。

 誰かが、青竜のプレイヤーに向けて斬り掛かった。先手必勝のつもりだったのだろう。が、相手も多少は訓練されている。

 難なく防いだ。

 PVP開始のメッセージが流れる。町の外と同じである。

 刃と刃が交差し、その音を合図に乱戦が始まった。青竜の兵が軒並み青く、敵味方はハッキリしているのがせめてもの救いになる。

『ソーサラーを守って!詠唱中は無防備になる!』

 カヤがヒデマサの近くで叫ぶ。

 数人の魔術士が協力して詠唱している。数人分の魔力が練り込まれて増幅していく。事前に打ち合わせてあったのだろう。

 火球がシャボン玉のように、ヒデマサを中心にして吐き出されて宙に浮かんだ。一つ一つは初級攻撃魔法だが、空が埋め尽くされるような勢いで広がっていく。

 発せられた熱がジリジリと皮膚を焼くようだ。

 特定ギルドプレイヤーのみに標的を定め、それは雨のように降り注ぐ。

 広範囲に炎が燃え上がり、平均して一人に二割近いダメージを与えた。

「出だしは悪くない」

 ヒデマサが次の詠唱に入った。


 セシリーは、近くに転送されてきた男を睨み付けた。

「ケイン。なんでアンタそっちに立ってるのよ?何その青い鎧。なんでそんなの着てるのよ?」

「そりゃ、私が裏切り者だからじゃないですか?」

 熱の海の中、平然としているかつての仲間は、鉄製の仮面を装着しながら歩み寄ってきた。全身の血が沸くような気持ちになる。

 仮面は二本の角が生えいて、般若のような造りである。見掛けとは違い、強力な防御系のステータスを備えていて、一般のプレイヤーが使う魔法攻撃はほぼ防いでしまう。

「ケインっっ!」

 セシリーの小烏丸が、抜刀と共にケインのスクトゥムを横に薙いだ。巨大な盾が力任せの斬撃に弾かれる。ギィィンと金属の鳴る音に周囲のプレイヤーが振り向き、慌てるように距離を置いた。

「後悔させてあげる。ギルドのメンバーを裏切ったこと!」

 小烏丸は軽い。実際は普通よりは重いはずだが、今まで使っていた刀が並ではなかったのだ。

 まるで竹刀でも持っているような感覚になる。

 セシリーは上段に構え、右足をスッと前に出す。

 ケインも盾を正面に構えて、隠すように剣を中段に構える。姿勢が低く、身体の大部分が大きな盾に隠れた。

 戦いに応じるようだ。

「楽しかったですよ。あなた達と過ごした日々は。でも、私には足りなかったんですよ」

 鉄仮面から覗く眼が細く、冷たく光る。

「権力がね」

「そんなことのために・・・?」

 セシリーは唇を噛み締めた。一筋の血が口元から流れる。

「涙目になってますよ、そんなに大事なものでしたか?あの、キャラロストした脇役達が」

 ザッと足元が鳴る。

 セシリーの方が間合いが僅かに広い。

 小烏丸がケインの手首を狙って風を切る。が、当たらない。振りきる前に武器を戻して身体を庇う様にし、脚のバネを目一杯きかせてバックステップする。

 つい、今しがた立っていた場所にケインの剣があった。

 ケインは防御系で言えば達人の域に立っている。いつもの刀で外していれば、間違いなく手痛いしっぺ返しを食らっていたはずだ。挑発に乗ったことを反省する。

 攻撃型の上段の構えでは危険だが、それでもセシリーは小烏丸を上にかかげるようにした。

「脇役なんて一人もいない。私には家族だったのよ」

 ジリジリと距離を詰めるケイン。その剣の切っ先が揺れている。

「きっと誰も、同じようには思ってないですって」

 肩を少し震わせている。笑っているのだ。

「バカにしてっ!」

 上、左、右、数回斬り掛かるが、どれも防がれてしまった。盾の防御範囲も広く、反対側は剣で難なく防がれてしまう。

 フェイントを入れるが反応速度が速く、切っ先が磁石のように小烏丸の軌跡を追っては、ある一定の距離までくると弾かれた。

 突きも同様に、巻き取るようにして往なされる。

 大分違うが、似たような動きがどこか記憶の中にあった。

 高校の時の部活で、時期毎日練習していた。ただの一度も成功したことがない、神技とすら言われた"巻き上げ"だ。

 何度か男子剣道部の先輩にしてやられた、苦い記憶が反芻された。

 相手の剣先を表側から抑えるようにし、相手の剣が反射的に上がったところを反時計回りに巻き込んで、少し引くようにして巻き上げる。動き自体は身体が覚えている。が、単純に成功したことがない。

 タイミングの問題か、力加減か。

 失敗すれば致命傷を食らうかもしれない。それでも、セシリーの心中では気持ちが固まりつつあった。

 剣を弾くタイミング。それだけ分かれば良い。

 何度か相手の剣先を弾いてみるが、イマイチ型にはまらないように感じられる。

「何をやっても、あなたの攻撃は当たりませんよ」

 鼻で笑いながら、両手を大きく広げる。

 セシリーは、挑発に乗ってケインに突きを繰り出したが、届かない。逆に切っ先を叩かれて、小烏丸が横に跳ねられる。

 咄嗟に後ろへ身を引いて、追撃をかわす。

「ケイン?受けてるだけじゃ私は倒せないよ?」

「そうですか。それじゃ、遠慮なくいきましょうかね」

 ケインの攻撃は、威力は低いものの速度がある。避けることはまず敵わず、二度三度と受け太刀した。

「なかなか当たらないですね。こうなったら、後は集中力の問題です」

 一撃ごとに、ケインの攻撃は速度を増した。受けるのすら厳しくなり始める。

 何度目の防御か分からなかった。どうしてチャンスだと感じたのだろうか、それは何故だか分からない。ケインの突きが、セシリーの中心を狙っていた。

 セシリーの小烏丸が動いた。突き出された小烏丸が、反時計回りにケインの剣に巻き付くように伸びていく。

 切っ先が、刃の根元に届いた辺りで力一杯振り上げた。

 小烏丸が天を突くように真上を刺した。

 昔、剣道場で幾度となく練習して、何かが足りずに成功しなかった巻き上げ。それがケインの片手剣を宙に弾き飛ばす。

 セシリーは、弾いた剣を確認もせずに、そのまま振り上げた小烏丸をケインの首もと目掛けて垂直に振り下ろす。

 思ったより鈍い音だった。

 兜割りが発動して、鎧ごと、ケインの胸部までがパックリと切り開かれていた。

 金属製の、普通の攻撃は殆ど弾くような防御力の高い鎧である。小烏丸のステータスと、セシリーの精密な技があって初めてこの状態になった。

 鎧ごと斬られるなんてことは、ケインにも初めての経験である。

 唖然とし、膝をついた。

「集中力の問題?確かにそうかもね」

 セシリーの右手のすぐ届くところにケインの剣が落ちてきた。動じないで相手の眼を貫くように見続け、落ちてきた剣を手に取る。長さの割には重く、防御向きであると感じた。

「強くなりましたね。次会う時には、この借りは返しますよ」

 セシリーの右手が横に振られる。

 ザンッと音が鳴り、ケインの首が飛んだ。

「返り討ちよ。裏切り者・・・」



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