秋山紗季は自分の瞳の色素が薄くなっている事に気が付いていた。
鏡に向かい、幾度も見詰めた。
瞳の色もそうだが、肌も白い。元々白い方だが、この色は紗季自身も異常と感じる程だった。
髪は染めているので分かりにくかったが、色が明るくなっているので、同様に色素が薄くなっているだろうと思われる。
友人に電話で相談したが…
「気のせいじゃない?あなた昔から神経質なんだから。気にしない気にしない。体調は良いんでしょ?」
と、一蹴された。
鏡に映る自分とデジカメに写った自分を見比べてみたりもしたが、やはり色素が薄くなっているようにしか見えなかった。
何かの病気かも知れないと感じる反面、体の調子は最高に良く、力に満ち溢れているようでもあった。その証拠に、買ってきたばかりのジャムの蓋が素手で軽々と開ける事ができた。
非力だった紗季には、こんな事は生まれて初めてであった。
他にも、夜が非常に明るく見え、寝るときに全ての照明を落としても、まるで昼間のように周りがよく見えたりした。
逆に、昼間外に出ると、日差しが強い時は眩しくて目を開けているのすら辛い。
動くものに敏感に反応するようになり、視界の端で何かが動くと、それを目で追った。
元々視力は良い方であったが、更に良くなったようで、普段気にしないような細かいゴミが気になった。
異変は身体だけではなった。
肉食獣のような感情が、時折紗季の心を支配した。
友人にその事を話すと…
「欲求不満なんじゃない?最近してないでしょ」
と返ってきた。
確かにご無沙汰ではあったが、そういったものでは無い事だけは、紗季自身よく分かっていた。
純粋に獲物を狩り、切り裂き、血肉を味わいたいという本能が芽生えてしまっていた。
その本能は、暫くは軽く心が動かされる程度の状況だったが、次第に欲求へと変貌していった。
この欲求は、性欲ににも食欲にも繋がっているように感じられた。
紗季自身が確実に自分が異常であると認識したのは、その日の夜の事。コンビニでスパークリングワインとツマミを買って帰る最中の事だった。
駐車場の前を通った時、車の下に居る猫と目が合った。
駐車場に入ってまだ間もないのか、車体に熱が残っているようで、猫はその下で体を温めていた。
猫は黒く毛並みが良い。車の下に潜り込んで、尚且つこの色である、以前の紗季であれば気が付かなかったであろう。
紗季は、コンビニの袋から猫が食べれそうなツマミを取り出すと、猫に差し出した。
「お裾分けね」
優しい声をかけた。
人懐っこいらしく、猫はすんなりと出てきてそれを食べ始めた。
子供の頃の話だが、紗季は猫を飼っていた。もう死んでしまったが、毛並みの良い黒猫だった。
似たような猫を見ると、つい思い出してしまい、胸が締め付けられるような気持ちになる。
味をしめたのか、猫は密着する位置までやってきて、おねだりするように紗季に体を擦り付けた。
紗季は体を撫でてやりつつ、おかわりを渡す。
徐々に感情に異変が起きはじめていた。
猫の柔らかそうな部分に視線が移動する。
ゴクリと喉がなった。
吐息が多少荒くなり始め、切り裂き、食い千切りたい衝動に駆られた。
考えている事の内容がおかしく、気が動転しはじめる。
『血肉を啜れ』
本能が狂ったように叫び、理性が消えかかった。
身体が震えていた。
異変に気付いた猫が車の下に飛び込んで行くのを見ながら、紗季は涙を流した。
子供の頃に飼っていた猫の轢死体がフィードバックする。
玄関のドアを開けると同時に飛び出す猫。車のブレーキ音。一瞬止まった車が走り出す瞬間。後に残った小さな黒い毛皮と肉塊。血だまりが家の前の道路に模様を描き始めていた。
悲しい場面、それとは裏腹に、血に対する欲求が爆発しそうになっていた。激しい鼓動と興奮。
紗季はゆらゆらと立ち上がった。
そして、そこで彼女と出会った。