彼方からの脅威

著 : 中村 一朗

第五章


        対決・5


「ではあなたは、言わばクーデターでMRA内部の権力を一気に手にしたのね。そして、私を暗殺リストの筆頭に掲載した」

「Yes。しかし、MRAの総力を挙げても、冥王星宙域にいる君に手出しすることはできなかった。“老人たち”との縁が切れたことで、情報や物資の入手も不足していった。もっとも、あいつらも保身に躍起になっていたようだから、無理を言っても意味がなかったから強引な要求はしなかった。手切れ金ももらったから、約束は思った。仲間たちも信義を求めていたし」

「綺麗ごとを貫いたのね。ヤクザの義侠心かしら?」

 ルナの皮肉な口調にも、ヨルデは表情を変えない。

「ルールは守る。正義の証さ」

 ルナはその表情をじっと見つめる。

「…話を戻すけど、あなたは私を、“悪”の尖兵と言った」

「Yes」

「では、あなたは“悪”を倒す正義の救世主だったという訳?」

「僕はそれほど不遜じゃないつもりだ。僕は情報主義者だと言ったけど、大勢のものを手にかけてきたから、別の意味では悪党なんだろうな。また、宇宙の環境に対して正義であろうと口にしていたのは仲間たちで、彼らはその夢に殉じた。僕は、そんな彼らを利用していたんだ。結果として彼らを死に追いやることになると、自覚していながらね。だから彼らの意向に合わせて、ある程度の妥協はした。正直に言うと僕自身は、目的のためにもっと効率的な手段を選びたかったけど。その意味でも、僕は“悪”だな」

 ルナの頬が、底意地悪げに翳る。

「仲間たちの顔色を気にして、目的達成への最短距離を選択しなかった、ということよね。つまり、私という絶対“悪”を葬ることよりも、お友達同士の絆を重んじていた仲良しチームが、あなたたちの実態だった。まるで、ハイスクールのクラブ活動ね。とても情報主義を標榜する人の言葉じゃないわ」

「僕は、リストの筆頭に挙げていたルナ・シークエンスの殺害を、手段を選ばずに最優先すべきだったと、君は言うのか」

「情報主義者なら、そうした筈。それとも、ロールプレイゲームみたいに、順番に中ボスたちを倒さないと最後のボスキャラが現れないとでも思っていた?」

 ヨルデの頬が小さく歪んだ。

 無表情な笑み。先ほど見た類の、機械的なもの。

「情報主義者ならば、目的到達を最優先するべきとする君の主張は正しい。しかし僕は、そうはしないで仲間たちとの協調を重視していた。結果、無駄な時間を費やしてしまった、…ように見える」

「それって、矛盾よね。だから、あなたが情報主義者という前提が違っていることになる。あなたが狂信的なテロリストだったなら、この矛盾は消える」

「だから君は僕を、情報主義者ではなく狂信的なテロリストと位置付けようとしている。そして、もし僕が狂信思想者と確信できたなら、君はこの接見をそこで打ち切り、僕のことなど念頭から消去して、本来の業務に戻るつもりだ」

 ルナは、少し間をおいてから口を開いた。

「…そうね」

「でも、幸か不幸か僕は、君の中で定義されている“狂信的テロリスト”ではない。つまり僕は、自称している通りの情報主義者だ。君と同類の、ね」

「人殺しのあなたに同類扱いされるのは、とても不愉快」

 言葉とは裏腹に、ルナの声は淡々としていた。

 興味を失ったことを示すような乾いた口調で。

「君がどう思おうが、僕と君は同類だ。恐らく、遺伝子レベルの傷跡も」

 ヨルデの声音も、ルナのそれに被るように淡々と。

「どういうこと?」

「僕の血統と君の血統は、同じ地域の出身だ。つまり火星の、アラグ区域アルシウール。僕たちのご先祖は、同じ時代の同じ場所で被爆した。半径20キロの爆縮による位相崩壊エリアで生き残ったのは、二人だけだったそうだ。アリオス・シークエンスとガイガー・ヨルデ。つまり、ぼくたちのご先祖様だ」

「重力崩壊領域の内側で生き残るなんて、あり得ない。私の血統も、恐らく後でねつ造されたもの。さもなければ、混乱期でのファイル処理の手違い」

「事実だよ、たぶん。彼らが生き残れたから、僕と君はここに存在している」

 石のような表情のまま、二人は睨みあう。



      ギャラリー・5


「火星のアラグ区域…。重力兵器で壊滅した被爆地帯ですね。まだ子どもだったヨルデの祖先はそこで亜空間被爆を受け、難民グループとして隣接エリアのトヴラーグに移送されました。被爆生存者は1万人程度でしたが、10年後の生存者はその半数です。スラム化したそのエリアで彼らは生き残りましたが、トヴラーグはその後200年に渡って多くのテロリストを生み出す温床になっていきます。やがて、パスカー・ヨルデもそこで育ちました」

 考え込むように、シュミットはつぶやいた。

「ルナの祖先も、その地域に居住していたことがあるのか?」

「はい、記録上では。副司令の祖先はトヴラーグへの避難直後に地球に移住しています。元々、エンジニアとして一家で赴任していたようですが」

 バイガスが舌を打つ。

「たまたま、祖先が同じ地域にいて同じ悲劇を体験したことが共通認識の根拠になるというのなら、人類など皆、同じ価値観を共有していることになる」

「ユングの言う集合性無意識の根拠も、そのあたりにあるのではないか、と。ところで副司令のご先祖に当たるシークエンス氏の居住は、アラグ区域のアルシウールでした。ほぼ爆心地だったので、アルシウールでの唯一の生存者として記録されています。もっとも200年近く前の記録ですので、細かい経緯は残されていませんが」

「ルナの言葉通りだ。物理的に、重力崩壊下での生存など不可能だったはずだ」

「はい。あくまで、記録上のことです」

「ヨルデの先祖もそこにいた、と言っていたな」

「記録にはありません。しかし、もともと信憑性などない記録です」

「ルナとヨルデの間に、遺伝子レベルでの共通項は?」

「少なくとも、DNA上では血縁関係は認められません。無論、遺伝子障害も」

 バイガスは、シュミットの顔を盗み見る。

「…つまり、既に二人のDNA照会をしてみた、…という訳か」

「はい」

「共有するのは、汚染された血筋の伝説。実際の痕跡は見当たらない。それがヨルデの、彼女への殺意の根源にあると思うか?」

 シュミットはモニターを見つめたまま、眉をひそめた。

「さあ。それはどうですか」



      対決・6


「私は祖先の経歴なんて知らないし、身内の血縁なんかに興味はない」

 ルナは吐き捨てた。

 ヨルデは身を乗り出し、机に肘をついた。

 小さく微笑んで首を振り、組み合わせたその掌の裏に顎を乗せる。

「20世紀にアインシュタインが提示した相対性理論は、やがて二つの強大な破壊兵器を生むエネルギー源を示すことになった。科学者の君には言うまでもないことだけど、核と重力さ。彼の出現によって人類は宇宙を動かすこの二つの基本エネルギー原理を知った。最初の原子爆弾が実戦で使われてから、アインシュタインは平和運動に没頭したって言う。こんなことに使われるとは思わなかったって、懺悔しながら。それでも彼は、物理学を50年先に進めたけどね」

「違う。懺悔などではなく、平和への祈りからよ。アルバート・アインシュタインは、紛れもない天才だった。あなたのようなテロリストに貶められるような人ではない。それと、物理学は当時も今も、大勢の科学者たちが命を削って磨き上げられてきた研究の集大成よ。誰か一人の手柄なんかで原理や真理が発見されるわけじゃない。例え間違った理論でも、それによって正しい道がやがて示されることがある。歴史上で知られる著名な誰かだけをヒーローにして、自分たちに都合のいいようなエピソードにすり替えるのは、後ろめたさの反動から常に自己正当化をしたがるあなたたちテロリストの常套手段よね」

 ヨルデは、口元を引き締めて頷いた。

「彼は、宇宙物理学を50年先に進めた」

 ルナの目の中に、小さな炎がともる。

「相対性理論は、あの時代に生まれた天才たちの誰かがいずれ発見する原理だった。たとえアインシュタインが現れなくても、科学の歴史が50年停滞したとは限らない」

「では、50年と言わず10年でも、もし物理学の進歩が停滞していたのなら、人類は今度の災害に対処できなかったはず、…と、考えるのはどうかな?」

 言いながら、ヨルデは暗い笑みを浮かべる。

 ルナは一瞬、ヨルデの意図を察することができず返す言葉に詰まった。

「たとえば、バーサーカー彗星の発見が10年遅かったら、誰もアグニ計画など考えなかったんじゃないのかな、…と、僕は言っているんだよ」

「そうかもしれない。発見が10年遅ければ、人類は総力を挙げて“箱舟計画”を推進していたでしょうね」

 ルナは淡々と答える。

「では僕は、前言を撤回する。アインシュタインが歴史に現れなくても、人類は今の科学知識を得ていたと思う。10年など遅れずに。つまり、君の言う通り、あの時代の誰かが、同様の相対性理論を発見していたと僕も思う」

 ヨルデは小さく、さらに机の方に身を乗り出して続けた。

「これで僕と君は、共通の認識にたどり着いた。人類はギリギリのところで、あいつの到着に間に合った。数千年に及ぶ人の歴史において、10年とずれることなくこの危機に対処できる知識を身につけた。50年遅れていれば、バーサーカーの存在に気づくことさえなく滅んでいたかもしれない。…これって、あまりにも間がいいとは思わないか?まるで、誰かに仕組まれていたみたいに」

 ルナはその場に踏みとどまるように不動の姿勢のまま。

「だから、何?あなたは一体、何が言いたいの」

「二度目の失楽園。相対性理論は、蠱惑的な知恵の実だった。アインシュタインは、エデンに放たれた蛇だ。“核”と“重力”。この二つのリンゴは、アダムとイブにそれぞれ一つずつ手渡された。手渡した蛇は役目を終え、ただの蛇に戻ると自分のやってしまったことに震え上がった。核爆発によって穿たれた、時空の小さな洞穴。この穴を通って、同様の蛇たちがその後も次々に現れ続けてきた。穴を少しずつ押し広げながら…。それが、僕が言いたかったこと」

「では、蛇たちにその役目を囁いたのが宇宙からの悪意だ、なんて言いたい訳?」

 今度はルナが、不自然なほどの嘲笑うような口調でつぶやいた。

 ヨルデは小さく首を傾げた。

「あの戦争の時代、あのタイミングで核兵器が発明されること。それが、“悪意”による大きな転換のファーストステップになった。そして連綿と続く戦争の歴史の中で“悪意”と科学知識は積み重ねられていって、ライラック・パミルによる重力兵器誕生の歴史を迎える。惑星間戦争は、悪魔にとって最大のイベントになった。地球と火星で起きた戦争の爪あとは今でも癒されてはいない。時は過ぎ、やがて君を誕生させることになる。それが、あいつの目的だった。つまり、君という悪魔の使徒を生み出すために、火星戦争は引き起こされたのさ」



      ギャラリー・6


「言葉のワナですね。ヨルデは初めからこの結論を副司令に同意させるために、アルバート・アインシュタインの例を使って言葉巧みに導いた」

「小賢しい、嫌な奴だ。だが、ある種のカリスマ性は認めるよ」

 バイガスとシュルツの言葉の裏には、重苦しい空気が澱んでいる。

「確かに。しかし私は、ヨルデの言う“悪意”の物語が気になります」

「君は、MRAと連邦に関連するミッシングファイルを補うためにルナとヨルデの面会を望んでいたと思っていたのだが」

「はい、十日前までは。ですが今は、こちらの方が気になります」

「戯言だ、…と、言いたいところだがね。科学の発展を導いてきたのが神なのだと、私は思っている。だがこいつは、戦争が科学の進歩を導いてきたと言っているように聞こえる。そして戦争は宇宙の“悪意”によって引き起こされてきた。三段論法に置き換えれば、悪魔が人類の科学を発展させてきたということだ。一概に否定できない一般論にも聞こえるから、余計に不愉快だ」

「ヨルデは、情報主義者と自己主張している立場とは裏腹に、宇宙からの悪意により副司令が深く影響を受けていると言っています。まるで宗教思想家のように。つまり彼は、悪意の本体は“バーサーカー”に潜んでいると考えているように思えます。だからこれは、悪魔と人間の戦いなのだ、と」

 淡々としたシュルツの声に、バイガスの頬が不快に歪む。

「では、ルナが悪魔の使徒で、自らは人間の代表だとでもいうのか」

「恐らく、そのように」

「バカな。ではバーサーカーには宇宙人が住んでいて、暴走する彗星の軌道上にたまたま存在した地球を、たまたま進化していた人類の手によって破滅させようとしているのだと、ヨルデは本気で考えていると思うのか」

「はい。それが、今のヨルデの妄想なのではないか、と」

 バイガスはちらりと、シュミットの横顔を盗み見る。

「君は本当は、彼の思想を妄想と考えていないんじゃないのか?」

 シュミットは小さく顎を引いただけでその問いに答えず、モニターを睨み続けている。



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