彼方からの脅威

著 : 中村 一朗

第四章


        対決・3


「確かに僕の言う“悪魔”とは、形而上的表現だ。君たちが気に入らないなら、“悪意”と言い換えてもいい。ただし、ここでいう“悪意”とは、人格に裏打ちされた特定の“悪意”とも異なる。進化に対する“負”の要素。或いは、加速化された歴史の“歪み”…」

 ルナは無表情で、ヨルダをじっと見つめる。

「また言葉遊びね。くだらない思索などに付き合うつもりはないけど」

 ヨルダは小さくうなずきながら。

「その“歪み”の中心に、今は君がいる。だから、排除しなければならない」

 二人は、無表情を変えることなく睨みあう。

「あなたは、私に対する愛憎はないと言った。では私の中には、あなたの言うその人類に対する“悪意”などないことは認めていただけるわけですね」

「Yes」

「それでもその“悪意”によって、私が“バーサーカー彗星”の存在をねつ造したのだと、あなたは言う」

「Yes」

「私だけではなく、ここのスタッフ全員、いや、このプロジェクトを支持している人間が、その“悪意”に振り回されているというのね」

「Yes」

「そしてその“悪意”は、宇宙から来た、と、あなたは言った」

「Yes」

 ヨルデの両頬が、キュッと吊り上がる。笑ったのだ。

「“宇宙から来た”…つまりその“悪意”は、もう既に来ている…って、こと?」

 ヨルデはゆっくり頷いた。

「そして、その“悪意”に産み落とされたのが、君だ。君は“悪魔”の子さ」

「あら。また形而上のお話をしたいの?」

「No。これは、形而下の定義だ。僕は、君が具現化した“悪”そのものだと確信している。宗教哲学的見地ではなく、物理的情報主義者の見地として」

「つまり、こういうこと?宇宙から来た“悪魔”が私を作り出し、人類と太陽系に壊滅的なダメージを与えようとしている。あなたはその陰謀を阻止するために、テロリストの汚名を担う覚悟で戦ってきた正義の使徒だった、と?」

「気に入らないなら、こう言い換えてもいい。“絶対悪”とは、地球という環境に守られているすべての有機生命体の存続を終焉させる存在のことだ。人類の知恵を遥かに凌ぐ超越的知性が、自身を表に出すことなく致命的な攻撃を仕掛けている。そしてかつてのMRAもまた、その一翼を担ってきた」

 虚を突かれたように、ルナは一瞬言葉を失った。

「…何ですって」

「まるで、ドン・キホーテのように。滑稽な隠れ蓑として」



      ギャラリー・3


「おやおや、新展開だな」

 バイガスがつぶやく。

「確かに。これまでのテログループからの調書では、MRAの総意としてバーサーカー彗星そのものを“悪”と定義しています。その“悪”の影響によって、多くの人類は洗脳され、アグニ計画を現出させるように導かれたのだと主張してきました。ですがヨルデの今の言葉は、これとは明らかに異なる」

「人類が気づく前から、何らかの悪意がルナ・シークエンスに影響を及ぼして“バーサーカー彗星事件”を創作させたのだ、…と、今の彼は主張している。加えてMRA自体も、その“悪魔”に踊らされて聞き分けのないテロリストを演じさせられていたのだ。…と、私の聞き違いがなければ、今、パスカー・ヨルデはそういったのだよな、大佐」

「はい」

「君は、知っていたのか」

「はい、一応」

シュミットのひと声に表情はなかった。それでも、その奥に潜む緊張は隠せない。バイガスはその横顔をじっと見つめる。

「しかし、この報告書にはそんな話は記されていない」

 イン・ビジョンで共有するファイルを再検索しながら。

「仰せの通り。予めその調書に目を通していた副司令も、初耳のはずです」

「では、君はなぜ知っていた?」

「ヨルデ本人から聞きました。十日ほど前の、私との非公式の尋問で」

「非公式でも、記録には残る筈ではないのか?」

 シュミットは、非難めいた質問に苦い笑みで答えた。

「この、…副司令との接見も、記録上は非公式の尋問になります」

 バイガスは大きく息を吸い込んだ。

「この接見は、記録に残すつもりなんだろう?」

「はい。無論、保安局長の私的非公開ファイルになりますが。いずれ私が辞職した後、次の保安局長に受け継がれます」

「時代遅れの秘匿主義だな」

「はい。いささか伝統的な。一応弁明させていただきますが、私の次の局長が辞職する時には、これは一般ファイルに移行させるように手配はしました。その情報公開も、パスカー・ヨルデから言い出したことです」

「なぜだ?」

「約束すれば、MRAに関する情報を提供すると言われまして」

「ヨルデは、信じたのか?」

 言いながらバイガスは、悪魔が人間と契約書を交わすという話を思い出していた。ならばヨルデが、決して正直者の職責とは言いがたい保安局長のシュミットの口約束を信じてもいいのかもしれない、と思いつつ。

 シュミットは頷いた。

「これまで釈然としなかったMRAの活動内容についての情報がほしかったものですから」

「ルナ・シークエンスに会わせれば、君が求める情報を渡すと、こいつが言ったのだな」

「結果的にそうなる、とパスカー・ヨルデは言いました」

「なるほど。君の知りたかったことは、これなのか」

 シュミットはバイガスに向き直る。

「正確には、ここからが。私の知りたい話の始まりになる筈です」



       対決・4


 わずかな静寂の後に、ルナが口を開いた。

「MRAさえ、“そいつ”に利用されていたと言うの?」

 ヨルデは無表情にうなずいた。

「Yes。元々、MRAは火星戦争の終結とともに本来の存在意義は消滅していた。しかし、いずれ役に立つかもしれない彼らを、ある老人たちがスポンサーとなって存続させていた。いろいろな意味で、手駒として使うためだった」

「“ある老人たち”と、“いろいろな意味”って?」

「想像に任せる。舞台裏を取り仕切ろうとする、権力欲の権化。資本主義の亡霊どもさ。近年の歴史を紐解けば察しはつくだろう。そして15年前、老人たちはMRAへの支援を増強した。因みにその老人たちは、アグニ計画ではなく箱舟計画を支持している。箱舟計画の立案初期から、彼らはコロニーの指定席を予約済みだったことは君たちも知っていることと思う」

「アグニ計画へのテロ攻撃は、“老人たち”の意向によるものだったって事?」

「Yes。アグニ計画が中止されれば、その分の予算と人材は箱舟計画に回される。より多くの人類を救うためという表面的な方便だった。本音は、宇宙での彼らの暮らしが、より快適になるからだ。もっとも、彼らがMRAに依頼してきた初期の頃のテロの動機は、あくまで原理主義の思想的理念への共感によるものだと主張していたそうだ。MRAの中枢メンバーたちも、それを喜んで受け入れた。つまり積極的に、騙されたことにした」

 ヨルデの口元が、キュッと引き締まる。今度は笑っていた。

「以前のテロ攻撃は、それほど過激ではなかったと思うけど」

「それなりに、人命尊重。完全に一般人から敵対視されれば、組織は社会に適応できなくなる。少なくとも、1パーセント程度の共感は必要だそうだよ」

「それは、MRAと“老人たち”の合意によるものだったの?」

「Yes。スポンサーの顔色をうかがう広告代理店のようなもの」

「自嘲的な表現ね」

「双方に利害の一致があったから。方便も」

「では、“老人たち”も、あなたの言うその超越的存在の手先だった訳?」

「結果的には。でも、“老人たち”にはそんな自覚はなかったと思う。ただ自分たちの都合で、MRAを操っていたのさ。金の力でね」

「お金で動くテロリスト。ただのチンピラギャングね」

「仕方ない。銃を撃つにも、金がかかるんだ。思想だけでは食べてはいけない」

 ヨルデが自嘲的な笑みを浮かべる。

「くだらない弁解」

「Yes。…あいつらは、くだらない連中だった。」

「その“くだらない連中”の寄生虫だったあなたたちは、結局は見限られたんでしょう?」

 ルナの皮肉に、ヨルデは再び笑った。

「少し違う。その寄生虫の一部が、宿主の喉笛に噛みついてやったのさ。二年前、僕は“老人”のひとりを殺し、寄生虫たちの首をはねて連中の屋敷に送り付けた。ついでに、多額の手切れ金も要求した。彼らは一切の沈黙を条件に僕の要求を飲んだ。僕がMRAのリーダーになったのはその直後だ」



     ギャラリー・4


「爆弾発言だな。ヨルデは内部抗争でMRAを掌握したのか」

 バイガスのため息交じりの言葉に、シュミットはうなずく。

「はい。ヨルデはこの尋問でも、当時のMRA中枢メンバーのことを、自分たちとは言わず“彼ら”と呼んでいます。“老人たち”も、“彼ら”と。ヨルデにとって旧MRA議長たちと“老人たち”は、同列の“くだらない連中”だったのでしょう。原理思想による内部抗争と言えば聞こえがいいですが、恐らくヨルデはMRAに身を置いた頃から、それを計画していたと私は思います」

「…つまり、ヨルデはMRAを乗っ取るためにメンバーになったということか」

「恐らく」

「こいつの言っていること、本当だと思うか?」

「私はともかく、パラメーションマトリックスは騙せません。少なくとも、ヨルデの言葉に嘘はない。事実関係を検証しましたが、整合性はあります。彼が言う殺害した“老人たち”のひとりは、恐らくエリオット・フォグナー。連邦資源エネルギー開発局の議長でした。ヨルデは、フォグナーひとりを殺したのではありません。24時間で一族全員、孫までが一人残らず殺されています。噂にあった彼の親類筋の武闘派マフィアグループの幹部たちも含めまして。地元警察は逆に、マフィア同士の抗争にフォグナー一族が巻き込まれたものと結論付けていました。これがきっかけで、四つの犯罪ファミリーが殺し合いました。死傷者は百人以上。実行犯だったマフィアの多くは確保されていますが、あれがヨルデたちの仕掛けたことと知っていた者はいません。もともと、バーサーカーの発見で世界中が一触即発のヒステリー状態に陥っていました。裏社会側の住人達も例外ではありません。そこに、ヨルデたちが導火線に火をつけた。そして、恫喝は実行犯たちの頭越しに実行されて、手際よく隠ぺいされた」

「あきれたな。…マフィアはともかく、保安局も全く気付かなかったのか」

「残念ながら。当時のファイルにも、暴力組織内の抗争に巻き込まれてエリオット・フォグナー一族が殺された、としか。私自身、十日前までフォグナー議長の殺害がヨルデの仕掛けたことだったなどとは考えもしませんでした」

「それは仕方がないから、気にするな。警察組織が取り締まるべき犯罪の内部資料など、アグニ計画の保安局長としてこの空域に赴任していた2年前の君の立場では、閲覧しようなどとするはずがない。だが、それにしても鮮やかな隠ぺいだったのだな。いくらヨルデたちが巧みに動いたにせよ、連邦警察だって決して無能ではないはずなのだが」

「正確にはわかりませんが、恐らく“老人たち”からの横槍でしょう。フォグナーのみならず、MRA幹部全員の首を見せつけられた彼らがどれほど怯えたかは、想像がつきます。バーサーカーの出現以来、地球滅亡を確定的出来事として狂乱する者たちにより、大小の悲惨な事件が頻発しています。不幸にして、その中に紛れてしまった歴史のひとつ、ということでしょう」

 バイガスの頬が引きつるように歪む。

「歴史など、人類が存続してこそ意味がある」

 シュミットは表情の消えた顔でうなずいた。

「確かに。パスカー・ヨルデはこの歴史の影さえ、人類もろとも消し去ることを望んできました。…そして、恐らく、今も」

「“恐らく”…だと?」

「はい。どうやら少しだけ、心変りがあったようですが」



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