ラリー、やろうぜ! 第二章

著 : 中村 一朗

M.第一ステージ、逆走・荒船林道


 第一ステージ後半は、ここまでの逆走レイアウトになる。

 早い話、荒船林道と尾道峠の逆走だ。

 尾道峠の出口コマ図スタート時間は、尾道峠のSSスタートから15分後という設定になっている。だからSSでのタイム差は、再スタート時間に反映されない。

「何で、そんな面倒な設定になってるんだ?」

 恐らく大した理由もなく、服部が聞いてきた。

「計算ラリー区間を、イコール条件でスタートさせるためだろ、たぶん」

 これが、次の会話のきっかけ。

 つまり、重要な打ち合わせの再開になる。

 荒船林道の逆走区間に向かう国道で、僕らは自分たちの立ち位置を再確認した。

「とりあえず、今の順位は気になるところだ」と、服部が真剣な口調で呟く。

「トップからは、ほぼ確実に陥落。リタイアは、今のところ2台。ところでさっきのSS、後ろの小林さんたちには5、6秒負けたと思うよ」

「レーサーチームか。荒船の順走で遅れたって言ってたから、トータルは同じくらいかな」

「いや、ジムカーナSSで3.2秒勝っていたから、まだこっちが20ポイント以上は勝っているはずだ。ナビ区間の補正のこともあるし」

 服部が苦い顔で笑った。

「チェッ!やっぱ、幻のトップだったって訳だ。俺、さっきのSSは遅かったかな」

「正直、解らない。でも、登りの全開区間は二箇所とも上手く走れたんじゃないのかな。イメージは、ジムカーナSSの時の感覚に近かったし」

「アキラ、率直に思ったとおり言ってくれ。あとどれくらい、速く走れたと思う?」

 僕はじっくり考え、それを率直に口にした。

「少なくとも、12、3秒。もし同じコースを同じ条件で走った場合、ノーミスで走り切れれば、そのくらいは詰められたと思う」

「12、3秒のロスか…。あの、コースアウトしかけた二箇所だよな」

「そう。二つ合わせれば、そんなもんだね」

「他のセクションだって、ベテラン相手なら1キロあたり1秒はやられたとすれば、10キロの尾道峠で10秒。トップには22、3秒は負けたろうな」

「あれ?さっき、キロ3秒負けたら、とか言ってなかったっけ」

「いつの話してんだよ。そんなの、二ヶ月前の例えだ」

「僕の記憶だと、まだ半日前の例えだと思うけど」

「だから。四谷先輩に、二ヶ月前に言われたことをそのまま言ったんだよ」

「おまえなあ、理路整然とムチャクチャなこと言ってるぜ」

「そうか?俺なりに、スジは通ってると思うけど」

「まあ、いいや。とにかく今なら、キロ1秒程度の差まで詰めたと思えるんだな」

「もちろん!根拠は、ジムカーナSSの結果だ」

 僕は大笑いした。

「ファンタジーだ。でも、それなりの説得力は認めるよ。ただし、今の手持ちのカードだけじゃ、一喜一憂も出来やしないな」

「結局、あれこれ考えても仕方がねえってことか。目前の成すべきことを行え、てか」

「まあ、そうだね。次に止まったときに、誰かに聞けることは聞いてくるよ。でも、あんまり時間はなさそうだ。せいぜい、5分くらいだ」

 国道から、荒船林道の入り口を右折する。

 正確には、先ほどの逆そうになるから、出口側だった。

 コマ図間距離は、53mのズレがある。

「また多く出ているな。補正するよ」

「ああ、頼む。青田さんの言ってたこと、正しいと思うし」

「ところで、小林さんたち、近くを走ってるかな」

 僕の位置からでは、バックミラー越しに後方確認は難しいのだ。

「ああ。三つくらい後ろのコーナー辺りに来てるぜ。なんで?」

「ちょっと、いろいろ聞きたいと思ってさ。情報交換。近所のゼッケンに知り合いがなくなっちゃったしさ」

「せめて、小野先生たちがいてくれればな」

 先ほどと同様、荒船林道には薄靄が立ち込めている。

 頂上付近には先ほどと同様の霧が腰を据えている可能性も濃厚だ。

「そろそろだよ」と、僕。

 ノーチェック区間の終了地点は、コマ図から5㎞地点。

 すなわち、ここ。

「了解。ファイナルじゃあ6分先行だから、前に何台か止まってるはずだよな」

 服部がぶつぶつ言っているうちに、前方に停車車両のテールランプか見えた。

「4台、だ」

「小野先生たちがいれば、5台だったのによ」

 服部は残念そうに呟いた。

“野良猫”はゼッケン14の後ろに停車した。

 程なく、後ろにゼッケン17がやって来た。

 僕と服部はヘルメットをかぶりながら外に出て、小林さんの横に急いだ。

「小林さん、すみません。ちょっと、いいですか?」

 服部が先に声をかけた。

「おう、どうした?」

「二つほど、教えていただきたいんです。ひとつは、ここまでの区間距離のことです。やっぱ、ズレてますよね。うちは、53メートル多く出ました」

「俺等の方も、50メートル弱多い。やっぱり、前ゼッケンの連中の言うように補正を入れたほうがいいかもな。前は半分だけ二次補正を掛けたけど、今度は全部やるつもりだ」

 口を開いたのは、石川さんだった。

「石川さんに任せます」と、小林さんが続ける。

「でも、ラリーってレースとは全く違うんだな。本番中に他のクルーと協力してナビの基本戦術を話し合うなんて考えらんねえ」

「俺は、それが面白いと思うようになってきた。これからも、よろしく」

 石川さんがにっこり笑い、僕と服部は自動的に頭を下げた。

「ところで、もうひとつの質問って?」

「さっきのSS、何秒でした?ちなみに、ウチは48秒でした。たぶん、5秒くらい負けてると思うんですけど」

「いや、3秒だね。こっちは、45秒だった。そうか、小林君。やっぱ、勝てたよ」

 小林さんの顔が、パッと輝いた。

「よぉっし!?ようやく、君らに1本返したぜ。だけど、トップは速いなあ。俺等、あそこだけで18秒くらい負けているらしいから」

 えっ!と、僕と服部は同時に口を開いた。

 顔には恐らく、何で知ってるんですかと、大きな文字が記されていたに違いない。

「ゴール地点で、オフィシャルに上位ゼッケンのベストタイムを聞いたんだよ。そうしたら、秒だけ教えてくれた。“27秒”だってよ。上の5台は、あんまり差はないらしいぜ」

「ところで、君ら。そろそろ時間だぜ」

 僕らは礼を言って、慌てて“野良猫”に乗り込んだ。

 ファイナルは“+01分43秒”

 既に、“野良猫”の前に待機している車はいない。

 シートに深く身を置き、あたふたとシートベルトを締めながら。

「驚いた!デタラメな予想していたのに、当たってやがったぜ」

 服部の言葉につられて、僕も笑った。

「大したモンだ。手持ちのカードも増えたし」

「情報か。トップ連中との差のことだな」

「まあ、結果としては大勢に影響はないけど」

「少なくとも、気分はいい。そいつが重要だ」

「なるほど。確かに」

「チェックインは、“ゼロ”でいいのかな?」

「Yes!もう補正済み。でも、チェックはすぐ出てくるかもしれないし、頂上まで引っ張るかもしれない。霧しだいで、どっちがいいのか判らないね」

「成り行き任せだ。その方が、俺等らしくて楽しいぜ」

 周囲には、靄が立ち込めている。

「当面の敵は、後ろの小林さんと石川さん。追い上げられているけど、第一ステージさえ逃げ切れれば、勝算はある。服部だって、どんどんラリーに慣れてきている訳だしな」

「モチ!?霧だって、さっきよりは速く走る自信がある」

「期待する。チェックからのアベは、50。さっきと一緒。だけど、こっち側の上りは少し厄介だよ。荒れた路面に加えて、ストレートは殆どない。下りでは稼げると思うけど…」

「…けど。頂上に次のチェックが置かれていたらアウトだ。だから、無理をする」

「なんか、僕も楽しくなってきた。ここからのアベは、32」

 ファイナルで、“10秒前”

“野良猫”が目を見開く。

 とたんに周囲の闇がうっすらと白濁する。

 ファイナル“0”を待たずに、“野良猫”が動き出す。

 徐々に加速していきながら、一つ目のコーナーに差し掛かる。

 この時点で、ファイナルは“0”に。

「よし、ばっちり」と、僕。

 きつい上りコーナーを二つ抜けると、薄靄に包まれたその先のストレートの奥に、懐中電灯の明かりがチラリと見えた。

「チェックだ」

 服部が冷静につぶやく。

「このまま。ファイナル“0”で」

 一定速度で指示通りに、計測ラインを通過する。

 CPボタンを押すのと、笛の音が響いたのは同じタイミング。

“野良猫”はこから加速して、計測車両の横で急停車した。

「ゼッケン16番!8時32分42秒!」

「よし、いい心がけ!がんばって!?」

 粋な中年のオフィシャルがニヤリと笑う。すばやく突き出されたCPカードを受け取った瞬間には、“野良猫”は猛ダッシュをかけていた。

 確認したCPカードの記載時間は、こちらが口にしたものと同じ。

 アベ50を入れると、ファイナルは、10秒遅れを表示した。

 舗装路とは思えない、落石だらけの狭いルート。

 ガードレールはまばらにあるが、大して役に立つとは思えない。

 それでもファイナルの数値は、“野良猫”の爆走と共にみるみる減っていく。

「頂上まで、だいたい2キロ!」

「了解!?」

 七つ目のコーナーを駆け抜けた直後から、急に霧が濃くなった。

 ふいに連想したのは、映画のワンシーン。

 積乱雲に突っ込む旅客機の姿。あの映画では、直後に旅客機は山岳の尾根に激突する。

 それを思い出して、くだらない連想を打ち消した。

 恐らく、先ほどと同程度の“牛乳の中”状態の濃霧。

 ぎくしゃくしたアクセルの煽りは、全開走行を躊躇する“野良猫”の心情そのもの。

 都会の野生も、自然界の野生には遠く及ばない。

 それでも服部は、必死の形相でハンドルにかじりついている。

 ファイナルは“-5”の前後を行ったり来たりしている。

 たぶん僕の形相も、服部と似たようなものだ。

 そして、第二の幻覚。

 灰色のスクリーンと化した前面から、突然繰り出されてくる無数の拳脚。

 霧の中に住む魔物たちの貫手や蹴り足が、“野良猫”を狙って襲いかかってくる。

 それに抗うのは、僕の中に潜む幻の手足。受け止め、かわし、打ち流しながら、“野良猫”と共に少しでも先に進んでいこうと必死でもがく。

「ファイナル、5秒遅れのまま!頂上まで、あと1キロない」

「おう!?」

 さっきの幻想の意味は分からない。

 不思議なのは、魔物たちの攻撃を僕が見切ることが出来たこと。

 白い闇の間隙から飛び出してくる攻撃を、僕はほぼ正確に予感することが出来た。

 都合のいい夢のようなものといえばそれまでなのだが、何か意味があるように思える。

 二度ガードレールをかすり、三つ落石を弾き飛ばして、“野良猫”は峠の頂上を通過した。

 幸か不幸か、チェックはない。

「よし、越えた!ファイナル、マイナス4.4!」

「よっ、しゃ!!」

 下り勾配になり、“野良猫”は少しだけペースを上げることが出来た。

 勾配のおかげというよりは、こちら側の方がコーナーが緩いためなのだろう。

 四つ先のコーナーを過ぎた時には、ファイナルは“-3”にまで落ちていた。

 やがて頂上から1キロほど来たあたりから、霧は少しずつ薄くなってきた。

 この時点で、ついにファイナルは“0”に。

「よし、のったぜ!」

 服部は、南方に住む怪鳥のような奇声を発した。

 釣られた僕の笑い声も似たようなものだった。

 以後、アベ50のオンタイム走行で無事にその区間を走りきった。

 チェックインは指示通り、“+0.5”。

 計測車の横で“野良猫”は停車する。

「ゼッケン16番です。8時37分53秒」

「はい、お疲れ。8時37分54秒ね」

 こちらとの計測に1秒の誤差があるが仕方がない。

 僕は例を言ってCPカードを受け取り、“野良猫”は意気揚々と走り出す。

「うおーっ、気持ちイイ!」

 服部はヘルメットを脱ぎながら叫んだ。

 受け取った汗まみれのそのヘルメットは、まるで水没状態。

 服部のヘルメットをリアフックにかけてから、僕もヘルメットを脱いだ。

 先ほどの冷や汗とはだいぶ異なる、やや爽やかな汗だ。

「良かったぜ、たぶん。さっきより、ずっと」

「そうだろ!そうだろ!俺も、そう思ってたんだよ。ぜんぜん違うよな」

「霧の中だけなら、キロ2.5秒以上は確実に速くなったな。特に今回の逆走側の方が走りにくかったはずだから、実のところキロ3秒のタイムアップだと思うよ」

「そうだ!そうなんだよ!結局、気合の問題だったんだ。青田さんの言うとおりだったぜ」

「…服部。何かおまえ、四谷先輩みたいになってきたぜ」

 服部は一瞬、ハッとした真顔になった。

「それは、ちょっと…嫌だなあ」

 僕らは爆笑した。

 やがてコマ図を通過し、国道に。

 コマ図間距離のズレを、これまでの傾向も考慮して補正した。

「今度の荒船林道、考えてみれば、上位チームとは殆ど差がつかなかったはずだよな」

 妙に冷静な声で、服部がぽつりと呟いた。

 ハイテンションの後の反動、といったところなのだろう。

「ああ、そうだね。頂上にチェックを置いていたら、先行でつかまったクルーもいたかもしれないし、僕らだって4秒くらい、遅れたかもしれない。結果的には、みんな下りで取り返したろうから、大勢に影響はなかったと思うよ。小林さんたちとも、差は変わらない」

「たぶん、そうだよなあ…」

「でも、気分がいい。服部は確実に、スキルアップしているのは確認できた訳だしさ」

「まあ、そうだよなあ」

 第一ステージで残っているのは、最後のSSセクション。

 SS5になる、尾道峠の逆走だ。

 順走のときよりも難しくなるとは思う。

 けど、調子に乗った状態で挑むのは理想的な展開。

 今回の霧の中の服部の走りも、技術的向上による結果というよりは、気合の問題だったような気がする。技術よりも根性。それが今の服部のレベルなのだ、きっと。

 ただ、僕の脳裏に引っかかっているのは、さっきの幻影。

 霧の隙間から飛び出してくる、素手の格闘試合のような無数の拳脚。

 あれには、何か重要な意味があるんだろうけど、服部に聞いても答えは期待できない。

「SS5のスタート前、時間どのくらいありそうだ?」

 服部の質問で、モニターウィンドーに目を向ける。

 今のところ、ファイナル上では4分程度しか先行していない。

「そうだな…。せいぜい、7分くらいだね」

「じゃあ、また小林さんたちとしか話せねえな。あれ?」

「ん?どうした?」

 服部の答を待つまでもなかった。

 フロントガラスについている水滴。しかも、ぽつぽつと少しずつ増えている。

「降ってきやがった」

「望んだ通り、…にはならないのかな」

 雨だ。

 一時間前なら、望んでいたかもしれない事態。

 でも、今となっては微妙だ。

「わからねえ。霧がないほうが良いと、さっきはそう思ってたけど。ぬかるんだ尾道峠って、雨の降り始めはメチャメチャ滑るんじゃね?」

 雨足は、みるみる強くなってきた。

 フロントガラスにコーティングしている液体ワイパーだけでは心もとないほどに。

「運がよければ、尾道峠はもうずぶ濡れかも。前走車が泥を蹴散らしてくれていれば、だいぶマシになっているかもしれない」

「そうかもな…。俺たち、今のところ強運だし」

 そう言いながら、服部はワイパーのスイッチを入れた。

 都合のいい解釈だけど、僕もそう思いたい。



top