「いーっ!ヤッホーゥ!!」
これは、サーキットのゲートを出てしばらくしてから、僕が現在の暫定順位を計算した結果を服部に教えた直後の奴の雄叫び。
順位は、3位だった。
僕も、大笑いで答えた。
「お箸が転がっても楽しい女子高校生の気分だぜ」
服部は陽気に続けた。
僕も同感。
同時に頭に浮かんだのは、ラッキョウ青田さんと、“忍者部隊”の苦虫噛み潰し顔だった。
結局、青田さんは6位で上町さんは8位。
自分の底意地の悪さを自覚しながらも、この結果をひけらかしてやりたいと思う。
ジムカーナステージのトップは、マリオ権藤組。
2番はJリーグのボス・魔神村木組だった。
4番手には、SS1でトップだった地元の新型インプレッサ。
5番手には意外にも、タオ・パイパイ森組がつけている。
「でも、ここからだぜ。せっかく、絶好調なんだ。山のセクションでも頑張ってくれ」
「もちろん!その前に、腹ごしらえ」
前方に見えてきたコンビニ店の駐車場は、ラリー車でいっぱいだった。その中に、“ラッキョウ”ランサーと“忍者部隊”ランサーが不機嫌そうにうずくまっている。
時刻は、午後0時55分。
レッキの開始指示は、1時半からだからあまり時間がない。
だからこのラリーでは多くのクルーは、昼飯をコンビニ弁当で済ませるつもりらしい。
用意の良いチームなどは、来る途中で昼の弁当分まで買っていたようだった。
「ここ、止められないな。残念だけど、次のコンビニ探そう」
「ああ。そうだな。この先にも、二三店あったと思うぜ」
僕が言った“残念”の意味は服部には伝わらなかったと思う。
青田さんや上町さんたちの顔色が見られないことが残念だったのだ。
でも、昼飯の購入先以上に気になっていたのは、この後のレッキの件。
せっかく、予想外の好成績でスタートダッシュしたのだから、服部の足を引っ張りたくない。だからこそ、本音を言っておくことにした。
「ところで、レッキの件だけどさ。一応、ネットで調べてきたけど、あんなに複雑なこと、急にやれっていわれても無理だよ。もちろん、できるだけのことはするつもりだけど」
「わかってる。最初から、そう言っていたろ。“出来る範囲”でいいってよ」
「ああ。でも、僕なりに考えては来たつもりなんだ」
このラリーの出場が決まってから、僕はレッキのやり方を調べてきた。
レッキとは、下見のこと。
大抵は、ペースノートを作るためのものだ。
ペースノートは、ドライバーを速く走らせるためのアイテムだ。
例えば10kmあるSSだと、コーナーの数は百を超えるらしい。
一度や二度走っただけでは、とても覚えられるはずがない。
だから、まだ見えない先のコーナーの出口の状況を全開走行中のドライバーに伝えるために、ナビゲーターがを読み続けるものをペースノートという。
ネット情報に目を通しただけで、それが如何に大変な作業なのか容易に想像がついた。
激しい加減速の中で正確にコーナーの情報を読み上げるなど、プロ野球中継をしているアナウンサー並みに舌が回らないと勤まらないのではないかと思った。
そのペースノート作りは、一般にはドライバーの判断を基本におくという。
具体的には、コーナーの大きさを六段階から七段階位に分類していく。
例えば右ヘアピンコーナーのようにきついカーブは『右1』、ややきつい左コーナーなら『左2』、という具合に、峠道の全てのコーナーを分類し、それぞれのコーナーごとに危険部分や特徴を記していくのだ。
ただし、中には三段階ぐらいにしか分類しないクルーもあるらしい。
僕は、この三段階分類のペースノート作りを服部に提案した。
「…へえ。三段階の分類か。先輩からは、聞いたことないな」
「トップドライバーにもいるらしい。ただ、あまりペースノートに頼りたがらないクルーらしいけど。それに、漫画にもあったよ。“松”“竹”“梅”でペースノートを読むラリー漫画。たしか『ガッテム!』ってタイトルだった」
「ああ!あった、あった。俺も読んだことあるよ。そうか、なるほど。でも、さすがに“松”“竹”“梅”のペースノートは嫌だぜ」
「そんなまねをするつもりはないよ。“きついコーナー”“ややきついコーナー”“いけいけのコーナー”の三つに分類するのさ。『1』『2』『3』でかまわないと思う。それに『右』と『左』を組み合わせる。六段階や七段階の分類に比べると精度は落ちるけど、シンプルになるから、僕の読み間違えも少なくなると思う」
服部は前を向いたまま、しばらく考えている様子だった。
「…なるほど。俺の聞き間違いも少なくなるな。よし、それで行こう!」
こういう時のいい加減さ、というか、臨機応変な柔軟思考は服部の昔からの持ち味だ。
そんな車中会議をしているうちに、次のコンビニが近づいてきた。
服部は、一番端の駐車スペースに“野良猫”を頭から入れた。
コンビニの駐車場には、ラリー車両が三台。
その中の一台は、見たことのない魔法少女系アニメキャラのイラストが張ってある。
ベース車両は、“野良猫”以上にオンボロなランサーEvo,5。
僕らがちょうどコンビニの入り口を入るときに、Bクラスのラリー車が二台入ってきた。
Bクラス車両とはエンジン排気量が2500cc以下の車のことで、殆どがFF(フロントドライブ・フロントエンジン搭載車)だ。
「コンビニに入るにも、Cクラスの車が得だな」
服部がぽつりと呟いた。
最初、何を言っているのかわからなかった。
たぶん、ゼッケンが先の車の方が早くコンビニ弁当にありつけるって意味なのだろう。
「この先にもコンビニはあるよ。それに、賢いクルーなら、朝のうちに昼飯の用意をしておくんじゃないか。直ぐにレッキにいけるようにさ」
「まあ、そうかな…」
今年の冬までは、服部はFF車両でラリーに参戦するつもりでいたらしい。
燃費の悪い4WDターボ車両では、どうしてもランニングコストがかかるからだ。たまたま“歩きウンコ”先輩の車の話が出たので、衝動的に方針変更をしてしまったという。
「もしかして、おまえ、やっぱBクラスのラリー車でやりたかった?」
「別に、そんなこと考えちゃいねえけど、もし、今日のラリーで今のランサーを壊したら、ボーナスで買える車はBの中古になるなあ、と思っただけだよ」
僕は、妙な表情で目を細めた服部の覚悟に、少なからず驚いた。
こいつは、“野良猫ランサー”を壊すつもりでこのラリーに参戦していたのだ。
「おい、よせよ。縁起でもない。とにかく、完走が絶対目的なんだぜ」
「…ああ。まあ、そうだったよな」
このとき初めて、僕は今までにない不安な予感が脳裏をよぎった。
服部は少しうつむき加減で店内のおにぎりコーナーに向かった。
僕は無意識に、小さく頭を振ってその後に続いた。
おにぎり3つとサンドイッチのパックをひとつと、お茶にコーヒーを2本ずつ。それにガムとチョコレートと、目覚ましドリンク剤をかごに入れレジに向かうと、先ほどSS会場で見かけたエントラントの一人が前に並んでいた。
僕と同じくらいの背丈で、やや痩せ型の、薄汚れたトレーナーとジーンズ姿。
ドライブキャップの脇からはみ出している髪の毛の半分以上が真っ白だった。
若白髪なのだろうけど、見事なくらいの銀髪だ。
じっと見ていると、その男が振り返った。
よく言えば、『金田一少年の事件簿』に登場する“明智警視”のイメージ。
悪く言えば、銀髪頭の眼鏡河童。細い目の奥で、怪しげな強い光が揺れているような。少なくともこの光には、アニメキャラよりも妖怪キャラに分類した方が似合う闇が潜む。
そして直感的に、悟った。
ほぼ同時に頭の中で、エントラントリストを検索する。
外の駐車場に止まっている、いわゆる“イタ車”。
傍から見ると痛々しいって意味らしいけど、魔法少女キャラを大きく描いたオンボロランサーEvo.5のゼッケンは、確か、7番。ドライバーの名は…
「井出さん、…ですよね」
「うん、そう」
銀髪の河童青年がぽつりと呟いた。
ちょうどその時、後ろに、服部がやって来た。
“銀髪河童”と目を合わせると、小さく頭を下げた。
「こんにちは。ゼッケン16の服部と水谷です。今日は、よろしくお願いします」
こういう時の服部は、極めて礼儀正しい。縦型の体育系キャラの持ち味だ。
「うん。知ってる。井出でーす」
服部に習って、僕も小さく頭を下げた。
もしかしたら“銀色河童”には、うなずいただけのように見られたかもしれないけど。
“銀色河童”はニッと笑うと、前を向いた。
そのまま駕籠いっぱいの商品を差し出し、財布を取り出している。レジの店員が商品を並べて値段を打ち込む前に、“銀髪河童”は商品をチラッと見てすぐに、財布から千円札と百円玉を二枚に、十円玉を三枚と、一円玉を一枚だけ取りだしていた。
「全部で、1,231円です」
店員がそう言う前に、“銀髪河童”はちょうどぴったりのお金を差し出していた。
恐らく前もって計算していたわけじゃなかったと思う。
この場でチラッと見ただけで、瞬時に金額が解ったのだろう。頭の中に電卓を持っているタイプだ。
“銀髪河童”は商品の袋を持って店を出て行った。ナビは車の中にいたらしい。
僕らが店を出たときには、“カッパ”の車は駐車場から消えていた。
「あの人、速いらしいぜ。バリバリの優勝候補」
“野良猫”に乗り込みながら、服部が呟く。
むろん、“銀色のカッパ”の話だ。
計算だって、メチャクチャ速かったんだ、と言おうとしたけど、やめておいた。
どうせ、服部はさっきのレジでの出来事を見てはいない。
「知ってる。さっき、上町さんが警戒していた。職業年齢、不詳って感じだ」
「医者だって。年は、俺等よりも十コくらい上らしいぜ。四谷先輩が言ってた」
「Jリーグ?」
「違う。東大自動車部のOBチームだって聞いてるぜ」
なるほど、と、妙に納得している自分自身に気づいて、軽い自己嫌悪を覚える。
「エボⅩの権藤さんも、その東大のOBチーム?」
「さあね。知らね」
服部はおにぎりを頬張りながら、“野良猫”を発進させた。
恐らく、服部は権藤さんや村木さんたちのタイムを意識してはいないのだろう。
どうせ、追いつけるはずがないと思っている。
現時点で自分より上にいる相手を追いかけるつもりなどないのだ。
逆に、確実に追い上げてくる四位以下のクルーの方を気にしているのだ。
「なんとか逃げ切って、6位ぐらいまでには入れるかな」
「解んね。ボーダーライン…かな」
“野良猫”は、幾つかの不安を抱えたまま、コンビニを後にする。