秀綱陰の剣・最終章

著 : 中村 一朗

剣聖と剣豪


 西上州・上泉。

 塚原卜伝高幹は夜明け前に目を醒ました。暗がりに上体を起こして、大目玉を開いて廊下に面する障子とは反対側の押入れのある方角をスッと返り見る。

 上泉屋敷に滞在して既にひと月と十日。常にない早い朝であったが、常の通りに枕元の竹刀を手にして、厨の裏口からふらりと外に出た。空は朝と夜の狭間。風こそないが、大気は刺すように凍てついている。東の山の稜線を仄白く描き始めた陽光が、天空を彩る冬の星々を消してしまうまではまだ四半時ほどある。

 卜伝は霜柱のあるところを選んでは、ザクザクという細氷の潰れる軋音を楽しげに聞きながら中庭に足を進める。人の気配はそこにある井戸の辺りにあった。

「おはようございます」

 井戸の横に立つ疋田文五郎が、卜伝が姿を見せる前に挨拶を送って来た。卜伝は壁際からひょいと顔を覗かせると、ニッと文五郎に笑みを返した。文五郎の方に歩きながら。

「やあ」と、卜伝。

「今日こそは剣気を消したつもりでしたが…。どうも未熟なようです」

「いかに意伯殿とて、そう簡単に出来てはわしの立つ瀬がないわ」

 文五郎の手に竹刀はなく、呼吸の乱れもない。それでもこの寒空の下で全身を濡らす汗と両眼に宿る列迫の気の残り火が、激しい修業の跡を示している。

 この十日の間毎朝異なる刻限に屋敷のあちこちで、文五郎は無手のまま真剣を握っているつもりで幻士たちとの戦いを繰り返していた。目に見えぬ剣に、斬人の気迫を託して。幻に必殺の剣気を乗せること自体、達人の域にいる者でも簡単に出来るものではない。しかし文五郎の修業の理想は、更にその上を目指そうとしていた。

 以前からの竹藪での修業を応用したものであった。迸る殺気を身の内に封じ、幻影の剣を振るって幻影の敵を斬る事。その技を極めるために卜伝を頼った。心技共に最高の斬人技を放ちながら、その剣気を屋敷の中で身を休めている卜伝に悟らせぬ事を目的とした。だが、まだ一度もうまく出来た試しがない。いつも卜伝を己の剣気で起こしてしまう。

 文五郎は目を細めて、小さく溜め息をついた。

「この修業は今日でやめるつもりです。まだ、早過ぎると気づきました」

 空を仰ぎ見ていた卜伝が、神妙な顔で頷いた。

「なかなか良い工夫じゃったよ。求める域に至らずとも、その精神が尊い」

 卜伝をじっと見る文五郎の顔に、ふっと表情が動いた。

「或いは塚原先生は、まだおれには無理だと知っていたのではありませんか」

 卜伝は即答を避けた。が、長い沈黙にはならなかった。

「いきなりでは難しいとは思っておった。だが、そのうちに出来るようになるじゃろ」

 ぺこりと頭を下げる文五郎に手を振って、卜伝は屋敷の外に出た。

 この下柴砦に落ち着いてからというもの、朝の散歩がすっかり卜伝の日課になってしまった。歩む道順も刻限も歩く距離や疾ささえも日ごとに違う。赤城山の麓にある神社まで行くこともあれば、橋を渡って南に続く畑の中をぶらつくだけの時もある。今日はたまたま川沿いを厩橋の方にぶらぶらと歩き、陽が昇り始めるころに土手を下りて真っ直ぐ北に向かった。緩い上り坂からその先の畑の畦道を抜けて朝露に包まれた森に入った。その外れにある百姓屋の縁側ですっかり顔見知りになった老夫婦に茶を振舞ってもらい、四半時ほど世間話をしてから屋敷に戻った。一時半近い時が過ぎていた。

 屋敷の門前では、文五郎と門弟たちが町人や百姓たちと一緒に朝の剣術修業に励んでいる。いつもの通り、顔を合わせれば皆から挨拶を送られる面倒を嫌って勝手口に回った。

 角を曲がると、そこで卜伝は上泉秀綱にばったりと出会った。

 初めに、薄汚れた旅姿の痩せた武士が道の反対側から歩いてくる様に訝しんだ。ひと目見て、流れるような足さばきが気になった。腰に大刀を差しているが、脇差しはない。代わりの鉄扇を左手に下げている。年の頃は卜伝よりも一回り以上は下の四十代後半。卜伝が足を止めると、その武士も立ち止まって顔を上げた。視線が合う。その一瞬で互いの正体はすぐに理解した。二人は勝手口の扉を挟んで三間の間合いを取って対峙した。張りつめた雰囲気は微塵もない。どこかで雀が小さく鳴いていた。

「これはまた、無粋なところで」

 旅姿の武士、上泉秀綱が穏やかに言った。卜伝もにやりとして頷き返す。

「全くじゃ。屋敷の主殿が、まるで泥棒猫のように裏口からこそこそと。似合わぬなあ」

 卜伝の揶うような言い回しに、秀綱が笑った。

「なるほど。言われてみれば、もっともです。何の連絡もせず急に戻って来たので、弟子や町の者たちに騒がれたくなかったものですから」

 おう、と卜伝が相槌を打つ。竹刀の先がトンと地を叩いた。

「実は、わしも似たようなものでよ。朝の挨拶などするのもされるのも面倒じゃ」

「それもあります。またそれ以上に、皆の修業を妨げたくはなかったので」

「なるほど」と、今度は卜伝が頷いた。

「その良い心がけが、意伯殿のような良い弟子を育てるらしい。挨拶が嫌いだと言ってから舌の根も乾かぬうちに口にするのも何だがな。些か申し送れたが、わしは塚原新右衛門卜伝高幹じゃ」

「当屋敷の主、上泉秀綱です」

 二人は改めてしみじみと見つめ合った。互いに相手の器を推量しようとはしない。目よりも腹で感じた相手のそのままの存在感を、何よりも率直に認めた。

「主のいない留守に、図々しく長逗留をして世話になっておる」

「わたしこそご無礼を。折角お訪ね頂いたのに、随分長くお待たせしてしまったらしい」

「何の。楽しかったわい。お陰で、昔の知り合いにも会えた」

 秀綱は、卜伝の下柴砦への来訪については箕輪の雇われ乱波に聞いて知っていた。その時、卜伝と仁右衛門が旧知の中であったことが明かされたのである。

「羽黒屋仁右衛門殿とは、昔からの知り合いだそうですね」

「腐れ縁じゃ。それも、とうに切れて清々しておったのだが、あんな烏爺いでも会えばやはり懐かしいものだ。ところで、月山での首尾は如何であった。いや、答えにくい事なら今の問いは忘れてくれ。そのことのためにこの地に出来た訳ではない」

「ひとつ、積年の役目を果たし終えたところです。師より預かっていた古い刀も、持つべき者のところに戻すことが出来ました」

「それは良かった。それとも、良かったなどと言っては不遜かな」

 秀綱は答えず、陰りのある笑みを浮かべて木戸を開けると卜伝を中に招いた。秀綱に続いて勝手知った裏口をくぐって顔を上げると、五間ほど先で唖然とした顔を向けているお町がいた。お町は秀綱を認めると、その手元から笊が落ちた。


 それから三日間。上泉屋敷は宴会場になってしまった。

 家中の者たちは秀綱の無事な姿での帰宅を喜び、知らせはすぐに町中に広がった。二月前の暗殺未遂事件のために様々な噂が流れていただけに、武家町人百姓を問わず秀綱と付き合いのある者たちが勇んで屋敷に集参して来て、そのまま夜まで居る者も多くいた。お静とその父の阿部香庵もその口で、昼ごろに顔を出し、夕刻まで過ごした。羽黒屋仁右衛門などは昼前には高崎から飛んで来て、まる二日間も居続けた。ただし、疋田文五郎だけは、帰宅したその日は秀綱の前に顔も出さなかった。明くる日の朝、秀綱の方から文五郎の部屋に出向いた。もっともそれとても、秀綱よりは少しだけ人心を配慮する卜伝の口添えがあってのことであった。秀綱は文五郎に此度の事について己の知るすべてを語った。一時ほどして、晴れ晴れとした顔の文五郎は二日目の宴会の座に加わった。塚原卜伝は秀綱の帰宅から五日後までいた。宴の終わった当初、内弟子たちの一部は卜伝と秀綱が人知れず剣を交えるのではないかと案じていたが、文五郎によって一笑に付された。

「あのお二人は、自身の技量を確かめるために己以外には頼らぬ」、と。

 卜伝と秀綱は久しぶりに再会した年長の親子のように日の過半をともに過ごした。

 卜伝の明るさには拍車がかかり、秀綱もそれを受けて楽しげに応じた。文五郎たちが知る限りでは、二人が話したことは旅や土地の産物、各地に纏わる伝説など、取りとめのない様々な話題に広がって際限なく盛り上がった。話の種は尽きぬように思われたが、いくら文五郎が水を向けても唯一剣の奥義については一切語り合おうとはしなかった。

 そして六日目の朝、卜伝は文五郎と秀綱に置き手紙を残して屋敷を去った。どちらも、ひと月半のもてなしに対して礼を記したものであった。落胆を感じさせる文五郎の肩を軽く叩いて、笑みを浮かべる秀綱は手紙に目を通しながら呟いた。

「近々、また会える。そんな気がするのだ」


 史実上、塚原卜伝と上泉秀綱の邂逅は当時の資料には記されていない。

 しかしこの七年後の永禄六年、秀綱は武田信玄との邂逅の後に信綱と改名して西上州を去った。新たに興した新陰流の開祖として京の都に赴き、卜伝の弟子たちに手厚い援助を受けてその名を天下に轟かせることになる。元亀二年(一五七一)には正親町天皇の勅諚を受けて史上初の剣技天覧に至り、新陰流開祖〃剣聖〃上泉武蔵守信綱の名を不動のものとしたのである。そして新陰流の一部は柳生一族により柳生新陰流として受け継がれ、徳川幕府の礎となっていったことは言うまでもない。



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