ラリー、やろうぜ! 第一章

著 : 中村 一朗

F.中継ポイント


 中継ポイントの奥武蔵キャンプ村に戻ると、そこは夏祭りのような賑わいだった。
 いつの間に増えたのか発電機付きテントが幾つも、そこここに建っている。
 今日は計算ラリーだからテレビで見るサーキットやWRCのようなサービスステージの姿を想像していたわけではなかったが、とにかく場違いと思うほどに明るい。
 単に電燈が灯っているからではなく、雰囲気がそうなのだ。
 僕らは後の方のゼッケンだから、殆どのクルーが帰ってきている。
 単純計算でエントラントが41台で82人。オフィシャルやサービスクルーを含めると、ざっと140人ぐらいの関係者が深夜のキャンプ村の駐車場に集っていることになる。
 “野良猫”は駐車スペースを探して喧騒の中をうろつき、ようやく奥の辺りに停車できた。
 服部は情報収集を理由にして、とっとと出て行った。
 早い話が、僕に減点計算を任せて、奴は関東工科のサービスブースにでも遊びに行きやがったのだ。確かに情報交換にもなるだろうから、それもいいんだけど。
 僕は、正解表を元にコントロールシートの計算に取り掛かった。
 面倒なものと思っていたが、これが、意外に楽しい。
 特に、正解表と照らし合わせての最後の減点計算は、出来のよくない通信簿を開くようなワクワク感がある。
 下の中程度の成績しか期待できない自虐的な類のものだ。
 11箇所のCPで、総減点は「32」点でクラス13位。総合だと、28位。
 偶然獲得できたとしか思えない「0」点もひとつある。
 気になっていた1CPは「4」点。
 最も気になっていた2CPは「8」点だった。
 それらの数値をひと通りメモして、コントロールシートを提出に向かう。
 もう殆どのクルーが提出済みで、自己申告の中間結果が張り出されている。
 前ゼッケンは「24」点で8位、後ろゼッケンが「30」点。
 どちらにも負けているが、正直、あまり悔しいと思わない。
 ちなみに、オド前ミスコースのゼッケン25は、クラス最下位の「1053」点だった。
 今のところのトップはエキスパートクラスの「7」点。
 青田・萩野組で、「打倒、Jリーグ!」というチーム名を謳っている。どうやら、“インディアン魔神・村木”の車に紅葉マークを貼った犯人はこの人らしい。
 ビギナークラスのトップは、「10」点。
 魔法のような減点数に軽いめまいを感じたが、こういう場合は自分たちよりも下の減点クルーを見れば慰めになる。
 ところで、大量減点のクルーは意外に多かった。
 ミスコースやCPカード紛失とかもあるのかもしれない。
 最多減点は「6012」点という、信じられないような数字だった。
 そしてブービー減点も、「3036」点という、こちらも信じられないような数字。
 どちらもエキスパート部門のクルーで、所属チームは“ムサシノJリーグ”とある。
 ちなみに、ゼッケン1のベテラン“ジジイ”チームは、どうしたことか、「61」点。
 インディアン魔像は自分の年と同じだけの減点を前半で獲得していたことになる。
 どう見ても、ベテランが聞いて呆れる結果だ。
 エキスパート部門の下位を“Jリーグ”が独占している。
 それも、どう頑張っても取り返しようの無いほど酷い。
 “野良猫”に戻る途中、好奇心に駆られて“Jリーグ”のサービスエリアをちらりと目を向けた。さぞ、お通夜みたいな雰囲気だろうと思ったが、全く逆だった。
 寧ろ、ダントツの馬鹿騒ぎに興じている。
 爆笑と怒号が響き渡り、誰もが素面のはずなのに、まるで居酒屋の二次会の様子。
 ハイテンションの四谷先輩さえ、目立たないほどの騒ぎぶりだった。
 どうやら勝ち負けにこだわらないのは、服部だけではなかったらしい。
 僕は助手席に戻り、ここまでの結果を検討してみた。
 1CPと2CPの減点には納得している。
 1CPでは、ライン上で笛を吹かれたタイミングよりも、僕がCPボタンを押すほうが遅れてしまった。ボタンを押した瞬間のポイントから次の計測が始まるから、結果として2CPでの計測は狂ったはずだ。
 それに、あのチョンボもあったし…
 だから問題は、3CP以降だ。
 いずれも「0」から「3」程度の減点で、全て早着傾向。
 ドライバーのちょっとした走り方や駆動形式の違いなどで、一次補正(オド処理)をとった後でも1kmに対して2~4m程度の誤差は避けられない。
 更に同じコマ図を同じ方向から通過している箇所がひとつあって、そこでのこちらの二つの計測値に6m程度の違いがある。不器用な服部は、同じところを走っても走行ラインが安定していないため、こうした誤差が出てしまうということなのかもしれない。
「なるほど…」
 知らぬ間に、僕はひとりで納得してそう呟いていた。
「アキラ、この野郎。何、カッコつけてんだ!」
 顔を上げると、窓の外にハイテンション四谷先輩のヘラヘラ顔があった。
「あっ、どうも」
 僕は、“なるほど…”の意味を説明した。
 ついでに、1CPと2CPの失敗談も披露した。
 少しだけ、自慢話になっていることを自覚しながら。
 それ以降の話も続けた。
 コマ図間距離の違いに対応する方法を僕なりに考え、聞いてみた。
 ラリコンを操作してトリップを増減させないで、距離の誤差を“遅れ”や“進み”の秒差に置き換えて、ドライバーにチェックインのタイミングを指示してもいいのか、と。
 すると四谷先輩は、赤ベコの置物のように小刻みに首を縦に振った。
「そう、そう、そう!そうだよ、おまえ。その考え方でいいのよね~」
「じゃあ、こういう場合は、ラリコン上で補正しなくてもいいんですか?」
「うん。いいよ。几帳面な奴は、いつもファイナルをゼロにしたがる。でも松尾なんかは極力、ラリコン操作をしたがらない。その方が、ミスをしないで済むからだって」
 四谷先輩は“野良猫”の前をぐるっと回って、運転席側に乗り込んだ。
 そして、第二ステージに向けた講習を始めた。
 なぜか、先ほどのような“いいか!いいか!”を繰り返したりはしなかった。
 少しだけ大人扱いになったようで、気分が良かった。
 第2ステージ(2ステ)は、テンポよく走らせる設定だ。
 まずは1CPと2CPで使ったところを同じ方向から走らせ、その流れのまま松姫峠に向かう。小金沢ダムの先までの25キロの間に、いくつチェックを配置するか。
「普通に考えれば、丹波山に2つと、松姫に3つ。丹波山は1ステと同じかもしれないが、オレはCPの位置を動かしてると思うな。特に、出口側ね。ヘアピンコーナーの先なんかに。松姫は、頂上にひとつは絶対に置くから、その前後のCPをどこに置くかなのよね~。多分、手前は5キロ、先は7、8キロ。つまり、ダムの先まで走らせる。で、それを逆走するから、全部で10箇所。最後の申告チェックまでで、1ステと同じ11箇所になるから、これでちょうどの筈なのよね~。いつも、川田さんは1ステと2ステで同じ数だけCPを置く。うちのジジイたちはみんな、そう考えてるぞ」
 川田さんとは、“下町のモーガン・フリーマン”のことだ。
「その“Jリーグ”の皆さんは、壮絶な成績ですね」
 四谷先輩の表情が一瞬、停止した。
 続いてハチャハチャに崩れだし、ウッ、ヒャッ!ヒャッ!ヒャッ!ヒャッ!と破裂した。
「そう!ホント!もう、バカで、バカで、しょうがねえんでやんのよ!?」
 四谷先輩は、世の中にはこれ以上面白いことは無い、と言わんばかりの勢いで語った。
 記録的最多減点は、スタートレーンの会長を兼任する岩村さんのクルーだった。
 岩村さんがナビで、ドライバーはスタートレーンの若手で笠原さん。
 悲劇は5CPの通過後に始まったらしい。
 即ち、1ステのコマ図と2ステのコマ図を、途中から間違えて読んでしまったという。
 ベテランの岩村さんは、なまじ松姫峠をよく知っていただけに、最初からそちらにいくものと思い込んでいたのだ。CPの出てこない松姫峠を最後まで走り続け、挙句の果てに、2ステのコマ図でさえミスコースした。
 どこをどう走っているのかわからなくなった岩村さんは、結局大月まで行ってしまい、そこから高速道路で急いで上野原まで戻って、つい先ほど中継地点に帰ってきた。
 CP未通過のペナルティは、1000点。
 つまり、6箇所のCPを不通過になり、それだけで6000点の減点になった。
 ブービー賞のクルーは、西口さんという名のベテラン・ナビ。やはり、“ラリーチーム・ガンマ”の会長職にある人で、何年か前には全日本戦を追っていたそうだ。
 西口さんの場合も岩村さんと似たような事態に陥っていたらしい。
 ただ、市街地まで出てから間違いに気づき、松姫峠を逆走して本来のコースに戻った。
 結果、3つのCP不通過のために3000点の減点加算。
 30年近いこれまでのラリー人生における計算セクションでの減点を全て足しても、今日の減点数には及ばないそうだ。
 しかし、ダントツのビリのつもりで自嘲的な気分で戻ってきたら、それを下回る減点バカが仲間にいることを知らされて、西口さんはむくれた。
 最多減点でなければ、自慢にはならないからだ。
「バカ自慢じゃ、岩村さんの勝ち~。それで、西口さんは本気で拗ねてるのよね~」
 僕は、目くそと鼻くそがいがみ合っている構図を想像した。
「森さん・村木さんクルーと、上町さんとこは、普通にチョンボで後退。PCの見落としやミスコースで。普段の行いが悪いから、バチが当たったのよね~」
 ゼッケン1の“ぬらりひょん森”は、中継地点に意気揚々と帰ってきた。
 開口一番「いやあ、楽しいぞ、おい!」と、低い声で言ったそうだ。
 その後ろから、この世の終わりのような顔で、“インディアン魔神・村木”が助手席から降りてきたという。減点計算はここにくる途中で終えており、「どうでした?」と四谷先輩が話しかけても首をかしげ続けて「…おかしいんだよなあ」と寂しげに呟いていた。
 もちろんその結果を“ぬらりひょん森”は知っていたが、その程度のことで楽しい気分は微動だにしなかった。
「あいつ、勝つ気なんかねえんだよ…」
 浮かれ気分の“ぬらりひょん”の後姿を見ながら、“魔神”はそう言ったのだそうだ。
 自分のミスを棚に上げていたことは言うまでもない、と四谷先輩。
 で、僕が意外だったのは、超ベテランがこんなラリーでも勝ちたいと思っていたこと。
「大人げないんですね、村木さん、て…」
「そうだよ!そうなんだよ。でも、もっと大人げねえのが…」
 上町さんだったという。
 どうやら、あの白髪帽子の“キャシャーン上町”のことなのだろう。
 新人ナビを連れて出場してきたために、“キャシャーン上町”の減点「36」。
「俺のせいじゃない…」と言いながら、仏頂面で戻ってきたらしい。
 そして中継地点に戻って“魔神”の減点を聞くと、“キャシャーン”は掌を返したように上機嫌になり、大爆笑の果てに突然万歳を三唱した。
「あれからずっと、上町さんは村木さんに“61点の村木さん”て呼んでるのよね~」
 ゲラゲラ笑いながら、曰く「61点の村木さん、お茶ですよ~♪」
 とか、「61点の村木さん、そろそろスタート時間で~す♪」
「怒らないんですか?村木さん」
「あの人は、そういうことじゃ怒らない」
 怒る代わりに、いつも馬鹿騒ぎになるのだそうだ。
 じゃあ後で遊びに来いよ、と言って四谷先輩は“野良猫”から出て行った。
 僕は、あやふやにうなずいて手を振った。
 冗談じゃない。
 暴れている猛獣の檻の中に入っていく気などにはなれない。
 動物園の見学なら、檻の外からに限る。
 “Jリーグ”のたまり場に遊びに行くのは、ゴールしてからにしようと思う。
 今遊びに行くなら、断然に関東工科のサービスピットだ。
 外に出て歩きながら一瞬、“野良猫ランサー”を振り返った。
 近在の喧騒の中で、ぽっかりとあいた駐車場の静かな空間。
 その暗がりに蹲る孤独な鉄の獣は、ふてくされて眠りについてしまったようにも見える。
 別に、見捨てて置いていくわけじゃないよ。ちょっと、遊んでくるだけさ。
“野良猫”に、そう弁解した。
 結局僕も、服部と同じ穴のムジナなのだ。


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