ラリー、やろうぜ! 第一章

著 : 中村 一朗

E.キャッシュラリー、スタート!


 受付手続きとラリー車検を済ませてから、約一時間。
 僕は、コマ図形式のルートブックと指示書の理解に悪戦苦闘していた。
 それぞれのコマ図に指示書の必要項目を書き込み、注意事項を再確認する。
 また、主催者側はどのあたりにチェックを置きそうなのかを予想する。
 もちろん僕にはそんなことは出来ないので、四谷先輩と松尾さんのコーチングがとても役に立った。ただし、少々しつこ過ぎることは難だったけれど。
 二人の頭から、鳥小屋事件のことなど完全に消えうせている。
 よく言えば、臨機応変な頭の切り替えの早さ。
 この無神経こそ、ラリードライバーの資質として重要なのかもしれない。
 松尾さんに言われて、ラリーコンピュータの主電源スイッチにテープを貼り付けた。
 このラリコンの場合、操作パネルの左隅にスイッチがついているため、よくノートホルダーの角で引っ掛けて、電源を落してしまうそうなのだ。
 テープは、その対策との事。
 そして先輩たちは、注意事項を繰り返す。
「いいか!オド(公開計測地点)までは、絶対にミスコースするな!1キロで、5~60メートルぐらいは簡単にずれるからな」
「いいか!オドをとった後の補正係数のメモも忘れるなよ!」
「コマ図間の計測距離は、ちゃんとメモれ!」
「申告チェックでは、“CP”じゃなくて、“PC”ボタンを押すんだぞ!わかったな!」
 などなど、二人からの注意事項のパレードが延々と続いた。
 いいか!いいか!解ったか?と、四谷先輩は繰り返し懸命に教えてくれた。
 予め基礎知識は頭に入れておいたつもりが、続けて言われているうちに解らなくなった。
 しかしそうは言えないので、メモを取りながら適当に相槌を打っておいた。
 教育パパに勉強を強要されている劣等生の気分だった。
 午後八時。
 虫の群がる駐車場の外灯の下で、ドライバーズミーティング開始。
 競技委員長の挨拶から始まって、一連の注意事項が示された。
 コースについて話している川田さんというにこやかな人物は、俳優のモーガン・フリーマンを日本人にしたような顔をしていた。
 もし鉢巻でもすれば、きっと下町の魚屋か八百屋にも見える。
 最後に「何か、質問は?」というと、何人かが手を上げた。
 コマ図のメートル切捨てがどうとか、計測車の走り方はキープレフトかどうか、とか、いろいろなことを質問しているが、僕にはその質問の意味さえよくわからない。
 試走車のドライバーが誰だったか、とか、試走した日はいつ頃だったか、なんていうどうでも良いような質問まで飛び出した。まともに答えるオフィシャルも人がいい。
 そんなことを服部に小声で告げると、奴は首をかしげた。
「大丈夫。細かいことを質問するのは、優勝したい奴等だけだ。難しいことは考えるなって、おれたちは先輩に言われてるだろ?」
 その先輩たちが、僕に周到な「わかったか!」攻撃をしていたのだ。
 でも、服部にそう言われると、少し気が楽になった。
「そうだよな。今日は、完走が目的だったっけ」
「そうそう。そういうこと」
 順位は関係ねえよ、と来る途中も言い続けていた服部の言葉には、本番に備えてトロトロと走りこんだ練習の裏づけがある。
 だから、机上の理屈に振り回されている僕とは違う。
 服部は本気で、この初陣を楽しもうとしているだけだった事がよくわかった。
 やがて、ドライバーズミーティング終了。
 参加者たちは、ぞろぞろと自分の車に引き上げていく。
 空を見上げると、満天の星空。
 都会からは決して見ることの出来ない、夏の星座が天球に溢れている。
 どうやら、雨の心配はない。
「おい、がんばれよ」
 ふいに、後ろから低い声をかけられて振り向いた。
 森さんが片手を挙げて通り過ぎていくところ。
「あっ。ありがとうございます」
 そう答えながら、やはり暗がりで見ると“ぬらりひょん”に似ていると思った。
 ちなみに、“ぬらりひょん森”のナビは、“インディアン魔神・村木”。
 “Jリーグ”の親分チームで、ゼッケンは1番。
 車は森さんのインプレッサ。
 ドラとナビふたりの年齢をたすと、121歳だ。
 “野良猫”に戻り、エントラントリストを再確認した。
 エキスパートクラスが、19台。フレッシュマンクラスは22台。
 で、“Jリーグ”からのエントリーは、エキスパートクラスに5台も出走している。
 ついでに、僕らのゼッケンは38番。
 1号車のスタートが九時一分だから、“野良猫”のスタートは九時三十八分になる。
 四谷先輩はサービススペースで、“Jリーグ”の面々とバカ話で盛り上がっている様子。
 “インディアン魔神”や“ぬらりひょん”も、相好を崩している。
 仲が良いのか悪いのか、さっぱり解らない。
 周囲を見回すと、いつの間にか半分ぐらいのクルーがレーシングスーツに着替えている。
 モータースポーツのユニフォーム。
 彼らのその姿が、夜目にも眩しく感じられた。
 やっぱり買おうかなと、ちょっとだけ思った。
 ストリートファイターを気取る長袖シャツとジーンズ姿の僕らは、こそこそと“野良猫”に乗り込み、服部と最後の意見交換を始めた。
 その時。
「こんばんは。私たち、ゼッケン39の吉山と柳原です」
 助手席側の窓横にたたずんでいるのは、僕らよりも年下と思しき女性クルーだった。
 長袖にジーンズ姿の僕らと異なり、きちっとしたレーシングスーツを着ている。
 車は、ホワイトボディーカラーのS15.
 ラリー車としては珍しい、ニッサン・シルビアの最終型だ。
「ああ、どうもこんばんは。よろしくお願いします」
 僕らは、コンパで自己紹介をするような初々しいあいさつを交わした。
 つかの間でも、まともな同世代と話が出来たのは嬉しいものだ。
 スポーツの後の清涼飲料水のように、普通の会話はさわやかに心に染み入った。
 この3時間ほど、魔人や怪人たちにすっかり毒されていたことを改めて自覚した。
 彼女たちも、僕らと同様に新人だ。
 所属は、関東工科学院の自動車部。
 公認ラリー競技への参加を、学校側が支援してくれているという話だった。
 部活だから、仲間たちもサービスクルーとして来ている。
 彼女たちが指差したところには、学祭並みの大きなテントが張られていた。
「サービス中継では遊びに来てください」と誘われたので、「是非!」と答えた。
 彼女たちが去ってから、僕と服部はゼッケン37番を探しに向かった。
 “ひと晩中、一分間隔で走るんだから、前後のクルーとは情報交換が出来る程度にコミュニケーションはとっておけ”、という松尾さんのアドバイスを思い出したからだ。
 確か、前ゼッケンの車両は、三菱ミラージュの山内・河野組だったけど…。

 午後九時一分、下町の“モーガン・フリーマン”が旗を振り下ろして一号車がスタート。
 以下、一分おきに次々に競技車はスタートラインを通過しいった。
 スタート時間が近づくに連れ、僕の緊張は高まっていく。
 逆に、服部はリラックス状態。
「いいか!いいか!おまえらの場合、オド処理さえ終われば、九割の作業は終わりと思え!解ったか!」という、ヘビー級のプレッシャー付アドバイスが脳裏で繰り返されている。
 九時三十分。“野良猫”は、スタートを待つ列に移動。
 すると、また下宿の世話焼きオバさんみたいな四谷先輩がやって来た。
「いいか!絶対にオド前のミスコースはするなよ。解ったな!ホントに、いいな!」
 確かに、直前のアドバイスは有難くもある。
 でも、言われれば言われるほど不安になる。
 僕はまだ、四谷先輩のような鋼の無神経を身につけているわけではない。
 スタートラインに並ぶと、汗がドッと噴き出した。
 それで、自分が信じられないほど緊張していることを自覚する。
 夢の中にいるような気分になり、服部が何か話しかけているのにその言葉の意味が解らない。あらゆる音が、遠くから聞こえてくるようだ。
 九時三十八分、“野良猫”が初ラリーにスタートした。
 右手のライン横で、にこやかに旗を振る和製“モーガン・フリーマン”。
 助手席横に立つ先輩たちが檄を飛ばしてくれた。
 駐車場の出口まで進み、僕はコマ図を見て指示を出す。
「そこの右折を、右」
「了解」
 ぼくの奇妙な指示の言葉に、服部は当たり前のように答えた。
 もちろん、舞い上がりかけていた僕への気遣いなどではない。
 最初のコマ図が右折なのは知っているので、言葉など吟味せずに応じただけだ。
 服部も、見た目ほど落ち着いていたわけではなかったらしい。
「このまま五キロぐらい直進して、ドンつき交差点を左」
「了解」
 これも、恐らく指示の内容など聞かないで答えている。
 いい加減な奴だと思うと、とても気が楽になった。
 コマ図を四つ通過し、その度に距離を控える。
 少し慣れかけた時、対向車線をゼッケン25番の競技車が走り去っていった。
 僕と服部は顔を見合わせた。
「ミスコースかな?」と、服部。
「たぶん、先のコマ図で。オドを取り直すのに、スタート会場まで戻るんだよ」
「あいつら、間に合わないよな」
「ああ、たぶん。オドからの時間的余裕は十分ぐらいだから、ギリギリ無理だね」
「敵が、一台減ったって事か?」
「まあ、たぶん。…そうだけど」
 競技だから順位にはある程度はこだわりたいが、僕には素直に喜べなかった。
 服部の声の調子で、僕と同じ事を考えていることがわかる。
 一歩間違えれば、自分たちも同じ運命なのだ。
 やがてコマ図七つ目で、オド地点に無事に到着。
 ここでマニュアルの通りにラリコンを操作し、トリップを主催者の計測距離に合わせる。
 これで、ラリコン・ディスプレイ上の計測値は主催者車両の数値と同じになった。
 とりあえずこれで、オド処理は出来たと思う。
 ここからのスタート時刻を入力し、“野良猫”はのそのそと動き出した。
 すぐに頭の中で、“いいか!いいか!”の天の声が響き、補正係数をメモる。
 スタート前までは、正直に言えばうっとうしいと感じていたアドバイス。しかしそれで、結果的に頭に刻みつけられていたことを悟ると、四谷先輩様が偉大な人に思えた。
「無事にオドもとれたから、完走の可能性はこれで90%に跳ね上がったぜ」
 恐ろしく能天気な服部の言葉だが、少しだけ不安を感じつつもうなずきたい気分。
 僕にとっては本日最大の難関を、通過したのだと思いたかった。

 さらにコマ図を二つ通過し、ノーチェック区間の終了地点近くまで移動する。
 まばらだった民家も消え、辺りはシンと静まり返って山深い様子になっていく。
 ノーチェック区間の終了地点では10台ほどの車が並んでいる。
 つまり、10分程度の時間的余裕があるって事だ。
 “野良猫”は列の最後尾に停車。
 僕はルートブックの書き込みとラリコンの表示をチェックする。
 ファイナルは、11分半ほどの先行を示している。
「最初のCPは、すぐに出てくるんですよね?」
 いきなり窓ごしに話しかけられ、僕はびっくりして顔を上げた。
 驚いた僕の様子に、相手も驚き返した様子。
 後ろゼッケンのナビ・柳原さんだった。
 服部の窓の傍らには吉山さんが立っている。
「あ、はい。どうも。うん、そうだと思うよ」
 僕と服部は車外に出て、彼女たちとつかの間の世間話をした。
 話題はもちろん、このラリーに関するものだったけど。
 山間部を吹きぬける夏の夜風は心地よく、満天の星空が周囲を包む。
 辺りに民家などはなく、峠道が前方の橋の先からずっと続いているだけ。
 やがてファイナル表示で5分前。
 僕らは自分たちの車に戻って発進の準備にとりかかった。
 ヘルメットを装着し、ペットボトルのお茶をひと口、含む。
「この峠にチェックポイント、二つあるんだよな」と、服部。
「先輩たちの話だと、その可能性が高いって。でも、ひとつかもしれない」
 前方の車は1分おきに発車していく。
 そのたびに、“野良猫”も少しずつ前に進んだ。
 やがて前ゼッケンの車も、橋の彼方に消えていった。
「そろそろだぞ、服部」
「わかった。ファイナルは、ゼロでチェックインだな」
「そう」
 今日は、面倒な二次補正処理などするな、と“いいか!いいか!”が言っていた。
 僕もそのつもり。余程のズレでもない限りは。
 …9.2、…8.1、…7.6、…とファイナルはゼロに向かって進んでいく。
「よし、行こう」と、僕。
「了解」
 “野良猫”はゆっくり、峠の上り坂を歩き出した。
 橋を渡り、夜の闇の中へ。
 指示速度(アベ)は、28㎞/h。
 さすがに練習の成果があって、服部はファイナル表示をゼロ±1秒で走り続けている。
 僕は時折、ファイナル表示を読み上げながら、前方の暗がりに目を凝らしてチェック看板を探し続けた。何かミスをしているのではないかと、自分自身を疑いながら。
「あった!チェック!」
 コーナーの出口で服部がそう叫ぶのと、僕がそれを発見したのは同時だった。
 前方約20mの道路の脇に「1CP」と描かれた大きなボード。
 その横に蛍光色のヤッケ姿の人が立ち、右手に笛を持ったままこちらを見ている。
「1.2秒、先行!抑えろ!」と、僕。
「了解!」
 そう言った次の瞬間、服部はシフトダウンしてアクセルを踏み込んだ。
 あっ!と、思ったときは遅かった。
 強烈な加速でシートに押し付けられ、一瞬言葉を呑んでしまった。
「バカ!逆だ!」
 “野良猫”は猛ダッシュで計測ラインを駆け抜けた。
 笛の音が響き、僕は慌ててチェックボタンを押した。
 ファイナルは、「+4.3秒」を表示していた。
「しまった…。悪い、落さなきゃいけなかったのか…」
 舌打ちをするように、服部が呟いた。
 正解通過時間がわからないから正確な減点は知るすべはないが、ファイナル・ゼロが正解だったら、4~5秒早着したことになる。即ち、減点も4~5点。
「まあ、しょうがないよ」
 うなだれたような“野良猫”は、ラインから少し離れたチェック車両の傍らで停車した。
「ゼッケン38番!午後十時十二分十三秒!」
 やけくその大声で僕は、チェック車の窓に向かって叫んだ。
「おや。元気があってよろしい。でも、急いだ方がいいかもね」
 オフィシャル車の助手席のオジさんが笑っている。
 僕は、小さな短冊の形をしたCPカード(チェックカード)を受け取り、頭を下げた。
「5点くらい減点かな?」
「たぶん、そのくらいだね」
 “いいか!いいか!”の幻の声が耳の奥で喚く。「チェックカードは慎重に扱え!」と。
 チェックカードの紛失は1000点の減点になる。そうなったら5点どころではすまないので、カードをホルダーのクリップシートにはさんだ。
 これで、大丈夫。…の、筈だった。
 でも、嫌な予感がした。
「ところで、ここからのアベ(指示速度)は?」
「えっ!ああ…」
 チェックからの指示速度はCPカードに記されている。
 僕はクリップで留めたカードの下側を見た。
「43㎞/hって、書いてある!」
 あわててチェックラインからのスタート時間を確認し、指示速度を入力した。
 今度は僕が大きなミスをしたことに気づいた。
「ごめん!もう、三十秒くらい遅れてる!」
 ちらっ、と目に入ったファイナル表示は「-31.2」。更にそこから遅れは進行中!
 先輩たちの予想では、次のコマ図までの三キロ以内のところに、2CPがある。
 そして先ほどのオフィシャルの言葉は、それが正しい予測だったことを裏付けている。
 3kmどころか、2kmくらいで2CPが出て来る可能性だってあるのだ。
 服部の視線が反転した。
 キッとした表情に引き締まる。
 ステアリングを硬く握ると同時にアクセルを踏み込んだ!
 “野良猫”は、突然水をぶっ掛けられたような勢いで発車した。
 それまでの丁寧な運転とは比較にならない、ドタバタともがくような必死の勢いで。
 フルアクセルとフルブレーキを繰り返す、スマートとは程遠いギクシャク走りだ。
 服部の横顔を盗み見ると、目を見開いた悪鬼の形相…。
 というよりは、目を白黒させてるビックリ人形のように滑稽だった。
 が、もちろん今の僕には、それを笑う資格はない。
 とにかく、服部の運転はとてつもなく下手くそに成り下がった。
 パニックのあせりで、付け焼刃の運転技術はすっかり剥がれ落ちてしまった。
 それでも“野良猫”の底力が、ファイナルのマイナス表示をみるみる削り落としていく。
 走り出して1kmで、ファイナルは「-18.2」になった。
 1.5kmを過ぎたところから、峠道は急勾配の下り坂になった。
 この時点でのファイナルは「-12.1」。
 下り坂は勾配がきついだけでなく、道路の復員も狭くなった。
 更に、急コーナーも連続する。
 2kmを過ぎたころ、ようやくファイナルの遅れは一桁マイナスになった。
 その間、僕は二つのことを祈っていた。
 ひとつは、まだ2CPが来ませんように、と。
 もうひとつは、どこにもぶつかりませんように、と。
 やがて、後者の祈りは叶ったが、前者の祈りについては残念な結果を迎えた。
 2.8km辺りに差し掛かった頃、道路脇に人影が見えた。
「前方、チェック!」
 僕の声に、服部はアクセルの最後の足掻きのひと踏みをみせた。
 ラインを通過し、同時にCPボタンを押す。
 無情の夜に響く、虚しい笛の音。
 ファイナルは「-5.4」
 “野良猫”はしょんぼりと、チェック車両の傍らに擦り寄っていく。
「ゼッケン38番。…」
 オフィシャルは「お疲れさん」と言いながら、CPカードを差し出した。
 僕は軽く頭を下げて、それを受け取った。
「ごめん。四谷先輩に言われてたことだったのに…」
 今度はカードの指示速度を確認して入力しながら、僕はつぶやいた。
「いいさ。お陰で、面白かったぜ」
 服部は汗まみれのヘルメットを脱ぎながら、力なく笑った。
 僕も同様に、冷や汗が染みついたヘルメットを脱いだ。
 でも運転が下手くそに戻っちゃったな、とは言わなかった。
 この言葉は、失敗のほとぼりが冷める頃まで、たぶんゴールしてからのお楽しみにと思ってとっておくことにした。
 次のコマ図で再び国道に出た。
 山間部の小さな町並みが続くので、しばらくはノーチェック区間だ。
 手前のコマ図間距離は8.56kmあり、ラリコンとは約30mのズレがある。
 少し考えたが、やはり二次補正などしないことにした。
 ルートはそこから奥多摩湖に向かい、周辺の県道や林道を通り抜けていく予定。
 ドタバタ騒動で二つのCPを通過したお陰で、緊張感はほとんど消えた。
 繋ぎの区間では、カーオーディオを聞く余裕さえ生まれた。
 二つの計測区間で10点程度の減点にはなったけど、経験値というこの収穫は大きい。
 服部も落ち着いたハンドルさばきに戻っていた。
 どうやら、剥れ落ちた付け焼刃を拾い直すことが出来た様子。
 以後、3CPから11CPまでを無事に通過した。
 最初の二つのCPとは全く異なり、嘘のように普通に対処できた。
 途中の時間走行の終了地点では、前後のクルーと情報交換をする余裕もあった。
 でも本音としては、情報交換というよりも、自分たちの失敗をマゾヒスティックにさらけ出し、誰かに懺悔し、または少しだけ、この小さな“冒険”を自慢する機会。
 この傾向にあるのは僕らだけでない。
 恐らく、このラリーに参加している全てのクルーに当てはまるらしい。
 初心者同士ってこともあるんだろうけど、意外なくらい、どのクルーもこのラリー中に何らかの失敗をしており、皆がそれを楽しげに話してくれた。
 ある意味では自慢話。
 でも、本番中にそれを聞くのはとても楽しい。
 同じルートを走っているのに、それぞれが異なる“冒険の世界”を経験している。
 ラリー独特の仲間意識って、こうして生まれてくるのだということを痛感した。
 大きなミスはなかった。
 と、思う。…たぶん。
 コース上に指定されているガソリンスタンドで、満タン給油。
 そこにオフィシャルがいて、第1ステージの正解表を配布していた。
 正解表には、各ポイントからの正しい区間距離と区間タイムが記されている。
 僕らはそれを受け取り、スタート地点と同じ中継ポイントに向かった。
 僕はクリップシートにはさんでおいたチェックカードの数を確認し、安堵した。
 今日ぐらい、自分が信用できなくなったことは久しぶり。
 取り敢えず、前半だけは無事に終わりそうだ。


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