平行世界のOntologia

著 : 柊 純

Act07:システム障害


 セシリーとヒデマサは、目的地に向けて歩き出していた。

 今日中に合流して、今後の方針について決めておきたい。ただ、それだけを考えていた。

 森を抜けて視界が開ける。広い草原で緩やかな斜面になっており、このまま歩いていくとまた同じような森に入る。

 遠くに深い緑色が霞んで見えた。そこまで行くと地形が入り組んだ迷路のようになっている。今の位置からでは分からないが、街道を外れると迷うことは必至だ。

 この世界の陽も、そろそろ沈もうとしている。差し込む西日に目を細めながら、隣を歩いている老体の横顔を覗き込む。

 いつもはあまり表情のない男だが、疲れのある顔をしているようにも見える。肉体的ではなく、精神的な疲弊があるのだろう。程好く老人らしさが出ているようにも見えて、それはそれで良いのかなと感じてしまう。

 かれこれ数時間。会話がない。

 話題が出しづらく、歩き始めてからは終止無言である。

 セシリーは堪り兼ねて、腰に下がっているフォンストーンを取り出し、おもむろに、カヤに向けて発信した。

「もしもしカヤちゃん、そっちはどう?こっちは後二時間くらい掛かると思う。それとさ、生き残ったの、誰?ロストした人達どうするんだろ?下手すると、もう戻らないよね・・・」

 メンバーリストを見れば済む話だったが、とても開く気にならない。聞いても分からないようなことを聞く。

『・・・私、あなた、タクヤ、ミシェル、エレノア、サラハ、ティム。ロストした人達は、後でリアルに戻ったら確認する』

 事務口調で読み上げるカヤの声には、何かに対する怒りが感じられる。それがセシリー相手なら、遠回しにせずに言うだろう。

 別の何か、悪い事件があったことを示しているのだろう。

「そう・・・、それで、集合場所は"旧拠点"で良いのよね?あそこは天然の要塞って言うの?見晴らしも良いし、敵の進入出来る道も一箇所しかないから、戦うには都合良いよね。例の廃教会も、遠眼だけどよく見える。外から分かり辛い。隠れ家としても"持って来い"だよね」

 当時建てたギルド拠点は、鍛冶とは全く縁がない。元々はPVPを主軸にしたチームだったので、籠城目的で作られたのだが、戦うことなく役目を終えた。

「私、鍛冶屋になるよ」

 レンファの一言が切っ掛けである。

 あぁ、これは止めても無理だ。そんな顔をしていたので、誰一人反論しなかった。キリッとして真っ直ぐな目をしたレンファの表情は、今でもたまに話に上がる。すました顔の"聞か猿"と・・・

 そのレンファ本人は裏番長を自負しており、誰にも文句を言わせない自信はあったらしい。

 自信家である。

『集合場所、誰にも言わないのよ。今って誰がユダなのか分からなくなってるし・・・』

「エーッ!?裏切りもんが居んの!!?」

 フォンストーン使用だと、電話と同じで周囲に聞こえる。しまったと思い、恐る恐る横を見ると、ヒデマサが渋い顔をしていた。セシリーは笑って誤魔化す。

 カヤは、通話越しに苦い顔をしただろう。

『あんまり派手に騒がないの。私の考えには間違いないと思うけど、確定するかはまだこれからだから。予想通りなら、奴等は教会を包囲する』

「ユダは今、その場に居るの?」

『居ない。そう信じてるよ。安心して、そこにも居ない筈だから』

 ヒデマサに、それとなく怒りの様相を見た。言われずとも分かる。

 ジンは実演すると言った。同じことをしたのであれば、天秤の生き残りに裏切り者が居る。何人が裏切ったのか、全員か、一人か。マリーの身も心配しなくてはならない。

 もしくは・・・

「とにかく、急いでそっちに行くね」

 そう言い、フォンストーンの魔力を下げる。薄っすらと光を放っていた小さな石板は、フッと暗くなった。

 セシリーはそれを暫くいじくり回し、腰についた鞄にしまう。

「やぁね、移動に不便なゲームで」

 ヒデマサに向けて、必要以上に大きな声で語りかける。

 返事はない。

 セシリーは、先程の自分の反応を悔いる。

「まださ、確定したわけじゃないじゃない?だから天秤の方も、そうと決まったわけじゃないし。きっとヒデマサさん、マリーさんが心配なのよね。だから、あの・・・」

 もし、マリーが裏切っていた場合。それが頭に浮かぶ。

 泣きじゃくるマリー、そんなことを思い出した。

「何か・・・、ゴメンなさい」

 セシリーがしょげた顔になると、ヒデマサが口を開いた。

「マリーは騙されやすいタイプだからな。心配ではあるよ」

 そうだと言わずとも、ヒデマサ中では、限りなく答えに近いものが出ているのだろう。しかし、だからと言って責めることもしないだろうとも感じた。

 真相は分からず、疑いが強く、例えそうであっても曲がらず寛容である。そんな関係が羨ましいと、軽く嫉妬した。

「好きなんですね、マリーさんのこと」

 茶化すようにして覗き込むセシリーに、

「マリーはまだ十九だよ?十六も違うから、さすがにないだろう」

 そう言って苦笑いした。

 兄弟でも親子でもない微妙な歳の関係。例があるとすれば恋人同士くらいである。

「歳の差なんて、関係ないですよ」

 歳の差がなくても進展しないのも居るのだが。

 他人の一歩は背中を押せるのに、自分のことはどうしても難しい。

 誰か、思いっきり押してくれたら良いのに。そう思いつつ、タクヤのそばに居る。

 意気地無しである。そして、それも気が付いている。だからと言って、分かりやすい行動を取れている自信もない。気恥ずかしいのかもしれないし、プライドのような何かが邪魔しているのかもしれない。

「・・・マリーが待ってるのは分かってるんだ。だが、お互いが欲しているパートナーっていうのは、お互いが思っているものではなくてな。こちらが合わせるつもりはないから、向こうがそれを理解して、自分から口を開かない限りは進展しないだろうさ」

 意外に器が小さいなと思いながら、マジマジとヒデマサを見る。

「男って面倒ですね」

「女ほどじゃないさ」

 落ち着いた雰囲気と、自分の行く末をそれとなく理解した様子が見え隠れする。

 また、沈黙の行軍が開始された。

 陽はますます傾き、照らされるイザヴェルはオレンジ色に染まっている。

 セシリーはこの時間帯が嫌いである。

 一日の終わりを暗示する色が世界を包む。見えるもの全てが本来の美しさを失い、別の色に変化していく。刻一刻と変わり、そして留まらない。遠くに見える森は、濃い緑とオレンジが混ざった土のような色になっている。これが闇に飲まれるのは時間の問題だ。

 着く頃には、辺りは夜になっているだろう。

 青竜が森中に散らばれば、見付からずに集合場所へ向かうのは難しくなる。二人は示し合わせたように足を速めた。

 草原の、長く延びた草を掻き分け、歩みを進める。先ほどまでは膝丈程であったが、今は頭まですっぽり覆う程の長さになっていた。そこを、サラサラとなる音が二つ。それが少しずつ増えているような感覚に陥り始めた。

 ヒデマサが足を止め、セシリーもそれに習って足を止める。草を掻き分ける音は止まず、右の方から少しずつ数を増やしながら近付いてきているようだった。

 モンスターではないだろう。そうであれば、既に襲われている。

 向こうも動きを止めた。

 声を掛けるべきか否か。万一青竜の部隊であれば面倒なことになる。

 どう駆け引きするべきか、そんな風に悩むような女ではない。わざと音が聞こえるようにして、刀を抜いた。ヒィィンと冷たい金属音がして、辺りに緊張感が走る。

「待って待って!戦う気はないからっ!」

 慌てた様子が感じられる。聞いたことがある声だ。

「もしかして縞猫?レイナ?」

「あっ!その声、セシリーでしょ!昨日スピアーの連中斬るのにうちの子達も一緒に斬ったって!?」

 声の主は、縞猫団のマスターをしているレイナ。学生のサークルが中心になって作られたギルドで、人数はそこそこだが、プレイスキルはみんな低めである。が、ゲリラ的な戦い方には慣れているらしく、隠れるところが多い場所ではうまく出し抜かれることもある。

「どうしてこんなとこに縞猫が居るの?縄張りにしてるの、もっと西でしょ?」

「拠点付近に謎の軍団が陣取ってんの。怖いからって、ログインしてる面子は避難してたのよ。いつまでもその辺ウロウロするわけにも行かないから、クロワッサンにでもって。セシリーは?」

「その、謎の軍団に追われて壊滅寸前・・・」

 詰まったような声に、レイナは気付かない。別の事に気をとられているのだろうか、話し口調にも少し焦りが感じられる。

「セシリー、囲まれている。魔力的に、視界を覆ってるものくらいは払いのけられるが・・・」

 ヒデマサがそっと耳打ちしてきた。

 音に集中すると、かなり大回りに草を掻き分ける音が聞こえてきている。後方に二人、前方にレイナを含む三人までは認識できた。

 仮想世界では、現実世界で感じられる殺気を隠すことが出来る。動かなければ気配も隠しやすく、発見も困難になる。

「レイナ、何人居るか知らないけど、私相手に喧嘩売るの?」

「え?何のこと」

 とぼけた声に揺らぎを感じる。ヒデマサはレイナの返答をブラフとした。セシリーに背中を預けて小声で詠唱を始める。円形、真空、刃、これを増幅して威力を落としながら、持てる魔力の半分をそれに注ぎ込んでいるように聞こえた。見渡す限りの草を薙ぎ払おうというのだろう。

 了解の合図で、セシリーがゆっくり腰を下ろす。

「良いですよ」

 同時に、ヒデマサの両手が左右に突き放されるように広げられる。ザアッと音が鳴り、衝撃波と細かくなった真空の刃が、周囲百メートル四方の草を薙いだ。

 セシリーの後方二人は数が合うが、前方は六人居る。ソーサラーを抱えての戦闘は難しい。だが、そこはセシリーの性格である。大刀を肩に抱えて地を蹴った。細かい刃に滅多切りにされ、唖然として固まっているレイナに向けて一太刀を振るう。ピタリと相手の首筋に刃を当てて、動きを止めた。

「やる?やらない?」

「や、やらない・・・」

 その場に居た縞猫のメンバー全員が武器を放り投げ、手を上げた。


 旧拠点からの外の光景は、闇に染まっていた。たまたまサラハが外を見た時に、幾つかの松明の光を見付けたが、それが予想通り廃教会に向かっていることを見て感心した。

「カヤちゃん予想通り。ケインはユダみたいよ」

 その言葉を聞いて、後ろからカヤが近寄ってきた。月夜に浮かび上がる黒髪の少女を姿は、松明の数を確認して明かりを消すように奥の部屋に向けて指示をする。

 松明は数を増やしながら、廃教会を包むようにして取り囲み始めた。落ちた飴玉に群がる蟻のようにも見える。

「誰か、裏から出て、セシリー達を迎えに行ってあげられる?」

 カヤの脳内に、近場をウロウロと徘徊するセシリーの図が浮かんだ。

 数年ぶりな上に、似たような光景が続いている森の中である。居付いた期間も短いので、もしかすると、脳筋のセシリーには辿り着くのが難しいかもしれない。

「良いよ、俺行く」

 タクヤが奥から出てくると、外を見て

「うわ、気持ちわる・・・」と呟いた。わらわらと松明の光を揺らしている青竜と思われる部隊は、目視できる明かりの数だけで八十前後、全員が松明を持っていたとしても、それだけの人数があの場に居る事になる。

「合流してこの付近に辿り着いたら、一旦連絡入れるよ」

「分かった。よろしく」

 タクヤが階段に向かうと、ミシェルもそれに続く。

「同行しますね」

 同じ場所に留まって待機しているのが苦手なミシェルは、ここぞとばかりに付いて行こうとする。一瞬カヤが止めようと手を動かしたが、退屈させるのもかわいそうだと瞬時に切り替えた。

 喜び勇んで出掛けるミシェルに

「気を付けるようにね」と付け加えると、また窓の外の方に視線を移す。ちょうど、松明の光が廃教会の中に流れ込んでいくのが見えた。行きは良いが帰りは厳しいかもしれない、そう思った。

 このタイミングまでにケインから連絡がない。裏切りは確定的で、次はケイン以外のメンバーを注視しなくてはならないだろうか。

 カヤは室内のメンバーを見渡した。

 全員、ケインよりも長く同じ時を過ごしてきた仲間達である。先頭に立つよりも後ろから付いて歩いてくるようなタイプで、やり込みよりも付き合いを優先するような連中だ。ケインのように、権力を持ちたがっていたような人種ではない。

 今考えてみれば、ケインは力を持ちたがっていたようにも感じられる。カヤにとって、全メンバーの中で唯一感じていた違和感が、今ようやく理解できたようだった。

「この後、どうしようね・・・」

「いつまで続くかだよなー。彼等だって、ほとんどは社会人な訳だろ。このままいつまでもってのは無理な話だから、何かやろうとするなら明日までだろうね」

「そう考えると、もっと荒っぽい手を使ってきても良さそうだけど」

「あれ以上荒っぽいってどんなさ」

 廃教会から松明の明かりが、巣から飛び立つ蜂のように出てくるのが見えた。

 明かりは、三~四つが一つのグループになって、四散していく。周囲の捜索を開始したのだろう。

「カヤちゃん、俺ら一旦ログアウトするよ。リスク分散にもなりそうだし、ネット上で青竜の今回の動きに関する情報も入るかもしれない。ロストした仲間達とも連絡取り合っておきたいし。・・・ここ見付かったら、うまく逃げるんだよ」

「そうね、・・・このまま、平日になるまでログオフしてると良いかも。今なら安全にログオフできるだろうし。私も、セシリー達と合流したらログオフするね。分かったこととかがあれば、メンバーズチャットの方にログ残しよろしく」

「りょーかい」

 そう言いながら、サラハはメニューを出してログアウトしようとする。が、そこで動きを止めた。

 何か悩むように本の形をしたメニューを触り続け、首をかしげる。天井を見たり、後ろでのんびり座っているエレノアとティムの方を振り返ったりして、再度カヤの方を見た。

「なんかさ、どこかの小説で見たみたいな現象が起きてるんだけど、ログアウトする機能が見当たらない・・・」

 カヤはそれを聞いて、メニューを開いて中を見る。

 システムの項目の、ログアウト。それは存在しているが、文字がグレーアウトして、選択できなくなっているように見えた。

 試しに触ってみるが、触れた時の文字の点灯がない。

 残りの二人の方を見るが、

「俺のはログアウトできるみたいだね」

 と、ティムが口にしただけである。その隣で、エレノアがメニューの同じところを何度も指でタッチしているのが見える。

「グレーアウトしてない?」

「してないね」

 そういうと、実際にログアウトしはじめて見せた。ティムの頭の上に、ログアウトできるまでの時間が表示され、カウントされはじめる。

 カウントがゼロになり、ティムはフッと煙が出るようにして姿を消した。

「ログアウトしたね。人によって出るのと出ないのがあるって、どういうことだろう」

 カヤは、同じシステムの項目にあるGMコールを押下するが、こちらもグレーアウトしていて反応しない。

「GMコールも機能が使えない。これ、どうなってるの?」

 部屋の奥で、エレノアが、メニューになっている本を力いっぱい殴り付けたが、何も反応していないようだった。

 特定メンバーにだけ発生するバグ・・・、とは考えにくい。そもそも、イザヴェルにはクライアントソフトの概念が無く、ネット上を通ってきた特殊なデータがハードウェアで解析され、脳内が受信できる信号に変換しているだけである。

 このため、根本的なハードウェアが書き換えられることはなく、何か対応がされるとするとサーバー本体が直接書き換えられている以外には考えられない。

 サーバー上の基本的なプログラム部分ではなく、ある特定のプレイヤーのみを標的にした悪質な嫌がらせ・・・、と、カヤは考えたが、それができるのは開発元の会社のみになる。

 そうすると、どうにも納得がいかなくなった。どんな理由があるにせよ、運営が自ら首を絞めるような行為を行うはずがない。

「どうしよう。合鍵まだ回収してないの。そろそろ仕事終わって帰る頃だろうし、あの状態見て別れた彼氏が報復にきたら・・・」

 エレノアが頭を抱えている。それを見て、サラハが和んだ表情をしていた。



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