平行世界のOntologia

著 : 柊 純

Act01:仮想世界イザヴェル


 認識出来る現実が、脳内に走る電気信号なのであれば・・・

 この精巧に作られた仮想世界もまた、現実なのではないだろうか。


 照りつける鋭い光と肌で感じる暖かさ、薫る土と緑の、濃い自然を模したエフェクト。時折肌を撫でる風の流れが、人間の感じ取れる限界まで細かく表現されていた。

 走ることによる息切れは殆ど無く、現実世界での行動よりも正確で機敏である。

 高く跳ねることも出来れば、育ちかたによっては騎馬と並走することが出来る。

 模倣の世界、だが少なくとも、今現存する中で最もリアリティのあるその世界、その辺境に位置するこの地方は、今日の今この時点では平和であった。

 立っている小高い丘の上から覗き見る小競り合いを除けば。

「行くつもり?」

 呆れたようなニュアンスが含まれた言葉に、その女性、"セシリー"は振り向いた。

 金髪の癖毛と蒼い瞳が映える。細身で長い脚が大地から伸び、長身スレンダーな身体が世界に影を描いた。ラメでキラキラと光る目元には、小さいホクロが一つ。形の良い唇は潤いを蓄えていて、弾力がありそうだ。色白の肌に適度に乗せられたチークは、その場だけ春を感じさせるように暖かみがある。フワリと香る香水は、現実世界でも販売されるコラボアイテムだろうか。近くに来ると見とれてしまうような、そんな魅力を持っている。

 正しく造られた美女である。

 造形が完璧過ぎて、最初は誰しも違和感を覚える程だ。少し両端が垂れ下がった眼には悪戯染みた光が宿っている。

「あっちの河岸の草むらにミシェルとタクヤが居るでしょ?」

 ついさっきまで一緒に歩いていた二人の姿が見えない。

 何時の間にか指示を出したのだろう。先程まで談笑していたのが消えていることに、今になって気付いた。

 チーム拠点の仲間と連絡を取っていたので仕方ない。

 セシリーは眉間にシワを寄せて、嬉しそうにニカッと笑うと、

「挟撃するんだ」

 と言いながら、少し助走をつけるように軽く走りだし、ピョンと一度跳ねて倒木を避けると、そのまま小競り合いに向けて全力で駆け出した。

 純白に青いラインが入ったレザーコートを、風に流すようにはためかせて走る。

 細剣を抜いて低い姿勢になり、猫科の肉食動物が獲物を追うような速さで疾走した。それを見て逃げる、角が立派な鹿のような生き物を追い抜き、雑草の細長い葉を空に舞わせ、十数秒で小競り合いに飛び込んだ。

 反対側からはまだ人影が見えたくらいで、挟撃になっていない。

「あーあー、本物のバカね」

 丘の上からその姿を見ながら、黒のショートヘアをかきあげた少女、"カヤ"は、親友の傍若無人ぶりを見て口をへの字に曲げた。身長は少し低めだが、バランスの取れた体格で姿勢も良い。全体的に黒い装備で身を固め、腰に刀を下げ、背中に弓を背負っている。レザーアーマーの胸部にギルドの紋章が刻まれていた。広がった翼とギルドの象徴である天使の輪が陽光を浴びて虹色に輝いている。貝のような金属光沢は、特殊な金属を加工して作られており、ギルドの職人の魂が籠っている。

 セシリーが乱戦に飛び込み、同時に一人突き倒した。相手は急所を突かれ、人形のようになった。

 セシリーはいつもこんな感じだ。すぐに思い付きで行動する。酷いときは数十人の敵対ギルドに襲いかかり、命からがらの敗走をしたりもした。

 "死ぬことと見付けたり"セシリー座右の銘である。現実世界で得られない刺激を獲得しにきたのだから、それが当たり前なのだそうだ。

 とは言うものの、まだ死んだことはない。

 仲間の誰かに言わせると、

「セシリーは戦闘民族だから仕方がない。突撃クセはどうかと思うけど、お陰で退屈しなくて済むから個人的にはありがたい・・・、かな」

 らしい。

 カヤは大きく鼻から息を吹き出し、メニュー画面を開いた。雑誌のようなサイズの本が目の前にパッと現れる。古びた革製の表紙に、銀色の紋章が埋め込まれていた。

 その本は、自分を中心に特定の位置に静止している。プレイヤーを軸に座標が固定されているのだろう。

 空に浮かぶ形のメニュー本を片手で操作して、タクヤとセシリーの位置を確認した。確かに向こうの草むら近付いている人影がタクヤ達だ。

 カヤは、少し先に見える戦場へ、散歩にでも出るように落ち着いた歩みで近付いて行った。あの人数相手であれば、他のメンバーが居なくても難なく掃除しきるに違いない。

 辺境とは言え、セシリーはこの近隣で五本指に入るギルドのマスターをしている。それ相応の実力は有り、一般のプレイヤーとは別の次元に居る。

 反対側から全力で走ってくるミシェルが辿り着くまでに、敵の数は片手で数えるに足りるほどまで減っていた。

 ひゅんひゅんと白銀の細剣が振られる度に血しぶきが上がっている。地獄絵図へと変貌を遂げはじめていた小競り合いは、カヤがその場に着くまでにキレイに完成してた。

「ホント、脳筋ね・・・。脳みそまで筋肉なんて、ある意味羨ましいよ。でも、振り回される人のことも考えてあげてね」

 戦利品を物色するセシリーを見ながら、カヤが呟いた。殆ど間に合わずに落胆していたミシェルが聞いていたが、当の本人は、落ちた装備品から入手可能なものを選別するのに夢中になって聞いていない。

 聞いていても知らぬふりを決め込んでいるだろうが。

 剣好きのセシリーは、安かろうが高かろうが刃物が好きである。性能よりも見た目が重視されたものを選んで手に取っては、薄ら笑いを浮かべている。

 周囲の倒れたプレイヤーキャラが一人ずつ姿を消し始めた。

 半分程減った辺りで、一人離れたところでそっぽを向いているタクヤが振り向いた。

 長身で、刀を二本腰にぶら下げている。長い髪を半分程後ろで束ねており、編んでいる。腰の辺りまである後ろ髪の先を更に束ねていた。優男風で目鼻筋がハッキリしている。その顔が面倒そうに崩れていた。

「なぁ、逃げないか?」

 騎馬の駆ける音が聴こえてくる。地面から震動が伝わるくらいに数が多い。

 カヤは、倒れながらもホームに戻らない連中を見た。彼等の増援だろう。

 喋れない状態だが、中の連中は笑っているかもしれない。

 その横で当然のように剣を抜くセシリーは、この場に飛び込んだ時よりも嬉しげに口元を緩めている。

「やりますかー、セシリーさん!」

 そう言いながら、ミシェルも剣を抜く。

 身長はセシリーと頭ひとつ違うが、バランスがとれている。可愛らしい顔をしていて、大きめの瞳に赤みががった茶色が輝いて見えた。紫がかった銀髪で、ストレートのサラッとした髪質が風に揺られている。

 動き回るのが好きで、暇さえあれば走り回っているタイプである。すぐに手が出るセシリーとは気が合うようで、ギルドに入ってからは毎日一緒に行動していた。

 元々セシリーのフレンドで、付き合いはギルド内部でも古参に入る。

(うちの場合、男より女の方がアクティブで激しいなー)

 カヤの心の声に反応するようなタイミングで、タクヤが

「どうしよう?」と言いたげな表情をして振り返る。

 カヤからは見えないが、かなりの大部隊なのだろう。

 付近には身を隠せる場所もない。セシリーが殺った情報は向こうに伝わっているだろうから、惚けても逃れられない。

 カヤも真剣な顔をして武器を手に取り、タクヤに向かって

「諦めて」とアイコンタクトをした。

 ガックリと肩を落としたタクヤの口からは、

「めんどくさぁ~」と念仏のような暗い一言が発せられた。


 この世界の名は"イザヴェル"。神々が滅んだ後に平和が訪れた楽園ということになっている。

 実際は多数の種族が混在し、ギルド同士の抗争が絶えない戦乱の世だ。

 元々明確な目的を立てられていない世界で、第二の現実世界と銘を打たれていた。

 ストーリーに沿ったクエストや、収集癖を満たすコンテンツが山ほどある。

 自由度が高く、スキルさえあればアイテムの外観デザインさえも可能だ。そういったアイテムには、特殊な力が宿ったりもする。

 簡単に制作ができるプリセットレシピも存在するが、職人が職人として存在することが可能であった。

 世界は広く、端から端までは歩いて数日はかかる程だ。未開拓と言っても良いような土地もまだまだたくさんある。

 セシリーのギルド、"AngelHalo"は、かなり前に、その未開拓の地の一つにやってきてホームを立てた。大都市の巨大なギルドには力が及ばず、拠点を立てることができない。難民のようにやってきて、小さなギルドを設立したのだ。

 近隣には町があり、到着した当初はNPCしかいなかったが、ギルドが介入することによって交易が始まり、自然にプレイヤーが増え始めた。ギルドも増え、急速な発展を遂げ始め、田舎町ではあるものの、賑やかになっていく。

 すると、自然に利権を得ようとするものたちが現れた。運良く商売に成功しただけだった彼等は、次第に徒党を組んで大きな顔をし出した。

 更に、大都市同士のハブになるまで町が発展するに至ると、交易品を運ぶ商隊への通行税を課すようになる。

 彼等は、時と共に肥大化した。

 小さな軍程の規模になると、AngelHaloへの立ち退きを要求するようになり、八人の使者を送りつけてきた。

 全員屈強な戦士のような風貌で、威圧目的は明白だったが…

「全面戦争で良いよ?」

 そう言って、セシリーは使者八名を斬るという暴挙に出た。

 ギルドの面々も怒り狂ってはいたが、まさか斬るとは思わなかったらしい。声を揃えて叫ぶと、彫刻のように固まった。

 斬り終わり、チンと音を鳴らして剣を鞘にしまったセシリーが、何事もなかったように振り向く。と、一人ミシェルだけが、透き通るような美声で笑っていた。

 記憶に新しく、つい一月前の話である。


「セシリー、さすがに逃げるよ、シンガリは私がやるから」

 カヤが親友の肩を叩いて軍団の迫る方を見る。五十は居るだろうか。黒い甲冑に身を固めた騎士クラスが十五名ほど、馬上弓が二十と、ソーサラーらしき姿も確認出来た。

 少人数で行動しているのを狙って、フィールド上に配置していたのだろうか。

「さすがに厳しいかなぁ・・・」

 と言いながら、武器を細剣から、長さ二メートルはあるような大刀に持ちかえる。

 どこからともなく現れた大刀は、片手では振れないぐらい重い。

「斬り伏せるからね」

 と言い、グンと力づくで肩に担いで、姿勢を低めに走り出した。

 先程のような速さではないが、充分な速力で突っ込んでいく。

 仮想世界でも空気の抵抗があり、風圧に髪が流され躍り狂った。

 向かいから来る騎馬隊は速度を緩めず、槍の穂先をセシリーに向けていたが、当人には何もないようだった。

 関係ない。まさにそんな台詞が聴こえてきそうだ。

 騎馬隊とぶつかるタイミングで、セシリーは姿勢を深くし、肩に担いだ刀を全力で降り下ろす。

 太い風切り音、ズンと重い切断音が響く。

 スプリンクラーからの放水のように血渋沫が飛び散り、袈裟懸けに分断された馬とプレイヤーが、振られたサイコロのようにバラバラと散らばる。

 刀のスキルで言われる兜割りの応用で、筋力パラメーターの"速度"が非常に高いことと、ミリ単位で細かい判定の"剣筋対物九十度"が発動条件になる。

 二つ目の条件があまりにも難易度が高く、一般プレイヤーでこれを見たものはあまりいない。

 セシリーは走りながらこれを発動させた。

 普通は、硬く動きの遅い相手に対して使う。例え運が良くとも、動きながらの発動は賞賛に価する。

「うっは、痺れる。一撃かよ」

 タクヤが絶賛するのを聞いて気を良くしたセシリーは、再度刀を担ぐ。

 馬上弓が狙いを定めたが、カヤの大弓が放った矢によって左腕を射抜かれた。

 痛みはないはずだが、射手はその精密な射撃に驚いて悲鳴を上げる。それに気を取られた隙を突いて、タクヤとミシェルが飛び込んだ。

 二人の剣が馬上のアーチャーを一人ずつ馬上より落とす。どちらも戦い慣れしていて、動きが速い。

「ま、待てお前ら。今は作戦行動中だ。ここで戦力を減らしてどうする!」

 リーダー格の男が仲間を制すると、セシリーの方を見る。吊り上った眼の男である。

 唇は細く、口は大きい。色は統一されているが、他とは装備の出来があからさまに違うのが分かる。装飾が施され、宝石が散りばめられている。

 競売では買えないオーダーメイドのものであるとすぐに分かった。

 この男が居るということは、率いられた部隊は"BloodySpear"で、AngelHaloの天敵に位置する大ギルドだ。

「カルロス、私は全面戦争を宣言したのよ。ここで逃がすつもりとかないから」

 セシリーの鋭い言葉に、リーダー格の男、カルロスが馬から下りて近付いてきた。

 装飾品かアクセサリーがチャラチャラと音を鳴らす。肩をいからせて歩くその姿に、何故か周囲の面々は緊張感を感じてしまう。

「すまない、今回は謝る。時間がないから今回は引いてくれ。必要であれば改めて謝罪もしよう」

 冷たい雰囲気の男だったはずだが、珍しく低姿勢で返答する。

 何かトラブルに巻き込まれているのだろうか、焦りは見えていないが、急いでいるようには見える。

 完全な敵対勢力であるセシリー達に対する低姿勢がその根拠だ。

 血の気が多く、他の用事があったとしても攻撃を仕掛けてくる、そんなカルロスの行動とはかけ離れている。

 不気味でもあり、逆にそれがあるからこその邪魔をしてやりたい気持ちも、セシリーの中では消えない小火のように在った。

 だが、こちらもカヤが制した。

 運が良い。

 このままやり過ごせるならそれが一番良いだろう。自分達に関わらない話であっても、油断させて尾行するのも良い。カヤはそう考えた。

「良いでしょう。行ってください。あまり有りませんが、これも使ってもらえますか?ロストした馬の分としておいてください」

 そう言うと、キラキラと輝く、青く小さい水晶球のようなアイテムを数個、カルロスに手渡した。

 非常に高価な品である。それ一つで、ある程度の規模のダンジョンを攻略するのに必要になる回復系アイテムを、ほぼ全てまかなえる金額になる程だ。

 馬一頭などとは決して言えない。

 カルロスは、眉をしかめながらそれを受け取ると、感情のない声で礼を言う。

「すまない。助かる。借りは返せないかもしれんが・・・」

 その反応に事態の深刻性を確信したカヤは、横から口を出そうとしたセシリーの口をバンと叩いて押さえる。

 本人に向けて一瞥して黙らせると、

「早く行ってください。私達の気が変わる前に・・・」

 無表情な事務的な口調に対して、相手もそれに肯く。

 本当のところは、セシリーを長く止めておく自信がない。精神的な優位性のようなものがあるが、実力で言えばギルド内で並ぶものが殆どいないのも事実である。勝負しても、傷を負わすことすら難しいくらいにレベルが違うのだ。

 カルロスは、小さな水晶球を一つずつ握り、付近に散らばった仲間に対して使用した。

 所々で青い光が広がり、倒れたプレイヤー達がゾンビのようにのそりと立ち上がり始めた。

 顔色は悪くない。

 デスペナルティがいくつか存在するが、その場での蘇生を行うことにより緩和される。

 倒されてホームポイントに戻る場合が、

「傷病状態」と同じになり、強制的に二週間のステータス四分の一化と、スキルが下がることによる武器や防具の装備不能が課せられる。

 この状態で続けてもう一度倒されるとキャラクターがロストしてしまうため、行動することは非常に危険となる。

 その場での蘇生が成功した場合は、ステータスは四分の三化し、装備は今まで通りのものが可能となる。

 その場の蘇生が何度続いてもキャラクターはロストすることはない。

「タクヤとミシェルもその人達を離してあげて」

 カヤの言葉にホッとした表情のタクヤと、かなり不服そうなミシェルが、相手の首元に突き付けた剣を鞘に仕舞う。

 周囲の緊張感は残るものの、厳戒態勢は解かれたような感じがあった。

 カルロスが仲間を見回しながらチーム内の発言をしたのだろう、多数の騎馬兵は現地で拾った仲間を同乗させ、そのまま移動を開始し始める。

 草を踏みしめる蹄鉄の音が少しずつ小さくなっていく。

 遠くに去っていく敵兵の背中を見ながら、セシリーは不満で爆発寸前の顔をして見せた。

「カヤちゃん。どうして止めたの?」

 セシリーの言葉に、カヤが満面の笑みで返答した。

「止めたと言うか、止められて止まるんだもの。そんな程度ならリスク犯さなくて良かったーって思うの」

 言葉に詰まったような顔をしたセシリーは、持った刀をとりあえず振り上げたが、下ろしどころがなく宙を何度かフラフラとさせて地に下ろした。

 実世界より回転の早いこの世界の陽が少しずつ傾き始めている。紅くなりつつある陽の光が照らす辺境の地に、セシリーの当たり所は無かった。



top