僕は目を覚ました。
「ようこそ火葬列車へ」
八十過ぎだろうか。しわもかなり進行し、歯が黄色く黄ばんだ老婆が僕に話しかけた。火葬列車とは何のことだろうか。確かにガタンゴトンという列車特有の音がするたびに、
仰向けになっている僕の体に振動が伝わる。
状況がさっぱりわからないなりに現状を説明するのであれば、自殺した後、目を覚ましたら列車に乗っていた。ということになる。
まるでつじつまが合わない。自殺の関連語が電車だなんてロマンチックではあるが、一般的には全くつながりがないものだ。
状況が飲み込めないまま、手をついて上半身を起こす。
老婆の服装は外見と異なり、しわなど一つも見られない真っ黒なシスターのような姿だった。
「すいませんがここはどこでしょうか?僕は確か・・・」
まぶたの肉が力なく老婆の瞳を隠している。目じりもたれて、まるで微笑んでるかのような顔を見ると、これ以上のことを言う気にはなれなかった。
「先ほどもいった通り。火葬列車でございます」
火葬列車。思い出すように生前の記憶をたどる。
生前?
冷静になって考えている自分に驚き、僕は自分の手首を見た。そこにはまだ生々しい傷が、自分の過去を主張するように残っている。手でなでるように触れると、傷口から肩にかけて鋭利な痛みが走った。
生きて・・・る?
少し混乱してきた。どうにもリアリティーに欠けるが僕は生きているらしい。一体これはどういうことだ。いやもしかしたら、地獄ならば苦痛、天国なら快楽、というように死んでも感覚というのは残るものなのだろうか。むしろ痛みが残っているのだからここは地獄か。
「うらわかい青年さん。ここはあなたが考えているような所ではありませんよ」
首を傾げて自問自答を繰り返す僕に向かって老婆は忠告する。
「それではここは一体」
「時間は沢山あります。ご自分で確認していったらよいのです」
老婆はそこまで言うと、列車の進行方向に向かって真横に向きを変えた。
進めといっているのだろうか。確かに後ろを見ると、小さな窓から緑色の景色が遠ざかって行くのが見える。きっとここは、列車最後尾の車両なのだろう。
老婆を見たが、もうこれ以上しゃべる気はなさそうだ。よし。地獄でも何でも進んでやろうじゃないか。どういうことかはわからないが、確かに僕は一度死んだ。もう全てに怯えることなんてない。自由なのだ。
首を肩で斬り落とすように老婆の横を通過すると、僕は勢いよく二車両目の扉を開けた。
そこはまるで地獄とは思えない陽気な雰囲気が漂っていた。若い女性から熟年の男性までありとあらゆる人たちが会話を交わしている。
「おっ新入りだ。いらっしゃい」
「手首の傷から考えるに浴室で死んだんじゃないか。どうだ当たりだろう」
なんて失礼なやつらなのだろう。人の死んだ状況をまるでクイズのように楽しむなんて、趣味が悪いにも程がある。しかも自殺した人間を弄ぶような行為なんて人として許せない。
いや待て。もしかしたらこいつらは人ではないのではないか。もし地獄ならば鬼という可能性がある。それならあんな失礼な質問も納得がいく。なるほど最初の苦痛にしては非常に軽快ではないか。最初からきつい拷問というのも情緒がない。
軽く会釈をすると、僕は三車両目に向かって歩き出した。
「おや。もういくのかい」
「どういうことですか。進んではいけないのですか」
「いやそうじゃないけれど・・・君まさか、一車両目の説明を読まなかったのか」
話によると一車両目の扉の脇には、この列車の説明が書いてあったらしい。僕はまんまと老婆の挑発に乗ってしまったらしい。小細工か。腹が立つ。
戻るか進むかどうしたものか。僕はその場で少しうろうろした。様々な人のような鬼達が目を泳がせながら黙って僕を見ている。さっきのムードとは一変して、今度は沈黙が流れている。
時間にしては一分も経っていないだろう。いやこの場で一分も耐えることが出来る奴がいなかったといったほうが的確か。なんにせよ若いOL風の女性が口を開いた。
「そう。貴方。読まなかったの。ならきっと・・・貴方は」
意味ありげに僕に説教でもしているのだろうか。どうせ考えの浅い事でも言う気だろう。自分のほうがまるで知っているかのように。こんな奴に生前、何人会ったことか。
いいだろう。多少説明を読まなくたって対処なんていうのはできる。だからそんな目で僕を見るな。お前らのような下品な目で僕を見るんじゃない。お前らの期待になんて答えてやるものか。大体お前ら人に期待して恥ずかしくないのか。全くイライラする。
OLの首の周りについているあざを一瞥すると僕は先に歩みを進めた。
三車両目の扉を開けた。
今度は二人掛けのペアシートのような座席が、前に向かって延々と続いている。車内は照明が絞ってあり薄暗く静かだ。席は二人掛けだが、並んで座っている人なんて何処にも居ない。皆、窓側の席に一人で座って、前のイスの背に映し出されている映像を見ていた。なにやら映画のようだ。
中にはスンスンと涙を流している人や、力の無い目で無気力に眺めている人もいる。一体どんな内容の映画なのだろうか。
なにげなく空いている窓際の席に座った。すると生前に見た事がある、有名な列車会社のロゴが画面に浮き出た。
あれこれは?ここは現実なのか?
このシステムは現代の旅行列車には大抵付いている暇つぶしだ。なれた手つきで画面を弄ると一覧メニューが出てきた。しかしメニューには一つしか項目が無かった。たった一つのだが自殺した僕、いや自殺した人には魅力的な項目であることには間違いない。
画面をタッチすると電子音と共に映像が流れ始めた。それは僕が生まれてきたから死ぬまでに起こった出来事や、経験した事柄をまとめてドキュメントにしたような映像であった。
「こんなものいつの間に」
少し気味が悪かったが、よく考えてみるとこんな現代だ。人は番号で管理されいつでもどこでも監視されている。プライベートなんて既に概念に過ぎない。ならばこのような走馬灯が作られていてもなんら不思議は無いではないか。なるほどよく出来ている。よかった事や悪かった事が巧く起承転結としてまとめられている。もちろんいい方向にだけど。
これはこれで中々酷い。自殺した者にこんな未練がましい映像を見せるなんて。確かに泣き出す者がいるのもうなずける。
しかしながら僕はこの全てに絶望したのだ。その上こんなに現実はドキュメントじみていない。だから自殺したのだ。今更こんなもので感傷的になんてなるものか。いや、なってたまるか。
僕は画面の中で生存中の自分をあざ笑った。
席から立ち上がると、頭を振りながら次の車両に向かった。
四車両目の扉を開けた。
食欲をそそる匂いがして、自分が空腹だということに気が付いた。もう疑問を持つことなく席に座る。そして先ほどと同じようにタッチパネルで食べたいものを注文した。
食事が届くまで水を飲んだ。水は螺旋を起こし喉から胃に染み込んだ。
「水とはこんなに美味しいものだったのか。生きているときには気が付かなかった」
中々いいジョークだと自分を笑うとグラスを指定の位置に戻した。
備え付けのボタンを押すと、スムーズに水のおかわりが出てきた。今度はもっと味わって。そう思いながらゆっくりと口に含むように飲んだ。
しかし僕はどれくらい死んでいたのだろうか。いや違うか。どのくらい死ぬ事が出来たのだろうかの方が正しい。自分の意思とは反して生き返らせられてしまったのだから。あぁもうややこしい。なぜそっとしておいてくれないのだ。
少しして、注文した食事がレールの上を滑って配膳されてきた。
あまりにも早く詰め込みすぎて、何が出てきていたのかを忘れてしまった。しかし舌鼓を打つ暇なんて無いほどにそれらを貪欲に平らげた。
水を飲み、一息ついて、やわらかいイスに背を思いっきり伸ばした。列車の振動が伝わる。しかしさっきと打って変わっていい気分だ。そんな気分で少し眠ってしまった。
中々。悪くないじゃないかこの列車。
目が覚めると自動的にグラスに水が注がれた。食器は勝手に片付けられている。自動的に注がれる水に少し嫌悪感を抱いたがそれもしょうがない事だ。これも便利になればと誰かが作ったシステムだ。そこに悪意なんてきっとないのではないだろうか。ならばこれは許された監視とでも言うべきなのか。なんにせよ僕の気にしすぎなのだろう。
窓から外を見るともう夕暮れだった。窓はテレビにもなるので、もしかしたら画像かもしれないと思ったが、空気の淀みからこれが本物の景色だという事がわかった。
食欲という欲求を満たした僕の心には少し余裕が出てきたらしい。こんな場所でまさかこんな気持ちになれるとは思わなかった。
僕はイスから腰を上げると、列車への好奇心と、胸への心地よい熱さを覚え、次の車両に向かった。
様々な車両があった。いくつあったかは忘れてしまった。ただ仕事からエンターテイメント、女に酒に学問。ほぼ全てのことがあったのではないだろうか。まるで小さい正常な社会のようだった。
確かに気に入らない車両も多々あった。しかし進むにつれて僕は、落ち着いて正常に戻っていった。
そして僕は最後のひとつ前の車両に入った。
一振りのナイフを渡された。なんだこれは。
車両内に入ると、全員が青ざめた顔でナイフを握り締めている異常な空間が存在していた。なんだここは。
自分の握り締めるナイフと他の人のナイフを見比べた。何も違いはない。
手を震わせている者、床にナイフを落としている者、胸の前で凶器を見つめている者。そして夕日でいっそう赤々と輝くナイフを持って、呆然としている男と、目の前に倒れている女性。
僕はあまりにも唐突で痛撃な場面に体が硬直していた。
「あっ貴方達は一体何を考えているのです。どっどんな理由があっても、人を殺すなんて許される訳が無いでしょう!!」
全員まるで狐につままれたような顔で僕を見つめている。当然だろう今の僕は滑稽なほど丸出しだ。ああ恥ずかしい。
そんな僕を見かねた殺人者の一人が言った。
「そうですか貴方はまだ・・・」
殺人者は悲しそうな笑みで、一つ自分に頷いた。
「貴方にこの車両はまだ早すぎる。さぁ最後の車両へ」
「そっそんなことあなたに言われたく」
「早くしなさい!!」
僕は引きずられながら最後の車両前に運ばれた。
最後の扉を開ける。
扉を開けた瞬間。僕の体は炎のようなものに包まれた。そして上にも下にも向かうことなく均等にかかる灼熱にあがく事すら許されず燃焼されてしまった。
そんな僕を殺人者達は優しい顔で見送ってくれていた。
「ああ、そうかそうだったのか。僕も・・・」
未来。人々は人間を蘇らす事に成功した。
しかし倫理上から蘇らすにはそれ相応な理由が必要であり、管理は全て国が行っていた。
そして国がそれを行使する大概の理由は、自殺への酌量の余地を認知した時だ。
自殺にも、それ相応の理由があるというものだ。
その理由が裁判で正しいと認められたとき、再教育機関である火葬列車で蘇生される。
生き返った者は、正常と判断されるまでそこでの生活を余儀なくされる。
もちろん何度死んでも、更生するまでの蘇るのだ。
要するに自分で死ぬ事は許されない。
それこそが自殺に対する罰。
そして自殺の罪状の名は殺人罪。
目を覚ますと、そこには見たことのあるしわだらけの顔があった。
「ようこそ火葬列車へ」
「ああどうも。貴方のせいでもう一回自殺して来ましたよ。」
今回は本心で老婆は微笑んだ。
「よかったでしょう。説明を読まなくて。」
「確かにそうかも知れない。でも僕はまだまだここへ来てしまいそうだ。納得できない事は・・・いやわからない事が沢山ある。」
「そうですか。」
何か照れくさくなって僕は目をそむけた。老婆は嬉しそうに続ける。
「少なくとも今は生きているのです。ゆっくりと考えればいいのですよ。」
「・・・そうだね。もう遅いが、死に急ぐ必要なんてなかったのかもしれないな。」
全く持って、僕って奴はホント愚か者だ。あの女性はまだ車両にいるだろうか。
なんにせよに謝らなければ。
火葬列車は今日もひた走る。