吸血鬼

著 : 秋山 恵

火炎



 廃工場で夕日に照らされながら、銀髪は過去を思い返していた。

 暮らしていたのはヨーロッパの東方に位置する人里離れた山奥の村。

 村人達は普段農作業や獣を狩って暮らしており、時折人外の者を狩りに出かけては、金銭を得て帰ってくる。

 春には豊穣を願い、秋には収穫祭をした。

 皆毎夜のように酒を飲んで歌い、自由で気ままな暮らしを送っており、たまに現れる旅人を歓迎したりもする。

 村人達は戦士として育てられ、男女問わず屈強になっていった。

 全て銀髪と同じ異質な血の流れる者達で、一般の人間達との関わりは殆ど持っていない。月に何度か教会からの使者がやってくるだけである。

 銀髪が初めて狩りに出たのは15歳の時、明け方の冷めた空気の中であった。血を求めて徘徊する愚鈍な化け物が相手である。

 見開いた眼から発せられる光に初陣の者は必ず怯えるのだが、銀髪にそれは無かった。

 そして、若年ながら、銀髪はその吸血鬼を一人で倒した。

 日の出と共に吹き荒ぶ風の中、吸血鬼の首を持って

「こんなものか」と笑ったものだ。

 周囲の年長者達はいつもチームで狩りをしていたが、初陣で自信を持ってしまった銀髪はいつもスタンドプレーを続ける事になる。

 戦いの技術や必ず仕留めて戻る銀髪に、同年代の若者たちは畏怖しつつも囃し立て、本人もその気になっていた。

 銀髪が20歳になった頃であった。

 丁度今と同じ季節、夏だったと思われる。夜は虫の音が鳴り響いており、緑が薫っていた。

 その日、いつものように教会からの使者が来ていた。

 記憶は曖昧だったが、金髪の美しい女性で、村人達からは確かEl(エル)と呼ばれていた。

 物静かで、生真面目な表情をした人だった。

 人。いや、今考えると思う。人形のようでもあった、と。

 外見は美しかったが、何か作られたようなその雰囲気に、普段無感動な銀髪も違和感を感じるほどであった。

 銀髪達の一族に重い依頼をするのは、Elもそうだが、必ず似通った生真面目そうなタイプの者だ。

 El にはあまり感情のようなものが感じられなかったが、ふとした瞬間に冷徹な目をした。

 銀髪からすると気分の良いものではなかったが、何処と無く感じられる高潔な雰囲気に気圧され、不の感情を抑えた。

 そのElの持ってきた仕事が、銀髪と本物の吸血鬼との出会いになる。

 隣国の首都での仕事だった。

 Elの準備は周到で、偽装された身分証明書やパスポートの準備、現地での武器の調達は全て済んでおり、ただ行って仕事をこなすだけの状況が作られていた。

 同族のメンバーは8名。銀髪の村からは4人が選抜された。

 銀髪はこの時初めて、出身の違う同族と出会う。

 その中に1人、少女が居た。

 まだ若く、10代中頃だろうか。自分の初陣の時期を棚に上げて、銀髪はあからさまな不機嫌顔で挨拶をした。

 少女の名は、シェーラといった。

 シェーラは銀髪が気に入ったのか、移動の最中は終始傍に居た。

 何か話し掛けるでもなく、そして触れる事もなかったが、手を伸ばせば届く位置にいる。振り向くと必ず笑顔で返した。

 そんなシェーラに対して、いつの間にか、好意とまではいかなくとも悪い気はしなくなっていた。

 同年代の仲間は銀髪に対して畏怖と敬意を持って接していたからだろう。

 現地に着く頃には、二人は言葉を交わすようになっていた。

 他愛ない話だった。

 6歳の時に鹿を狩りに行った話や、好きな料理の話、村の近くの池の主を釣り上げた話。少年のような自慢話を並べ、シェーラもそれを聞いて喜んだ。

 銀髪には兄弟が居なかったが、シェーラに対する感情はそれに似通っていただろうと思われる。

 逆にシェーラから見た銀髪は、兄のような存在ではなく、英雄を見るような感じがあった。事前に知っていた情報から銀髪の強さを知っていたからだろう。

 だが、実際に見た銀髪は、周りの兄貴分達とあまり変わらない男であった。だからこそ、現地に着くまでに会話をする仲にまでに至ったのだろう。


 出発から二日後の午前中、現地に辿り着いた銀髪は、見た事も無いような巨大な建物が並んでいる光景に目を見張った。

 超高層ビルというものを見た事がなかった銀髪には、それが何だかすぐに理解ができなく、暫く放心したように仲間に付いて歩いていた。

 一番似ているのが故郷の岩山の急な斜面だったが、その一面には窓ガラスがはめ込んであり、照りつける太陽の光を反射している。

 辺りには車が途切れず走り続け、行き交う人々の波に何度もぶつかった。

 嵐の後の濁流に似たその光景に飲まれながら、不純物が多く含まれる空気に顔をしかめる。

 標的の居る建物の前には、関係者らしき人間達が群れていた。

 全身黒い服装で、背中に大きな十字架を背負っているようなマークが入っている。

 手に手に武器を携えており、数人が警官らしき男達と話していた。

 根回しは既に済んでいるらしく、特に揉めている様子もない。

 正面には、他の超高層ビルと同じく巨大で黒い建物が立っている。

 その入り口付近にElが居た。

 変わらず美しいその姿は、まるで天の使いのように神々しく見える。

 やはりElは周りの人間達とは何かが違う。

 表情だ。

 皆何処と無く緊張した顔をしているが、Elは感情のない作られた表情をしている。

 銀髪がシェーラにその話をすると、

「あなたも十分無表情だよ」

 と返ってきた。

 近くの車のフロントガラスに映った自分を見て、なるほどと頷く。

 だが、Elのそれとは違った。

 自分の顔には、今まで生活してきた自分の歴史が刻まれている。

 建物の方に顔を向けると、そこには人形のような女が立ち、銀髪の方を見て会釈していた。

 風に流される髪とはためくスカートの裾以外は、デパートのショーウィンドウに置かれるマネキンのようでもある。

「準備しましょう?」

 シェーラが車のトランクから武器を取り出してきた。

 重厚感のある黒い金属製のマシンガンを手に軽々と持つ少女の姿に、都会の人間は目を見張る。

 周りの仲間達も武装を始めていた。

 遠巻きにして教会の連中が銀髪達を見ており、その光景にも違和感が感じられる。

 自分達がゲストではなく、どちらかと言うとサーカスの猛獣のような立場であると気が付いたのはこの時だった。

 現場突入は銀髪達だけである。

 入る直前に標的の写真を見せられた。

 数匹いる中で、ターゲットは写真に写った若い男だけだと言う。金髪の、いかにも普通のサラリーマン風の優男で、作った笑顔をこちらに向けている。

 Elは、建物に入る銀髪達一人一人に祈りを捧げた。

「どうか生きて帰りますように」

 小さな声だったが、確かにそう聴こえる。

 建物内に入った後にその話を仲間達にしたが、それを聴いたのは銀髪とシェーラだけであった。




「俺とシェーラは二人チームになった。建物突入のタイミングにエレベーターを止めていたから、上るには階段だったよ」

 隣に座って話を聞いていた里見は、ただ黙って聞いていた。

「大きなビルだった。階段は全部で4箇所あって、穴を作らないよう分かれて上るんだ。4チームとも同時に階段を上り始めた。目指すのは16階。他の連中がどうだったか分からないが、俺とシェーラは半ばピクニックにでも向かうような感覚だったと思う。急ぐ事も無く、ただゆっくりと、一段ずつ踏みしめるように上った」


 10階程上ったところだった。

 シェーラは銀髪の腕を掴んで足を止めた。

 その瞬間は、特に理由があったわけではなかったんだろうと感じた。ただ、魔が差したようにして、衝動的に腕を掴んだようだった。

 だが、その直後に取った行動はまた別だった。何段か先に上り、銀髪を抱きしめた。

 直感に始まったそれは、相手の顔を見る事によって別の感情にすり替わってしまったようである。

 暫くの抱擁、銀髪にしてみれば何も感じられないその行動は時間の無駄にしかならなかったが、少し付き合う事にした。そして立ち止まってから2分程度だったろうか、仲間はもう全員目的の階に辿り着いているだろうと思われた。

「みんなに怒られるな・・・」

 二人は急ぎ足で上った。

 16階の表記を見ると呼吸を整えつつ速度を落とし、踊り場で武器のチェックをする。

 重たい金属製の扉をゆっくりと開けた。金属同士の擦れるような音と共に血のニオイとコゲ臭い肉の焼けるニオイが漂ってきた。

 それは確実に敵のものではないだろう。山間で育った、大自然の獣のような何かを携えている。

 Elの言葉が頭の中で何度も鳴り響く。

 シェーラの表情に怯えが見え隠れし、戸惑ったニオイが発せられていた。

「お前はこのまま下に行け。Elに伝えるんだ。下手するともう全滅している」

 過剰な自信だけを持って生きていた銀髪には、直感的な恐怖を感じさせるその空気は初めてのものだ。

 それは消える事はなく濃くなり続けていた。

 シェーラに降りるように促すと、ゆっくり16階フロアに出る。夏とは言え冷房の効いているビル内のはずだったが、どういう事か熱気を感じるようだ。

 遠く、別の非常階段の出口付近に男が一人立っているのが見えた。

 その周りに5つの炭になった人影が確認できる。

 あれが標的かと確信したものの、銀髪は銃を構えたままその場に立ち止まった。

 恐怖だろうか、足が動かない。地べたに足が張り付いているような感覚だ。

 遠く、その標的の人影は銀髪の方に顔を向けた。いつもの吸血鬼ではない。

 その眼には意思があり、何かが満ちているようだ。

 扉の向こうから階段を駆け下りる足音が聞こえており、自分はその時間稼ぎの為に動かないで居るのだと言い聞かせる。

 銀髪は状況の整理を始めていた。

 なぜ皆が炭になっているのか。自分達以外に6人居るはずだが、なぜ5つしかないのか。

 コゲたニオイが邪魔をして、もう1人の安否が確認できない。

 人数はともかく、自分に対する攻撃への対処が重要だ。

 炭になった連中の近くに立っているということは、近距離でなければ何か行動を起こす事が出来ない可能性がある。もしこの場に居て攻撃が可能なのであれば、銀髪は既に連中と同じ状態になっているだろう。

 遠距離攻撃なら殺れる。そう思う事で呪縛から解き放たれた。

 銀髪は狙いを定めると、マシンガンの引き金を引いた。同時に7.62×39mmの弾丸が標的へ吸い込まれるように向かっていく。

 だが、その弾丸全てが標的に辿り着く前に見えない膜に当たり、空中に静止した。

 弾丸の先が熱せられたように赤く光っている。

(パイロキネシスか・・・?)

 非常に厄介な敵である事をその場で初めて知った銀髪は、その後の行動をどうするべきか悩んだ。

 まず普通に戦って勝てる相手ではないだろう。だが、依頼は引き受けた以上遂行しなくてはならないし、それが村の教えだった。

 だから、敵の詳細が明かされていなかったのだろう。こんな敵が相手なのであれば、村では依頼を断ったはずだ。

 事前の情報がないままでの戦いでは・・・

 銀髪は次の攻撃手段を検討し始めた。

 自分の武器の中で、遠距離で使えるのはグレネードランチャー程度であるが、爆発に巻き込んでも倒す事が出来るかどうかわからない。

 パイロキネシスは、分子を震わせて熱を操るタイプと、脳派のような特別な熱の波動を発する事により火を付ける2タイプに分かれる。

 撃った弾丸が宙に浮いていたのは後者である可能性を見せた。

 飛距離で考えると前者が有利だ。つまり、グレネードの爆発に巻き込む事が出来るかもしれない。が、近距離での爆風による衝撃波は、標的の使う波動の質によって効果を打ち消す事も考えられる。

 試しても無駄に終わるかもしれなかったが、銀髪は、背中に背負ったグレネードランチャーを手に持った。

 それを見て、遠くに立つ標的の吸血鬼は首を横に振り、オフィスゾーンに向かって手招きをする。すると、中から仲間の吸血鬼が銀髪の仲間の1人を引きずって出てきた。

 リーダー格の、今回のチーム中で一番の手練れである。

 銀髪は引き金から指を浮かせる。

 詰んだ。そう思うと、武器を床に投げ捨てた。

 遠く見えるリーダー格の男の眼はまだ死んではいない。が、檻の中の獣が唸っているようなものだと感じられた。

 純粋な力同士のぶつかり合いなら負ける事はないだろう。しかし、今回は運が悪かった。相手の能力に対策のしようがない。そう心の中で言い訳をしながら、両手を頭の後ろに回し、相手の元へ歩いて行く。

「これで“全滅“だ。潔く死ぬ覚悟をしとけ」

 リーダー格の男の言葉に、まだやりようがある、希望を捨てるなというメッセージが含まれていた。

 確かにシェーラが残っているが、まだ若く、しかも経験の浅い少女である。

「この会社も、もう終わりだな。言っておくが、この会社には普通の人間も多く勤めている。中には子供が生まれたばかりの父親であったり、家のローンを抱えた者もいる。苦労するだろうな。尻を拭いたら血がついていてた程度で青ざめるような可愛い連中だ。俺達一族全員からすると些細な話だが、今まで挫折も何も知らなかった連中には重たい話だ」

 標的の吸血鬼が話を始める。

 淡々と、感情なく言葉が流れる。

「少なからず、この会社で雇っていた仲間達は失敗作ではない。人も襲わないし平和に暮らしていた。関係のない大勢を巻き込んでまで攻撃されるのはおかしいと思わないか?」

 銀髪には初めて聞く言葉だ。

 失敗作とは何の話なのか。

 人成らざる者という意味であれば、吸血鬼も銀髪達も同じである。自分達は特別だとでも言うのか?

「知らねぇよ。俺達ゃ、依頼されて標的を刈るだけの掃除人さ。依頼人の思想は知らんし、興味もない。誰が困ろうと関係はねぇんだよ!」

 リーダー格の男はチラリと銀髪へ視線を移し、必要以上な大声で捲し立てる。吸血鬼どもの注意を引くためだろう。

 一番近くの階段をシェーラが上ってくるのがニオイで分かる。

「お前ら化け物を掃除すりゃ、飯が食える!俺達も生きる為にやっているんだ!」

 腕がざわめいている。変化するのだろう。周りの吸血鬼どもがそれに気付いて警戒したが遅い。

 標的の男が攻撃体勢に入るよりも早く非常口の鉄扉が吹き飛ぶようにして開き、手榴弾が幾つか転がり込んでくる。

 標的の吸血鬼がそれを察知して、全力で抑えに力を注ぐ。池に大きな石を投げ込んだような音がして、ボーリング程度の丸い爆発、その瞬間、狼と化した強者の手刀が相手の心臓のある辺りに吸い込まれた。

 唯一、最初で最後にして絶対のタイミングに、標的の吸血鬼はそれを防ぐ手立てがなかった。

 標的の吸血鬼が膝を付く。それと同時に他の吸血鬼達が手持ちの銃で狼と化した敵の全身に鉛弾を撃ち込んだ。

 覚悟してやったとは言え、後悔したであろう。地の底から響き渡るような咆哮と共に身体が傾く。

 まだ息はあるようだが、戦力にはならないだろう。

 次の瞬間にはシェーラがリーダー格の男の身体をを盾にしてフロア内に飛び込んだ。

 動きの速さだけなら銀髪のそれに匹敵するだろう。

 シェーラは巨大な肉盾を抱えたまま前進した。残りの吸血鬼がシェーラの方に気を取られている内に銀髪も距離を詰める。

 残り数は4、その内の1匹の首を瞬時にへし折り、次の1匹の腕を鷲掴みにすると、銃を奪って力一杯後方に投げた。

 握力、腕力は圧倒している。残った吸血鬼の中に特殊な能力者が居なければ、ここは容易に制圧できるだろうとタカをくくった。

 投げ飛ばされた吸血鬼が壁にぶつかるタイミングで、距離を詰めたシェーラのナイフが一匹の喉笛を掻き斬る。

 血を浴びて真っ赤になった少女は、残った一匹と対峙した。

 銀髪は後方を警戒しながら、奪った銃を残った一匹に向ける。

「どうする?」

 銀髪の言葉に、相手は銃を投げて手を上に上げた。

 後方のもう一匹も立ち上がっていたが、特に反撃の意思はなさそうだ。

 標的ではないから殺す必要はない。注文以外の仕事をする気にもなれなかった。

 壁際で唸りながら立つもう一匹は、頭を抑えながらニヤニヤとしているように見える。

 その数秒後、シェーラが咄嗟に銀髪の方を見る。驚くような、慌てるような感情が見え隠れしている。

 シェーラは銀髪の腕を掴んで非常階段へ飛び込んだ。

 ゴウという空気の流れる音、後方の熱気に、標的が今持って健在である事が判った。

 二人は飛び降りるようにして階段を降り続ける。既に熱気は感じられなかったが、恐怖に追われた。

 何階か降りたところで振り返ると、遥か上に赤い色が拡がりつつある。白い布地に染み込む血のように、ゆっくりジワジワと周囲を侵す。

 銀髪は頭の中で検証していた。

 念波型のパイロキネシスは、ターゲットに狙いを定める為の集中力が必要だ。先ほどの場に居て燃やされなかったのは、その集中力を欠いているからだと。

 殺るなら今しかない。




「俺とシェーラは途中のフロアに潜んで、標的の男が降りてくるのを待った。事前に知らされていたのか、どの階にも人は居なかったよ。俺達が潜んでいる階の扉は開いておいたから、相手も自ら挑発に乗ってきた。傷を負って力がうまく使えなくても確実に勝てると思ったのだろう」

 銀髪は、火のついた缶に角材を放り込んだ。

 パッと火の粉が舞い、空に消えていく。

 熱の膜の向こうに居る男は、ただ話を聞き続ける。

 銀髪はその表情にElと同じものを感じた。

 里見はElよりも情や優しさのような、ありふれた人間味を持っているように思える。それでも、その根本的な部分は同じであると感じた。

「ここまで聞いていて気が付いたかもしれないが、シェーラには予知能力のようなものが備わっていた。必ず見えるものでもないし、遠い先の事は分からないと言ってた。大体数秒、もしくは数分先の事だけが、火急の場合とかに見えると言っていたな」


「さっき、どうして奴が炎をぶちまけるのが分かった?」

 シェーラは戸惑う様子もなく、

「見えるの。数秒とかほんの少し先の事が。説明必要?」

 と言った。

 真っ直ぐな目に、銀髪は言葉を失った。

 狼の血を持ち、僅かながらとはいえ未来を予知する能力がある。この年齢にして今回の戦いに参加した理由がようやく判った。

 説明をしなかった連中に対して怒りを覚えつつも、銀髪は今ある状況に感謝もした。

「いや、良い」

 銀髪は立ち上がるとライターを取り出してシェーラに渡し、火をつけさせると肩車をした。それをスプリンクラーに近付けるように言う。

 天井に付いたスプリンクラーが熱に反応し、フロア中にシャワーが降り注ぐ。

 これで少なくとも、火の海で戦う事はない。

 シェーラが返り血を洗い流すのを尻目に、どう戦うべきかを考える。

 パイロキネシスでなければどうやっても倒せる自信があるが、相手はその能力を持ち、集中すれば銃弾をも止める程の熟練者だ。

 異端の能力には、同質の力を当てなければ難しいだろう。

 顔を流れる水滴を拭いながら、非常口へ嗅覚を集中する。異質な臭いが強くなりつつある。

 水滴と混じりあって分からないが、全身冷や汗を噴き出している。

 眼球にまで血流を感じる程の鼓動と緊張に、シェーラの表情は良い薬になった。

 未来の見えるその少女からは不安の文字は見えない。生きて帰れると確信した。

「おい!なんだこれは!?こんなもので俺をどうにか出来ると思っているのか!?」

 標的の挑発、自らの位置を調べる堂々たる態度、自信が過信に変わっていることを教えてやろうと、銀髪は自分自身の真逆の心を上塗る。

「いける。あの男は、今は火を扱えないよ」

 手持ちの44口径の弾数を確認しながら、シェーラは呟くようにして言った。

 スプリンクラー、傷を防ぐために力の殆ど使っている事、理由は分からないが、シェーラの言葉を信じる事にした。

 プライドだろうか、幸い残りの吸血鬼は付いてきていないようだ。

 銀髪は通路に出た。

 標的の方をゆっくりと振り向くと、瞳を紅く輝かせながら笑みを浮かべる男が立っている。男は片手を持ち上げて銀髪を指差し、手招きしながら近付いてきている。

 銀髪はそれに乗って床を蹴るようにして走り出す。

 水を吸い込んでいた絨毯から、水溜まりを踏んだような飛沫が飛び散った。

 エレベーターを挟んだ反対側の通路を、シェーラが並走しているのが感じられる。フロアの通路は四角く、エレベーターホール入れると日の字のようになっており、シェーラは後ろから回り込むのだろう。

 凡そ射程内に入ったところでも、標的は火を使ってこない。

 銀髪は標的の喉元目掛けて手刀を繰り出す。

 いつもの吸血鬼であればそれは命中しただろう。だが、相手は銀髪の腕を掴むようにして避け、走ってきた力を利用して投げ飛ばす。

 銀髪は背中を打ち付けたが、痛みを堪えながら、上から降ってくる足を捕まえた。その一撃は予想以上に重く、掴んだ手をすり抜け鎖骨をへし折る。

 銀髪の視界に星が飛んだ。

 今まで戦ったどの吸血鬼よりも強い。力があり、速さも比べ物にならない。火が使えなくとも自信を持って一人でやってくる理由が判った。

 銀髪は、苦痛に顔を歪めながらも相手の足をガッチリと掴む。シェーラが通路に飛び出したのはこの時だった。手持ちの銃からマグナム弾が撃ち出される。

 標的はシェーラから見て正面になっているので、続けて二発まで撃ったが弾の無駄と判断した。

 これは予知の結果ではなく、シェーラ自身の判断である。案の定、弾道を読まれて避けられてしまった。

「頭ぶち抜け!狙えばやれる!」

「無茶苦茶言わないでよ!当たるなら撃ってる!」

 とは言いつつ、銃口は相手の顔のど真ん中に狙いを付けたままである。見えた瞬間引き金を引くだろう。

 誰も動けない状態になった。そして、その状態は暫く続く。

「おい、お前ら。依頼主は誰だ?」

 標的には焦りが感じられない。

 視線は銀髪の方を向いている。

 それだけ自分に自信があるのだろう。

「知ってどうするんだ?聞いたところで、俺達は手を引いたりはしないぞ」

 その返答に標的の男は、折れた鎖骨へ足をねじ込む。銀髪の表情を見て咄嗟にシェーラが答えた。

「ちゃんとした名前は知らないの、教会関係者よ。Elと呼ばれてる」

「そうか、穴掘りしてる連中だな」

 返答に満足した表情で、ニヤリと笑った。

 足が緩んだ。銀髪はそれを見逃さない。右方向へ引っ張るようにして足をすくう。

 体勢を崩した標的の頭目掛けて、シェーラが引き金を引く。途中、弾は急激に速度を落として軌道を変えた。

 威力をなくした金属の塊は標的の左肩にめり込み、身体の向きを90度を変える。

 マグナム弾である。普通に当たれば腕が飛んだだろう。が、異質な力がそれを防いだ。

 能力の種類や性質よりも、それを使いこなすこの男の凄さに二人は唖然とする。

「撃ち尽くした!」

 シェーラの言葉が終わるより早く、銀髪が立ち上がった。しかしその時には、標的は肩を押さえながら非常口へ向けて走り出している。

 その向こうには、いつの間にか数人程立っていて、銃口をこちらへ向けていた。

 8人は居る。

「この後見えるか?」

「ゴメン、見えない」

 その後二人は、ただただその場に居るしかなかった。

 呆然と非常口の方を見ながら、吸血鬼達の去る光景を見ながら、力の抜けた身体を二本の足で支えながら。

 暫くの後、表から銃声が聴こえ、にわかに活気付いた。

 結果は見ずとも分かる。

 堂々と歩いて出ていく連中の姿が目に写るようだった。


 銀髪は初めての敗北を知った。



top