吸血鬼

著 : 秋山 恵

痕跡



 スポーツカーのような重たいエンジン音が鳴っている。

「近くの駅みたいですね」

「分かるんだ?」

 壮介は顔も向けずに返してきた。動作は落ち着き、間違いがなく流れるようにPCを操作している。

「この辺りにはかなり長く住んでいたのですよ」

 壮介は、沙季の送ったメールを確認し終えると、ノートPCを閉じて後部座席に放り投げるようにして置いた。それとほぼ同時に車が走り出す。

「現場から少し離れた場所…、風下に止めて貰えると助かります」

「車の中からそんな場所わからないよ」

 無茶な要求に苦笑いしながら、アクセルを踏んだ。加速で頭がシートに押し付けられる。一般の車道では普通には見られない加速である。

「多分逃げないので、あまり急がなくて大丈夫ですよ」

「性分だ。駅周辺はすぐ着くよ。あの辺、役所の大きなビルがあったでしょ、ビル風吹いてるかな?その近くに止めてみる」

 そのまま、数分の間二人は無言になっていた。

 お互い、何を考えているのか気にすることも無かった。

 エレナは銀髪との戦いを、どうやって楽に倒せるかを考えている。何度も罠にかけることは出来ないだろうし、かと言って真っ向から戦いを挑むのは危険だと思っていた。だが、それ程杞憂もしていない。向こうはどうやら単独行動のようだが、こちらは二人である。それに、相手はこちらが何人いるのかが分かっていない。有利な条件は変わらないだろう。

 壮介は、どうやって戦うかを考えていなかった。死んでいった仲間への想いと、銀髪への怒り。もうすぐ仇と戦えるのだ。心中熱せられ、冷静ではなくなっている。これは危険であったが、エレナにはそんな事は全く分からない。気が付いてすらいなかった。少なからず、エレナ自身も獲物への焦りがあるのだろう。

 大通りに出ると、役所の建物が見えた。

 役所の反対側は同じくらいの大きさの建物が並んでいる。その並びに車を止めて、窓を開けると風向きを確認した。

「ここで良さそうだな。駅への入り口は全部風下だ」

 窓を閉めると、エレナの方を無言でじっと見た。ここまでじっと見られると、普通は照れるだろう。

「どうかしました?」

「二手に分かれて入ろう。出入り口は東と西に二箇所ずつあるな。風上は俺が入る。反対側から入ってくれ」

 そう言うと、壮介は拳銃をハンドバッグに入れて車を出た。

 エレナもナイフをカバンに入れて肩に掛ける。ナイフにストラップが付いており、カバンから飛び出ている。非常に不自然で、気が付けばおかしいなと思われるだろうが、これなら比較的すぐに引っ張り出せる。

 エレナが車から出ると、壮介はヘッドセットと無線を放って寄越した。

「そのまま使ってくれ」

 ヘッドセットを付けると、既に音が出ていた。

『聞こえるか?』」

 目の前と耳元から同じ言葉が聞こえてくる。エレナは肯くと、風下の西側の階段に向かった。それを横目に、壮介は東側に向かう。

 離れていく壮介の背中は、あまり頼もしくは見えない。相手の強さを知っているからだろうか、それとも壮介の内にある冷静ではない心がそれとなく感じられていたからだろうか。

『合図と同時に入ろう』

「わかりました。ここで待っています」

 少し向こうで建物の陰に入っていく壮介の背中を見ながら、階段に片足を掛ける。空気の流れはあり、ゆっくりと風が出てきている。二人にとっては好都合だ。

 一旦周囲を確認して異質なものが無いかをチェックするが、特に何も感じられない。街路樹の緑の匂いと、走るトラックの排気ガスの臭いが混ざり合っているだけが印象的だった。走り去るトラックが後方右から左へ流れていく。

 若い体臭が階段の下の方から流れてきた。賑やかに話ながら、ゆっくりと階段を上ってくる。

 中途半端な位置で立ち止まっているエレナに、若者の集団がすれ違う。

「今日は外人多いな…」

 と、若者の集団の一人が呟くのが聞こえた。

 銀髪が中に居る事を確信した。

「やはり中に居るようね」

『何か感じるのか?』

「いえ、知らない人ですが、すれ違う時にそんな話をしているのが聞こえたので。まだ入れないですか?」

『ちょっと待ってくれ』

 通りをスクーターが通り過ぎる程度の時間を置いて、地下鉄の入り口から風が強くなりはじめた。電車が近付いているのだろう。

 早くしなければ、電車の出発と共に空気が流れ込む。

 中に居ればニオイでここまで来ている事がバレてしまう。

『よし、入ろう』

 二人は別々の入り口から、同じ程度の速度で下まで降りて行った。

 エレナの居る側の方が、改札まで距離がある。カバンから出たストラップに手を掛けたまま、小走りに奥に向けて移動した。

 途中、トイレの前で速度を緩めて中の様子を感じ取る。生命反応は無かった。

 一方、壮介の方は改札の前まですぐに入った辿り着いた。

 エレナがまだ到着していない。西側を見ると、少し先の方に小走りでこちらに向かってくるのが見える。

 銀髪の姿は見えない。

 電車がホームに滑り込んできて、ゆっくりと速度を落とし始める。金属の擦れる音、それが止まった後の扉が開く音。

 壮介は、視覚聴覚両方に集中して辺りをくまなく探した。

 見えるところには誰も居ない。もう一度エレナの方を見て首を横に振り、改札の横から乗り出すようにしてホーム全体を見渡した。死角になる場所が何箇所か有り、全ては見えない。

 反対方向の電車も入ってきた。

 相手はどこにも居ない。そもそも、駅構内には駅員と、浮浪者が一人・・・

 壮介とその浮浪者の目が合う。

 ボロボロの服を着ており、髪も髭も伸び放題、酷い臭いが漂っている。

 浮浪者は少し怯えた表情をしていた。ポケットから一万円の札が見えていた。

 浮浪者は口をパクパクさせながら壮介に歩み寄ってくる。

「・・・あ、あんただな。きっとそうだ。銀髪の男にこれを渡すように頼まれた」

 浮浪者は、恐る恐る携帯を差し出した。

 臭いに顔をしかめた壮介の代わりに、遅れて着いたエレナがそれを受け取る。

 受け取ったと同時に電話が鳴った。

 通話ボタンは押したが、声は発さないことにした。そのまま回りを見回す。近くに居るのかもしれないが、しかしここからは識別できない。生命反応も、今近場に見える者以外には感じられない。

 近くに居るのは間違いないが・・・

『よぉ、久しぶりだな…』

 低い声、聞き覚えがある。間違いなく銀髪だ。

「回りくどいことしてくれましたね」

『それはお前だろう?』

 電話越しに銀髪の笑い声が響いた。電話機のスピーカーの音が割れている。

『まさか、狙い撃ちされるとはな。あの部屋、狙撃できるような場所は無いと思っていたんだが・・・』

「私も驚いたわ。あんなところに着弾するなんてね。運が"悪ければ"あなたに当たったでしょうね。外れて本当に良かったわ」

 電話越しに喋るエレナの表情は変わらない。が、声音だけは相手を挑発している。誰が見ても、感情ではなく演技だと分かった。

『運が"良くて"残念だったな』

 銀髪は笑いながら話続ける。

『それと、追い討ちに使うならもっと強い連中を送ってこい。片方は頭に血が上ってる、もう片方はド素人でしかも女。これじゃぁやる気も起きん』

「逃げた言い訳ですか?かわいいところがあるのね」

 エレナは、あれが決して協調していなかった事だとは言わない。少しでも相手に負担をかけられれば嘘でもそれで良いと思っている。

 お互い戦う事を望んでいたが、明らかにエレナは目的寄りの行動を取っている。

 エレナは"勝つ事"が目的だが、銀髪は純粋に"戦う事"を望んでいた。

『俺は、お前との決着を付けたいんだ。お前も俺を殺そうと思っているのだろう?余興は良い。戦おうじゃないか。ただし、その為には条件を出させてもらう』

「条件?」

『俺からの条件は場所だけだ。戦いの舞台に相応しい場所を用意する』

「罠があるかもしれないところに、行けると思う?」

『罠を仕掛けるつもりはない。信じるかどうかはお前次第だ。それに、その場でなければ俺は姿を現さないぞ。決着を付けたい気持ちは、俺よりむしろお前の方が上だと思うが・・・?』

 そう、エレナは平穏な生活を求めている。銀髪を倒せば暫くそれを維持する事が出来るだろう。長く続くかどうかは分からない。だが、ここを通らなければ先にも進まない。

 追跡者として優秀な敵でなければ、お茶を濁すような行動を取っていただろうが・・・

 エレナは壮介を見た。諦めたような表情をしている。

「・・・良いでしょう。連絡を待っています」

 用事が済んで逃げるように駅の外へ向かっていく浮浪者の背中を見ながら、そう答えた。



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