吸血鬼

著 : 秋山 恵

帰還



 夜20時を回った頃だった。飲み過ぎで潰れていた遼二はチャイムが鳴ったのにも反応せず枕に顔を埋めていた。

 チャイムは、十数回程鳴った後に止んだ。

 潰れていた本人はその間ずっと耳を塞いでいる。頭痛が酷いらしく、情けない顔をしていた。

 玄関前にあった気配は、その後階段を下りていく。やっと静かになったかと睡眠を再開しようとすると、数分後には今度はベランダのサッシを叩く音がした。

(どうやって上ってきた・・・?)

 さすがに枕の下の銃に手をやる。

 サッシの鍵は掛かっていない。

 カラカラと開く音がして、誰かが入ってくる気配がした。

 囁くような女の声が聞こえる。

「起きてる・・・?」

 暫く寝息を立てる振りをした。

 声には聞き覚えがある。数日前までここで寝ていた女だ。あまり会話もしていなかったが、記憶にその声音はいつまでも残っている。

 相手は吸血鬼であるにも関わらず、枕の下の銃からは手を離した。根拠はなかったが、この女は安全だと確信していたようだ。異常だなと、自分の奇行に呆れる。

「起きてるんでしょ?」

 そう言って、女はベッドに腰掛けた。冷たい手が遼二の腕に触れる。夏の蒸した室内に、その感触が心地良い。

「頭が痛いんだ・・・、何か用か?」

 酒に焼けた声で返事をする。

 声が小さく、喋るというよりは、ただ酒気を発しているようにも思える。

「夜遅くゴメンなさい。私の都合で夜に来ちゃいました」

 含み笑いをするような女の喋りに、それとなく色っぽさを感じる。

「夜這いは歓迎だが、血を吸われるのは勘弁だ」

 普段言いもしない冗談が口から出てくる。

「お酒臭いのはお断り。それより、聞きたいことがあって・・・」

 聞きたいことと言われて検討も付かない遼二は、体を起こしてベッドに座った。まるで、墓場から甦る死人のような動きだ。

 相手の顔は、照明を全部落として寝る遼二には見えない。

 角度的に外から街灯の光は入ってくるが、逆光になっていて相手のシルエットくらいしか見えなかった。

 それでも、そのラインに目を奪われる。ベッド上に横たわっていた時の事を思い出した。

 相手は夜目が利いて、遼二の腫れぼったい酔いどれた顔は見えているだろう。

 せめて相手の顔が見たい。

 自分だけ見られている事に不満を持った。しかし照明には手を伸ばさなかった。

 暗闇のままでなければ、その姿を見てしまえば、落ち着いて話を聞き続けることは難しいだろう。

 女は、様子を探るようにゆっくりとこう言った。

「・・・教会は」

 ゴクリと唾を飲み込む音が聞こえる。

 迷いが少し垣間見えた。

 近くの道に車が走ってきてそのまま走り去る程度の時間を置き、一旦閉じた唇が開く音が聞こえる。

「・・・人狼を、飼っている?」

 突拍子もない問いかけだった。

 だが、相手から感じられるのは真剣なものだ。何かある事は察することができる。わざわざこんな冗談を言いにくるような相手でもないだろう。

「ここいらの教会で背信行為があると言いたいのか?そして、それをどこかで見たのか?」

 教会が人狼を飼うことはない。逆に、狩ることはあってもだ。

 吸血鬼と人狼は近縁の存在であり、始祖は同じであるとすら言われている。標的にはなっても、それを支配して扱うことはないというのが常識であった。

「・・・私の知り合いが、人狼を追いかけていたの。深い山中での話。私の知識の中では、とてもとても古い知識だけど、教会では人狼を飼っているところもあって、吸血鬼を追いかけるのに使った事があると・・・」

 言ってしまって良かったのだろうかというような雰囲気の迷いが一瞬あった。

「もしかすると、私の知り合いが追いかけた人狼は、教会がエレナさんを追いかけるために・・・」

 言いかけて飲み込み、女はクスリと笑った。

 悪戯っぽく感じる裏に、駆け引きのようなものを感じる。

 対する遼二の表情は固い。それは、頭痛によるものだけではなかった。

 相手はこの事を、どんな確証を得たのかは分からないが、間違いなく確信してる。そして、それを、教会関係者の遼二に伝えに来たのだろう。

 暗に調べろと言っているのだろうか。

「夜遅くゴメンなさい。もう寝て」

 女は遼二をベッドに寝かせると、額の辺りに手をかざす。

 睡魔だろうか、柔らかい羽根布団に包まれていくような心地よい感覚に陥った。吸血鬼の持つ催眠の力だろう、そう思いながら夢の中に落ちていく。

 次に遼二が目を覚ますと外は明るくなっていた。

 時計の短い針が11時を指している。

 夢だったのか、それとも本当だったのか、寝てしまってから目が覚めるまでが一瞬だったせいで全く分からない。

 頭痛は治まっている。

 遼二は部屋の中をぐるりと見渡した。部屋の隅で視線が止まった。

 風景が少し違う。

「夢じゃ、なかったみたいだな・・・」

 背の高い順から3列、酒の空き瓶がキレイに並べて置かれていた。



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