短編集

著 : 秋山 恵

雪女



「あの死に方、どう考えても他殺なんですがねぇ・・・」

 刑事は、サラリーマン風の男に向かってそう言った。口調は柔らかく、厳つい顔だが表情は優しい。相手を警戒させまいとした様子がある。

 対して、サラリーマン風の男の表情はが暗く、見かけが少し冷たく感じられる。年の頃は20代後半であろうか、学生のように若く見えるが落ち着ききった雰囲気を見せている。

 刑事の方は50代前半か、もしかすると40代にも見える。ガッチリとした体格で、体一つで人生を過ごしてきたような様が伺える。

 正反対のタイプの二人が、テーブルを挟んで座っていた。

 一月程前の事だった。男の弟と、その友人が死体で発見されたのだ。それも奇妙な死に方だった。

 7月後半の梅雨が明けた頃に、自室のベッドの上で凍死していたのだ。

 被害者が最後に母親と会話してから死体として発見されるまで、たったの1時間しか経っておらず、謎ばかりが残っている。

「あんな死に方ですから、手段も見当が付かないんですよ」

 刑事は持っていた手帳で首の根元を扇ぎながら言った。

 暑い日の夕方だった。西日が差し込み、部屋の中は熱気が立ちこめている。ヒグラシの鳴き声がその日の終わりを告げているようで、それが気持ちを更に少し暗くするのに一役かっていた。何より夕日の紅さが異質で、男の雰囲気と絡まり、その空間に不気味さを感じさせている。

「念の為伺いますが、弟さん、誰かに恨みでも買うような事、してませんか」

「多分、ありません」

 男はうつむいたまま、数回首を横に振った。不思議と悲しんでいるようには見えない。ジッと見ると笑いを堪えているようにも見えるし、感情が無いようにも見える。

 解せなかった。

 何も根拠はなかったが、刑事には、この目の前の男は何かを知っている、それを直感していた。ただの思い過ごしかもしれないが、刑事の直感はよく当たる。浮気を嗅ぎ付ける女のように。

 刑事は部屋の中を一望した。

 殺風景な部屋だ。

 生活観があまり感じられない。

 テレビドラマに出てくるような部屋だ。

 片付きすぎている。ただ几帳面なだけなのかもしれないが、もしかすると帰って寝るだけの場所なのかもしれない。

「何か思い当たる事があれば・・・」

 一つの写真たてが、たまたま視界に入った。

 昔の写真だろうか。男と、その弟、後もう一人女性が写っている写真だ。今と見比べると若いのが分かる。かなり昔の写真だろう。

 中学生か、高校生か。今と違い、男は優しそうな顔立ちをしていた。

 男が顔を上げ、刑事が写真たてを見ている事に気付いた。一呼吸を置き、刑事の方を見ると、感情の無い声で言葉を発した。

「もう、10年近く前の写真です」

 もう一度、写真たての方に顔を向ける。刑事もそちらに顔を向け、写真の中の3人が笑顔である事を確認した。

 男と、その弟は笑顔である。女性だけ、作り笑顔のように見えた。

 刑事は男の方を見たが、男は写真の方を見続けていた。表情から陰りが少し消えているようにも見えた。角度のせいか、本当にそうなのか。夕日が差し込んでいて、よく分からない。

 刑事は写真を再度見直した。

 写真の中の季節は冬だろうか、兄弟はコートを着ている。が、女性は、冬にしてはやけに薄着に見える。この距離から写真で見た感じでは、長袖ではあるが、薄いワンピースだけしか着ていないように見える。

 それよりも、何か一つでも良い。進展が欲しかった。だから、話題もあまり無いままだったが、かれこれ1時間はここに居るだろう。

 ただ意味もなく粘っているように思われているかもしれない。

 刑事は、この話にこだわっていた。それもそのはず、実は、今回と同じ事件は2度目なのだ。丁度、飾られている写真が撮影されたのと同じ10年程前。

 あるはずもないのに、どうも癖で関連性を考えてしまう。

「10年前・・・、同じくらい前でしたかねー。春先だって言うのにいつまでも寒かったり、雪が降ったり。気候がおかしかったですね。今でも思い出します。あの時も・・・」

 と言いかけて、口に出すのをやめた。

 目の前に座っている男の弟が同じ死に方をした者が居る。

「そうですね。寒かったです。私もよく覚えています」

 男は、懐かしそうに写真たてを眺めている。薄っすらと笑みを浮かべているようにも見えたが、よくわからない。

 口元は笑っていないが、目が優しくなっているようだ。

 余程思い入れがあるのだろう。10年経った今でも飾り続けているのだから。

「それにしても、暑いですなー」

 刑事は首元を扇ぎつつ、エアコンの方を見た。故障しているわけでもなさそうだが、この暑い中、エアコンを入れないのはどうしてだか分からない。エアコンの冷風はあまり好かない刑事だったが、ここまで暑いと話は別だ。脱水症状にでもなってしまうのではないかと、手元のペットボトルのお茶を飲む。生温く、水分補給にはなるが身体の熱は冷めない。

「すみません、冷房を入れるのが少し怖くて」

 冷気に対する恐怖感があるのだろう。まさか、冷房の風で凍るなんて事はないだろうが。

「あ、いや、申し訳ない。ただ、こう暑くては熱中症になり兼ねないかなと心配になりまして」

 あまりフォローにならない自分の一言に、刑事は失敗したなぁと顔をしかめた。

 暫く沈黙が続く。

 長く続くかと思われたが、意外に早く沈黙は破られた。

「まだ、確証があるわけではないのですが・・・、話してみたい事があるんです」

 男が小さな声で話し始める。

「それが本当だとしても、信じる事も難しいと思いますが・・・」

 話してみたい事がある。少し疑問の残る言い方だったが、どうやら今回の事件に関連する話が聞けそうであった。

 刑事は男の顔を見た。何かを決心したように見えた。

 煽るのは良くないだろう。そう考えて刑事は、他愛も無い話をされているような態度を取る事にした。

「ええ、お伺いします」

 男が話しやすいよう、顔が強張らないよう意識した。本当は、かなりの期待が込められていて、食い付いてしまいたいとこだ。

 ウズウズするのを押さえながら男の方を見つめた。

「まず、写真の、10年前の出来事なんですが・・・。先ほども話していたので記憶に残っているかと思いますが。確かもう、桜が咲いている頃でした。あの年はとても寒く、いつまで経っても春が来ないような、もうこのまま二度と暖かくならないのではないか、そう思わせるような寒い年でした」




 4月だと言うのに、雪が降っていた。

 その時、年は17歳。弟との年の差は3つ。

 父と母はよく喧嘩をしていて、その日もそう、酷い喧嘩をしていた。喧嘩の理由は分からない。ただ、些細な事だったような気がする。

 弟と逃げるように雪の降る中、外へ出たのをよく覚えていた。どこに行こうと決めた訳でもなく、二人並んで歩いた事が、今思うと懐かしさで溢れているようでもあった。

 趣味の話等しながらだったから、害した気分もすぐに消し飛んだ。トレーディングカードか何かの話だったと思う。いつまででも話が出来た。

 桜並木が綺麗だった。

 桜の花びらが散っているのか、雪が降っているのか、不思議な光景だったのが記憶によく残っている。

 空に舞う桜の花びらと雪の結晶。一生に一度見れるかどうか分からないような光景だ。

 暫く歩くと近所の公園に着き、弟が、年甲斐も無くはしゃいで飛び込んで行くのを見詰めながら、公園の中央にある丘の上に登った。

 よくその丘で、正月の凧を飛ばして遊んだもんだ。

 そこで、彼女と出会った。

 彼女はワンピース姿で、どう考えてもその日の気候には合わない格好で、ポツンと立っていた。まるで忘れ去られた公園のど真ん中に作られた雪だるまのように。

 一体どうしたんだろうと不審に思いつつも、何だか放っておけない気持ちになっていたと思う。

 心臓が破裂しそうな気持ちになりながらも話しかける事にした。

「あの、寒く・・・、ないですか?」

 近くまで来ていた事に気がついていなかったらしく、話しかけられた事に驚いて顔を上げ、それから、彼女は首を横に振った。

 彼女は、泣いてた。

 なぜ泣いているのか、そこまでは聞く勇気がなく、困ったまま傍に立ち尽くして、かなり長い間沈黙が続いた。

 話しかけた事を、とても後悔した。

 どれくらいの時が流れたのかすら分からない。

 ただ覚えているのは、とても長く感じられた事だけ。弟が沈黙を破ってくれなければ、永遠にその場に居たんじゃないかと思うくらい。

「兄さん、友達?」

 いつの間にか弟が傍に立っていた。14歳には見えない程にマセた顔をした弟の目が、いつも以上に笑っているのが感じられる。

「あ、いや・・・」

 言葉に詰まって返事が出来ない事に弟は失笑した。

「なんだ、ナンパかぁ・・・」

 弟の言葉にバツが悪くなってしまった。沈黙を破ってくれた感謝はすぐに苛立ちに変わってしまいそうだったが、彼女の言葉で気持ちが反れた。

「慰めてもらっていたんですよ」

 彼女は涙を拭き、少し照れたような顔をした。

 そんなに話もしてなかったが、逆に気を使われてしまい、嬉しいような失敗したような、少し複雑な気持ちになっていた。

 彼女は、よく見ると美人だった。

 整えている様子はなかったが眉毛の形は非常に綺麗だったし、髪は黒く長いストレートだった。

 首が少し長めで、どちらかと言うと細めだったが、とてもバランスが取れた身体つきをしていた。

 スッと反った背中から腰へのラインが芸術品のようだった。

 白くきめ細かやな肌が、まるで彫像のようにも見えた。

 鼻が少しツンと上向きで、高くも低くも無く上品だった。

 唇は少しぽっちゃりとしているかもしれないが、それがまた色気を発しているようだった。

 人それぞれ好みはあるだろうが、きっと誰もが美しいと感じるはずだ。そう感じた。

 彼女の涙を拭く仕草に、心が揺れた。

「何か悪い事でもあったの?」

 弟は父に似てノリが軽い。

 弟の気安い話しかけ方に心を許したのか、

「ちょっと・・・」とだけ小さく呟くように答えた。

 とても

「ちょっと」ではないように見える。

 弱冠空気が重たいのを感じ取った弟は、おもむろに周囲の雪を集め始めた。それを尻目に、彼女の方を見つめてしまっている自分。深く落ち込んでいる彼女。

 時はそのまま暫くの間流れていった。

 静かだった。だが、それはそれで、落ち着いていて悪くは無かった。

 気が付くと、弟が小さな、不細工な雪像を完成させていた。不器用だから、それが何だかが分からない。分からないが、何かのキャラクターの形なんだろうと予想はついた。

 彼女はそれを見て少し和んだようだった。その、不細工な雪像は、仲良くなるきっかけにはなってくれたようだ。

 それから、少しずつ話をするようになっていった。

 どこに住んでいるのかとか、年齢とかは聞けなかった。しかし、色々と話をした。

 何を話したかまでは覚えてないが、とにかく話をした。夜が更けて、弟が空腹を訴えるまで話し続けた。

 また話がしたい、そう思って尋ねると、彼女は快諾してくれた。

 彼女とは、度々公園で会った。

 色々と話をしている内に次第に仲良くなり、会う頻度も増えていった。


 彼女とは、公園以外のところでは会わなかった。服装を気にしているんだろう、そう思ったが、真相は分からなかった。

 公園以外では会わない、不思議と、疑問は感じなかった。

 いや、夢中になっていたんだろうと思う。だから気にしなかったのだろう。

 高校3年で、そろそろ受験なんかも気にしないといけない時期だった。しかし、考えることは毎日彼女の事ばかりで、学校帰りには必ずその公園に寄った。

 女はいつも同じベンチに座って待っていてくれた。笑顔で手を振ってくれた。

 彼女とは完全に打ち解けていた。たまに弟が顔を出してからかって行くがそれ以外は幸せな時間だった。

 桜の枝が全て葉に入れ替わった頃、ふと思い出した。初めて会った時、なぜ彼女は泣いていたのだろう。

 ある日、思い切って聞いてみた。

 聞いてはいけない。その時はそんな事までは思い付かなかった。

「私のせいで、人が死んでしまったの」

 聞いた後、とても後悔した。

 彼女は、とても悲しそうな顔をした。

 それはどうして?とは聞き辛く、何とか話を逸らせないか。そう考えたが、うまく思い付かなかった。

 彼女は続けた。

「一族の掟だったの。私が何もしなくても、そうなってしまっていたと思う」

 ・死んでしまった。

 ・一族の掟。

 ・私が何もしなくても。

 ああ、そうなんだ。とだけ思った。

 彼女が何をしたかは、聞かなくても分かったような気がする。

 だが、やはり、疑問には感じなかった。

 彼女に対するおかしな事、全てに対して疑問を持たなかった。なんらかの魔法にでもかかってしまっているように。

 催眠術でもかけられてしまっているかのように。

「死んでしまった人は、凄く大切な人だったの。凄く凄く大切な人だったの」

 彼女は遠くを見るようにして、話した。見えない程遠いところに居る、大切な人でも見ているのだろうと思った。

 色々と話を聞き、最後には申し訳ない気持ちでいっぱいになっていた。自然と口から出てきた言葉は・・・

「辛かったんだね・・・」

 その一言だけだった。

 それから、彼女を優しく抱きしめたのは、今でも鮮明に記憶が残っている。

 もう春も終わりを告げようとしている頃だったのに、彼女の身体はとても冷たかった。


 暫く同じような日々が続いて、季節が次第に夏へと移り変わろうとしていた。

 その日も彼女はいつもの所で待っていた。

「かなり暖かくなってきたね」

 彼女は頷いた。

 いつも通り笑顔のはずなのに、悲しそうな顔をしているように見えた。

 嫌な予感で頭の中が埋め尽くされていく。

 そうではないと思いたかったけど、いつも嫌な予感だけは当たった。

「何か、あったの?」

 彼女の顔をまじまじと見つめながら、うっかり聞いた。聞かなければ、もしかしたらいつまでも関係は続いたのかもしれないとも思っていたはずだったのに。

 その問いに、返事はすぐ返ってきた。

「そろそろ私、行かないといけないんだ」

「どういう事?」

「夏がきてしまうから」

 暑いところが苦手なのだろうか。だが、行くとはどういう事だろうか。海外にでも行くというのだろうか。

 今日はもう帰る・・・、という意味には、何をどうしても聞こえない。

 行くの意味が分からなかった。

「だから、そろそろ“さようなら”なの・・・」

 嫌な予感が、彼女の口から言葉として発せられる。

 言葉が出てこなかった。

 ただ、呆然と立ち尽くすしかなかった。

 彼女以外の景色はもう映っていなかった。

 目の前がブラックアウトしていくような気がした。

 彼女は続けた。

「最後にこれだけ。私のような変な女の話、面白がって人にしないで欲しい」

 彼女は優しく笑っていた。そこには悲しさを見せまいとする健気さがたくさん含まれている。

 変だなんて思ってない。けど、出てきたのは、伝えるべき言葉では無く・・・

「さ、最後って、また・・・」

 苦笑いで誤魔化そうとする、心の弱い自分だった。

 あの時、彼女の腕をしっかりと掴んでおくべきだった。そうすれば、もっとちゃんと話をする事が出来たかもしれない。

 彼女が消えたのは突然だった。

 本当に一瞬だったと思う。

「あ、あれ、何かしら?」

 彼女は後ろの建物の方を指差した。

 それに釣られて、簡単に後ろを振り向いてしまっていた。特に変わったものは何も無い。数秒、何かを探して、そして振り向くと、もうそこに彼女の姿は無かった。

 ただ、吹雪いた後のような、雪のような物だけがそこに残されていた。

 周りに隠れるようなところはあまりないし、とても不思議だった。

 それから暫くの間、彼女を探し続けたが、どこにも見当たらなかった。

 ただ、そこに雪だけを残して、彼女は消えた。




「不思議な話ですなぁ」

 その不思議というのは、男の話だけではなく、10年前の事件が目の前の男の話とリンクしたからだ。

 あの時の事件を知るはずもない男の話と、とてもよく合致する部分がある。

「怪談話みたいですよね。でも、本当にあった話なんです」

 先程とは打って変わって、男の表情は明るくなっているように見える。吹っ切れたような、そんな表情だ。

「なるほど・・・」

「私、その、おとぎ話と言うか、オカルト的な話と言うか、そういったものが不得意でして、つい最近まで知らなかったんです。たまたま友人にそんな話をするのが好きなのが居て、半年前、スキー場で雪女の話をしてくれました。小泉八雲の雪女だったのですが・・・。その後、あの日会った彼女の事を、雪が残っていた事を思い出し、調べる事にしたんです」

「はぁ・・・、彼女は雪女だったかもしれないと?」

 刑事はため息交じりに問う。

「いえ、その時は分からず・・・」

 つまり、そうだったと言う事なのか?

 刑事は男の話の続きを待った。

「諸説はたくさんありましたが、雪女は、自身の事を他人に話されると、話した者を殺してしまうという逸話があったりしまして・・・。暫くして思い立った私は、ある実験をしようと考え付きました。丁度今年も、あの時程ではなかったけど、いつまで経っても春らしさが無かったので・・・。弟に、あの時の話と、雪女の話をしたんです。そうすれば、弟は誰かに話すだろう、と」

 その話が終わった辺りだった。

 部屋の気温が下がったように感じたのか、男の話に刑事がゾッとしただけなのか、それは分からなかったが、確かに何か空気が冷たくなったような、そんな気がしていた。

 外は既に暗くなっていたから、きっとそのせいだろう。

 そう思いたかった。

 もしかして冷房を入れないでいたのは、その時がきたら冷気が感じ易くなるから、来たのが分かりやすくなるようにしていたのか、そうとも考えた。

 暫く間を置き、男は続けた。

「刑事さん。ありがとう。これから、彼女に会えるかもしれない」



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