吸血鬼

著 : 秋山 恵

継承



 紗季は腹部の激しい痛みに目を白黒させ、仰向けに倒れた。

 その横で、若い男が拳銃を抜いて近付いて来るのが見える。全てがスローモーションのようにゆっくりと動いているように感じられ、思考も急速に回転しているのを自覚した。

 身体が全て覚えているかのような動きで、相手の脚を絡め取るようにして引っ張り上げる。相手はこちらが完全に無抵抗状態になっていると思い込んでいた為、虚を突かれて体勢を崩し、左半身を地面に打ち付けた。

 紗季は姿勢を低くしたまま近付き、銃を持つ腕を押さえて相手の顔を見た。僅かなタバコの臭いと、かなりの酒気が感じられる。

 腹部の痛みに耐え、利き腕に牙を突き立てる。行動として、あまりにも自然にそれが出てきた事に、紗季自身驚きを隠せなかった。

 弾は抜けているようだ。

 紗季は、相手の腕から漏れる血液を力いっぱい吸うと、腹部へ集中した。痛みはともかく、流血が収まるのを感じる。

 ニコチンとアルコールが混ざっているからだろうか、いつもの血液パックとは味が違う。新鮮なフルーツジュースに化学調味料でも混ぜたような、不思議な味がした。

 血を味わうと、相手の記憶が少し流れ込んでくるのが感じられた。

 牙を抜き、頭を少し離す。

「あなた、エレナさんを銃撃した人ね?」

 相手は倒れたまま黙って目を閉じている。もう、戦う気はないようだ。そう言えば、最初から殺気は感じなかった。元々戦うつもりはなかったのだろう。つい今さっきの行動は、本人の心の歪みによるものだろうかと推測された。

「・・・ああ、あの女の仲間だったか」

 返答があったのは数分程してからだった。静かに、力なく、まるで呟く様な返答だ。色々な事に疲れきった、老人のような喋り方だ。

「あの女、結局どうなったんだ?」

「それはこちらが聞きたい事なんだけど?」

 相手の目が開く。紗季をジッと見ると、何かを決めたような顔をして体を起そうとした。

「お前はそのまま暫く屈んでろ。新入りがヘマをして済まなかったな」

 元々は撃たせるつもりはなかったらしい。狙撃主の方へ何か懐中電灯のような物をを使って合図すると、拳銃をしまった。

 ただの人間だったら死んでいるところだ。何より、撃たれた後にトドメをさそうとしていたはずだ。まだ信用が出来ない。だが、吸血鬼の血のせいだろうか、気持ちは“肩がぶつかった程度”の相手として受け止めている。

 5分前後経った辺りで相手の顔がこちらを向いた。

「撤収させた。もう立っても良いぞ」

 恐る恐る立ち上がる。本人の“つもり”は血から読み取ったが、それでも騙まし討ちに警戒しなくてはならない。頭を隠し、狙撃主の居た方に対して横になるように立つ。本能がそう行動を促した。気持ちと、自然に出てくる行動とのギャップに少し戸惑う。

「お前、知らないのか?あの女の行方」

「戦いに出たっきり、帰って来ないんだもの。知る訳ないでしょ」

 血の繋がりを感じる事については触れない事にした。

 目の前の相手は、塞がりきった腕の傷痕を見ている。不思議そうな顔をしていた。紗季の方を見ようともせず、話は続いた。

「あの女は・・・」

 一瞬躊躇い、続ける。

「あの女は、教会の精鋭を全て再起不能にしてくれたよ。各国から選ばれた10人の精鋭達をだ」

 視線が初めて紗季の方へ向けられた。悔しさが感じられる。眉間に深く刻まれた筋がそれを物語っている。自分が殺されもせず、軽く遊ばれていたという認識への屈辱感や、本気で戦ったエレナの力を見る事すら出来なかった事への嫉妬感もあったろう。

「生き残った数人は口を揃えて言った。間違いなく“化け物”であると。どんな戦いをしたのか、どんな力を見せ付けられたのか、それについては皆震え、誰一人として答える事はなかったそうだ」

 定着した“吸血鬼”の血が、エレナの戦っている姿を脳裏に映し出す。紗季への危害が及ばないようにする為に。自分の娘のような存在を守る為に。感情がエレナを動かした。吸血鬼は感情が希薄になっているのではないか、自分の今と照らし合わせると疑問に感じたが、間違いなくその為に行動している。

「やっぱり、もう会う事は無いか・・・」

 目の前の相手はもう一度エレナに会いたいと、確かにそう願っている。まるで心が読めるように感じられた。血の繋がりがある紗季が本能的にそう願うのは分かる。だが、壮介にせよ目の前のこの者にせよ、どうしてそこまで惹かれているのだろうか。容姿が美しく、強く優しく、それだけで人を惹きつける事が出来るのか。

「エレナさんに会いたいの?会ってどうするの?」

 ポツポツと雨が降り始めた。にわか雨だろう。

「・・・さぁな」

 気だるそうな反応をして、遠くを見た。

 雨が降る時にする独特の香りが立ち込めている。

 雨は次第に音を立てて広がり、世界を包み込んだ。地面に染みた紗季の血が洗い流されていく。

 二人は、暫く雨の中無言で立った。立ち去る事も無く、会話する事も無く、静かに時間だけが流れていく。

 紗季は腹部の痛みが、また悪化してきていた。回復に用いる“血”が足りなくなってきている。これ以上使いすぎると理性を失うような予感があり、危険だと判った。

 起きてから飲んだ血液パック、1つを我慢するべきではなかったと後悔する。

 痛みで意識が飛び始めている。チカチカと星が飛ぶような感覚。三半規管がやられたような世界の回る感覚。水浸しの地面に膝をついた。

 異変に気が付いてこちらに近寄ってくる相手の姿を見ながら、紗季は視界がブラックアウトして意識を失った。



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