吸血鬼

著 : 秋山 恵

追跡



 エレナは紗季と向かい合ったまま、長い時間をかけて話をした。

 自分が吸血鬼である事、数百年生きている事、過去の苦悩、奪われた仲間たち。

 伝説に登場するような吸血鬼は殆ど偽りで描かれ、日光も十字架もニンニクも、吸血鬼に害のあるものではない。

 血を飲む事はあるが、それが原因で“吸血鬼”が感染して広がる事もないし、血を奪われた人間も吸血鬼自身が気を付けていれば貧血程度で済む。相手の傷口は能力の一つで治るし、瞳には催眠術の能力があるから被害者自身も気付く事はない。

 吸血鬼が染るのは、吸血鬼自身の“血”を分け与えた場合のみ。“体液全般”ではない。

 ウィルスではない為、消毒は効かない。ただし、長い時間体外に出ている血からは“吸血鬼”は蒸発するように消えてしまう。

 また、“吸血鬼”は科学的に見えるものではなく、吸血鬼の血液を顕微鏡で覗いても、何かが存在している訳でもない。

 血に対する欲望と、その抑え方についても説明した。

 欲求が強ければ強い程、もしくは、吸血時の興奮状態になると犬歯が伸びる。口を閉じっぱなしと言う訳にはいかないから、対処する必要はあった。

 長寿である事。説明が困難であったが、これも、ほぼ隠さず話した。エレナが知りうる限りでは、寿命で死んでいった吸血鬼達は見た事が無い。

 もしかすると、未来永劫死ぬ事は無いのかもしれない。それについてだけは伏せた。

 非現実的な話は、紗季には未だに理解が出来ない様子で、呆気に取られた顔をしていた。

「どこで入り込んだのか、あなたには私の血を感じる。普通なら、ある程度以上の私の血が必要なのにも関わらず。なぜあなたの中にあるのか、今は分からない」

 小さなテーブルなのに、お互いがとても遠く感じた。それは、達観した者と受け入れられない者の距離だろうか。

 エレナは、紗季へ“吸血鬼”が渡った過程を調べる事にした。

 相手の血を使い、その過程を調査する事が出来るのだ。

「血の“渡り”を追う事が出来るので、…私の目を見てくれる?」

 エレナは紗季の目の前に座った。

 顔を優しく抑え、目を合わせる。

 とても優しげで、吸い込まれるような蒼い瞳だった。

 甘美な感覚と、全身が痺れたような気持ち良さに満たされていく。

 エレナは、沙希の意識を支配したのを確認すると、ゆっくりと首の根元へ舌を這わせた。

 血管を確認すると、牙をめり込ませる。

 紗季の身体がビクンと弓なりに反った。

 エレナは最初の何秒かの間、傷口から流れ出す血を喉を鳴らすようにして飲んでいたが、我に返ると血を口に含み、味わった。

 僅かなイメージが、まるで霧のように脳裏に浮かんだ。

 何か小さな生き物を感じる。

 浮遊していた。

 子孫を反映する為に血を求めていた。何人か分からないが血を吸っている。その内の一人が紗季である事は間違いないだろう。

 イメージが一転して水の中に落ちた。

 汚れた水の中だ。

 逃げ込んだ下水トンネルを思い出した。

 蚊だ。

 冬でも暖かな下水トンネルで、羽化した蚊が地下鉄の駅に飛んで出たのだろう。

 蚊はその身が幼虫である時、エレナが流した血の中を泳ぎ、その“吸血鬼”を宿していた。

 蚊を通して感染する等、エレナは聞いたことが無かった。

 噛んでも感染のしようがない程だ。それと同じで、蚊を媒介にした程度では染らないと考えられてきたし、前例も無い。

 通常、仲間を作る際には、必ずある程度以上の“吸血鬼の血”が必要なのだ。

 エレナは紗季の首筋からゆっくりと口を離した。

 紗季はうっとりとした顔で遠くを見ている。

「紗季。終わったよ」

 紗季はうな垂れるように首を縦に振りながら、崩れるようにして横になり、酔い潰れたように目を閉じた。

 少し血を抜き過ぎたようだ。

 この状態で支配が解けると、面倒な事になるかもしれない。

 エレナは自分の手首を食い千切り、紗季に自分の血を与えた。


 紗季が目覚めると、エレナが優しい笑顔で迎えてくれた。

「何があったの?私、気絶してた?」

 エレナは首を縦に振った。

「ごめんなさい。調べるのに血をもらったから、何か身体に違いは感じる?」

「いいえ、分からない。少し浮いてるような感じもするけど…、私に何かしたの?」

「調べる時にあなたの血を貰いすぎてしまって、それで私の血を少し分けたわ。いずれ変化が感じられると思うけど…。今はまだ何も分からないかもしれないわね。後、あなたへどうやって渡ったか。蚊を媒介したみたい。普通なら有り得ない事なんだけど、条件が完全に一致すれば可能性はゼロではないから」

 紗季は、ゆっくり頷いた。


 大体の話が済んだ後、エレナはハンターについて話すべきかどうかを悩んだ。

 吸血鬼は血を求める。それは、教会の人間からすれば

「人間は食事をする」事と同じであり、絶対に変えられようの無い事実として認識されていた。

 実際、旧世代の吸血鬼は自制心を持とうとせず、それに間違いはなかっただろう。

 教会は、当然吸血鬼を完全に邪悪なものとして扱い、排除しようとした。

 “吸血鬼も元は同じ人間である”、世代を増やすごとにそう考える者も出てきて、血と狩りの節制に努め始めた。

 当たり前の事だったが、吸血鬼達が節制をしても、教会からの扱いは変わらなかった。

 吸血鬼は一方的に狩られ続けた。

 いつ頃からだったか、吸血鬼の大きな血筋の者達が集まるようになり、反撃に出るようになった。

 戦いは十年以上の間続いた。

 終結したのは四十年前の事だ。

 その時、吸血鬼の大きな血筋は、そのほとんどが教会のハンターに駆逐された。

 運良く逃れたエレナは生き延び、今に至っている。

 その後、エレナは一人になり、人間に紛れて生活するようになった。

 人間の生活に入ってから、何度か恋に落ちた。

 その度に相手を“仲間”にしたが、必ず死んだ。

 どのように発見されたのかは見当も付かなかったが、彼らは全てハンターの餌食になっていった。

 近年ハンターは数が減りつつも、優秀な者が増えている。それだけが要因では無いはずだが、若い吸血鬼は必ず殺される。そう考えていた。

 エレナは紗季を見た。

 同性から見ても可愛らしい。しかも、自分の血を分けた、エレナから見れば娘のようなものだ。

 どうにかして護りたいと思い、決心する。

 先日遭遇したハンターは、エレナのやり方には反するが、殺さなくてはならない。

 だが、相手は手練れである。長い間平和に暮らしてきたエレナには、勝ち目があるかの判断は出来なかった。

 紗季が少し不安そうな顔でこちらを見ていた。

「大丈夫。まずは慣れて。普通に生活出来るから」

 笑顔を見せると、優しく抱きしめた。



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