彼方からの脅威

著 : 中村 一朗

第一章


     a,事の起こり


 脅威は、遥か彼方の宇宙の深淵から迫って来ている。

 直径50キロの隕石が、光速の十分の一のスピードで直撃しつつあるのだ。

 時間は、あまりない。

 だから、急がなければならなかった。

 打つ手は、限られている。

 以前も、地球は似たような危機に幾度か遭遇してきたが、何とか回避できた。


 果して、今度は間に合うか…



     b,対応


「間に合うのでしょうか」

 旗艦シュバルツシュルトの中央指令室に立つ女性副司令ルナ・シークエンスは、複合3Dモニター群に目を向けたままつぶやいた。

 メインモニターは、冥王星軌道上に集結している大型戦闘艦艦隊を映し出していた。ただし、副司令ルナの視線は艦隊後方に牽引配置(サルベージング)された中央コア・ジェネレーターを収納する巨大輸送船の座標にある。彼女の眼球にセットされた内視界(イン・ビジョン)は、ジェネレーター内部の電磁モニターにリンクしていた。変動パラメータは多元線形グラフ情報に変換されて、彼女の内視界仮想スクリーン上に展開する。

「我々に選択の余地はないのだ。間に合わなければ、“バーサーカー”の直撃で地球が滅ぶ。人類は文明の基盤を失うことになる。」

 初老の総司令官バイガス・ホルンも、モニター群から目を離さぬまま答えた。

 その視線が捉えているモニターは、太陽系に接近してくる彗星軌道モデル。

 彗星のコードネームは、“バーサーカー”。

 それは12年前、海王星軌道に設置された試作品の亜空間レーダーにより発見された。光速の10分の1で移動するその彗星は、直径こそ50km程度ではあっても、みかけの質量は地球以上に強大なものである。そしてその彗星は15年後には太陽系に到達し、地球を直撃するコースをとると予測された。

 いくつもの歴史的事変を経てようやく圧倒的な軍事力を持つに至った地球連邦は、各国政府と巨大資本を強引に統合させて、この彗星対策に全力を挙げた。

 バイガスが見ているその彗星軌道は、地球文明終焉への道筋でもある。

 連邦軍は速やかに対策チームを立ち上げ、“バーサーカー”を破壊するプロジェクトを立ち上げた。しかし科学チームは直ぐに、超高速で宇宙空間を貫いてくる大質量の彗星を破壊するどころか、迎撃することさえ不可能と結論付けた。

 そして代わりに、二つの対策が採用された。

 ひとつは地球衝突を不可避のものと考えて、可能な限りの人々を“バーサーカー”の予想軌道外に構築するコロニーに移住させる箱舟計画。

 もう一つは、“バーサーカー”の予想軌道上に重力回廊を構築し、太陽系外に逸らすアグニ計画。そのために、冥王星の惑星核をエネルギー源にする。

 ただし、どちらの計画も多くの問題を抱えている。

 箱舟計画では、200億の人口の20%を救うのが精いっぱいとされている。そしてアグニ計画の成功率は、技術的問題から10%に満たないと試算された。

 それでもバーサーカーの発見から1年後、人類はその存亡をかけて、史上最大のこの二つのプロジェクトを同時発足させた。

 紆余曲折の試行錯誤の中、時は残酷に刻まれていった。

バーサーカー彗星の襲来まで、あと3年。

バイガスの内視界(イン・ビジョン)は、冥王星エネルギープラントの掘削作業を見つめている。特に、工程の遅れている16か所の作業ブロックについて。

 ルナはバイガスの内視界が捉えているパラメータを認識しながら口を開く。

「いえ、ひと月後の“アグニ”の起動試験のことです。地表プラントのコンバートリンケージが、予定期限までに地殻に到達しないのでは。搬送スケジュールからも、これ以上資材の消耗に拍車をかけるわけにはいきませんし」

 いつもながらのルナの事務的な口調が癇に障った。しかしバイガスは、他の誰よりも彼女の判断は正しいことを了知している。

「予定に変更は許されない。起動試験とは、政治的な表現だ。正確には絶対的第一ステップというべきなのだ。機材はなんとかする」

「最低でも、炉心縮退レンズのコアを早急に3セット。遅れの出てきているK工区とM工区のバックアップの可能性を考えれば、5セット必要です」

 バイガスの眉間のしわが少しだけ深くなる。

 縮退レンズは、掘削プラントのヘッドビットとして用いられる。コアの縮退炉から生み出される膨大な重力エネルギーは、ドリル前面に焦点を結んで、あらゆる物質を圧縮・消去する。

「核融合バッテリーでは代用できないか。それなら、明日にでも用意できる」

 ルナは小さく笑った。

「つまり、宇宙戦艦のレーザーバルカンを火縄銃で代用しろってことですか」

 バイガスも笑みを返す。

「そうだ。君は知っているか?20世紀に作られた原始的な核分裂型の原子力発電所は、水車を回して電気を起こしていた。つまりは、水力発電だった。核エネルギーで湯を沸かし、発生した蒸気圧でタービンを回して電気を作り出していたのだ。核エネルギーを直接電源に変換できるようになったのは、その百年以上後のことだよ。そして火縄銃が発明されてから500年ほどすると、古代人は40km先に狙いをつけられる列車砲を作り出している。列車砲は、言わば巨大化した火縄銃だ。彼らの知恵って、私はすごいと思うよ」

 ルナは大きくため息をついた。

「わかりました。臨時処置として有り合わせの核バッテリーで何とかします。しかし、とりあえず20基は用意していただかないと」

「わかっている。戦闘機と輸送船の動力源を外してでも数は揃えるよ。多少、不ぞろいだが。当面はそれで乗り切ってくれ」

「何とかします」

「開発局と工房のスタッフも文句を言うと思うが」

「ええ、恐らく。でも、たぶん大丈夫です」

 バイガスは、ため息をつくようにうなずいた。

「よろしくね。レンズ・コアのオーダーは余分に入れておく。起動試験には間に合わないかもしれんが」

「お願いします。ストックはいくらでも必要になりそうです」

「確かにね。ところで、保安局が君に用があるといっていたが?」

「例の破壊工作の件です。輸送艦によるプラント爆破未遂で捕獲されたテロリストから、妙な情報を手に入れたのだそうです。それで、保安局長から連絡を受けまして」

「シュミット大佐が?」

「はい。呼び出しを受けました」

「おやおや。今更、テロリスト騒ぎどころでは無かろう。原理主義のテロリストとて、“アグニ”プロジェクトの邪魔などすれば、人類は滅ぶということぐらい知っているだろうに」

「地球が消滅しても、人類が滅ぶとは限りません。全人口の20%は、箱舟計画によって地球外で生存圏を広げていきます」

「そうかな。地球を失っても文明を存続できるほど、人はまだ円熟していないと思うよ。まだ、地球から乳離れしていない幼子のようなものだ。故郷を失えば、20%の移民もやがて消えていく」

「見解の相違です」

 バイガスの頬が、キュッと歪んだ。

「まあ、そうかもね。ところで、そのテロリストの捕獲がなぜ君への呼び出しにつながるのだ?ひがんで言う訳じゃないが、どうして私ではないのかな?」

「なぜか、火星解放同盟の標的リストの筆頭に私の名が出ていたそうです。因みに、バイガス総司令官の名は108人のリストの後半だそうです」

 総司令官の顔に唖然とした表情が広がり、続いて破顔した。

「そりゃあ、お気の毒。優秀な警備兵(ガーディアン)でも手配しようか」

「背後霊みたいについてくるロボット犬など、テロリストよりも迷惑です」

 ルナは一礼すると、踵を返して部屋を出た。

 総司令官の大笑いは、扉が閉まるまで続いていた。



     c,テロリスト


 指令室を出たルナは、その足で保安局に向かった。

 保安局長室の前に立つと、認証シグナルの明滅とともに扉が開く。

 六メートル四方の殺風景な白い部屋には、デスクが一つ。

 その向こう側に大柄な男が一人座っていた。

「わざわざの御足労、ありがとうございます」

 保安局長のシュミット・マスク大佐は、機械的な声で入室したルナを迎えた。

 シュミットは、軍服の似合う年齢不詳の男性だった。薄い灰色のカラーグラスの下には、トカゲのような無表情な目が底光りしている。

 ルナは会釈を返して、シュミットの大型デスクの前におかれた椅子に座った。

 プロジェクトの最高指揮権を持つ司令本部は、組織的には保安局の上位に位置する。地球存亡の責任を担う関係上、司令本部の発言力は連邦の国家元首さえ従えることができる。ただし、司令本部が科学技術スタッフを中心に構成されている組織であることに対し、保安局の中枢は連邦軍に属する。

「まるで私が、局長から監査を受けるような感じですね」

 ルナは、この部屋とシュミットから受ける印象を率直な言葉に変えた。

「いいえ、幾つか質問にお答えいただきたいだけです。副司令に何らの容疑がかけられているわけではありません。ただ、お答えによっては、捕獲したテロリストの一人に会っていただくことになるかもしれません」

 ルナはシュミットの無表情な顔をじっと見た。

 感情の欠片も映らない双眸がルナを静かに見つめ返している。

「では、始めてください。できる限りの協力は致します」

 シュミットは小さくうなずいて、壁面のサイドモニターに視線を促した。

 モニターに映っているのは、中年男性のビデオ映像とスペックデータ。

 坊主頭のその男は拘束衣をまとい、険しい目をしている。

「パスカー・ヨルデ。先週、木星軌道上で捕獲されたテロリストです」

 シュミットの言葉に、ルナはうなずく。視線はヨルデのスペックを追っていく。同時にイン・ビジョンでは、モニターから“はみ出た”情報も検索していた。無論、シュミットがこれをトレースしていることも承知で。

「この男が、テロ組織の指導者?」

 疑惑を感じながらルナが呟いた。

「はい。火星解放同盟MRAのリーダー的存在です。ご覧の通り、強奪したシャトルをイオのバックアッププラントにぶつけようとしていました」

 バックアッププラントは、縮退レンズによって変換転送された亜空間質量を、特定座標に再圧縮積層させるための最重要施設だった。そのため、連邦軍の精鋭艦隊が鉄壁の防衛マトリックスを展開している。トップレベルの対テロ警戒に当たっている防衛艦隊の信条は、疑わしきものはすべて殲滅する、とある。

「成功するはずがない」

「はい。それで彼らは防衛マトリクスの最外殻で捕獲されました。その際の戦闘でこちらは駆逐艦一隻を大破させられましたが、ヨルデの部下たちは全員死亡。ヨルデだけが生き残りました」

「リーダー的存在本人が、無謀な自爆テロを仕掛けた、ってことかしら」

「事件経緯を表面的にたどれば、そういうことになります。MRAはすでに求心力を失っており、最後のテロを仕掛けたとするなら、頷けます。思えば、当然のことでしょう。現状での“アグニ”の否定は地球的自殺行為です」

 ルナの頬に歪んだ笑みが浮かぶ。

「MRA…。200年近く昔の亡霊ね。確か、火星戦争で独立自治を主張した原理主義の民兵組織だったと聞いています」

「ヨルデの言葉では、197年間ゆるぎなく受け継がれた行動原理は不退転のものだそうです。つまり、火星解放とは単に地球政府への隷属を拒絶するのみならず、惑星開発そのものに反対する思想的結社と考えたほうが良いのでしょう。その原理によれば、火星にとどまらず、人類によるあらゆる惑星開発は可及的速やかに中止されるべきとしています」

「その原理によれば、人類は地球に閉じこもって、死ね、ってことかしら?」

「端的に言えば。つまるところ、自然の摂理に従え…、と。そのせいか、箱舟計画には非難こそすれテロ攻撃は仕掛けていません。彼らのテロ行為は、もっぱらアグニ計画に対してだけです。それでも、資金を提供していた有力スポンサーたちも徐々に彼らを見捨てていきました。当然、多くの支援グルーブも離反したそうです。恐らく彼らのスポンサーたちは、引き上げた資金でコロニーへの移住チケットを購入するつもりだったのでしょう。そしてそのスポンサーたちは、ただちに“アグニ計画”など中止してその余力を“箱舟”の増産に振り向けるべきだと、今でも国連議会の水面下でロビー活動を続けています。そうすれば、人類人口の25%を確実に救う植民コロニーを各地に構築できる、と。40億人の救済可能人口は、50億になる、と言っています」

 ルナが大きくため息をつく。

「見捨てられる150億人のために祈る礼拝堂なんかも、そのコロニーの中にも作るんでしょうね。その分、助けられる人の数は少し減るかもしれない」

「なるほど、そうかもしれません」

「人類が科学技術を発展させて身を守ろうとするのも、自然の摂理と思うけど」

 保安局長は冷たい笑みを浮かべた。

「大丈夫。人類のほとんどが、副司令と同じ考えです。貧困層のみならず、有識者の多くは箱舟計画よりもアグニ計画を支持しています。少なくとも私たちも、そう考えている一人です。…と、考えてもよろしいですよね」

 シュミットの視線には、探るような光が浮かんでいる。

 ルナの視線は、モニター上からシュミットの顔に移動する。

「それが私への質問?私が、衰退するカルト思想の支持者か、否か」

 シュミットはゆっくりと首を横に振った。

 出来の悪い機械人形のようだ、とルナは思う。

「いいえ。まさか、そのような無意味なことをお尋ねするためにご足労戴くはずもありません。ところで副司令は、パスカー・ヨルデとの御面識は?」

 ルナは無感動なシュミットの左右の目を、三秒ずつじっと見た。

 そしてモニターに再び視線を向け、十秒間凝視した。

「ないと思います」

「十年前、二十年前までと、遡って記憶を探っていただいたとしましても?」

 そう言われる前からすでにルナは、イン・ビジョンに取り込んだヨルデの3D映像をエイジングソフトにかけて、現在から幼いころまでのヨルデの姿をモデル化していた。しかし結果は、同じ。

「やはり、ないと思います」

「そうですか。しかし、ヨルデは副司令を知っていると言っています。それが、副司令を標的リストの最上位に置いた理由である、と。それでも、お心当たりがありませんか?」

「連邦管理局と保安局のデータが正しいとするなら、私とヨルデが空間的に接触できたのは18年前からね。地球上では2456年3月から2460年9月までの四年半の間のようだけど。それ以外、ヨルデは火星に拠点を置き、私は職務で火星を訪れることはあっても、連邦の管理施設以外には赴いていない。セキュリティの関係で、連邦の技術管理施設はヨルデたち異端思想グループからの干渉は不可能よ」

「保安局でも、同じ見解です。副司令とヨルデが接触している可能性は、ご指摘の4年半の間だけです。その頃、ヨルデは姿かたちを変えていたのではないか、…と、私は考えているのですが。副司令が知っている誰かに…」

「逆に、当時の私の知人のひとりが、姿かたちを変えてMRAリーダーのヨルデになったと、考えてもいいのかしら」

「はい。その方が御不快ではないのなら」

「当時の私は、一介の学生です。テロリストに注目される筋などない。知り合いがやがてテロリストになったとする方が自然だと思っただけ」

「どちらでも、結構です。一応お伝えしておきますが、ヨルデには肉体整形の類の痕はありません。外科手術のみならず、DNA操作についても、です」

 ルナが少しうつむく。

 無表情なシュミットは視線を空間に泳がせてじっと待っている。

「当然だから仕方がないと思うけど、学生時代の私の知人たちのことも、保安局は調べたのでしょうね」

 シュルツはゆっくり首を傾げながら、人形のような笑みを浮かべた。

「プライバシーに立ち入るのは心苦しかったのですが、副司令の安全確保のためです。少なくとも彼らの中にも、ヨルデ関連の情報痕跡はありませんでした」

 恐らく数千人の規模でそれなりの走査がなされたのだろう、とルナは思った。

 そしてその大半が、ルナの記憶にない名を持つ者たちだろう、とも。

 四年半の間で、その殆どがただすれ違っただけの人々なのに。

「残念ね。私は親しい友人などいなかった。一般的な言葉にすれば、寂しい学生生活だったということかしら」

「ご謙遜を。副司令ルナ・シーケンス女史は、男女を問わず多くの学生たちから羨望の的だったと聞いています。教授陣さえ、その才能に舌を巻いた、…と」

「私は、第三者からの賛美や人間関係などに興味なんかなかった」

「やがて18年前、副司令は、100年は実用化不可能といわれていた亜空間レーダーのシステムコア設計のための基礎理論を構築することに成功します。“バーサーカー”の発見も、亜空間レーダーの発明によるものでしたね」

「私の功績ではなく、チームの功績よ」

「それも、ご謙遜。そしてバイガス・ホルン司令が、当時は地球連邦応用技術開発局局長でしたが、あなたをヘッドハントし、現在に至った」

「お陰様で。だから、ヨルデなんかと知り合う機会はないわよ」

「それでもヨルデは以前から副司令を知っていると言い、2年前突然、MRAの標的リストのトップにあなたを指定した…、ということなのですよ。ちなみに標的リストの対象者は、これまでに百名近くが殺害されてきました。特に3年前までは、トップリスト対象者は一年以内にことごとく暗殺されています」

「だから、何?狂信者のリーダーはすでに捕獲されていて、今のMRAはすっかり衰退しているのでしょう。少なくともここにいる限り、私が彼らのテロ攻撃で何らかの被害を受けるはずはないと思うけど」

「おっしゃる通り。でも、私は気になります」

 ルナは仰け反るように深呼吸をし、シュミットを見た。

 シュミットは虚空に視線を泳がせたまま。

「いったい、私にどうしろっていうの」

「ヨルデと面会していただきたい、…と思っています。ご都合のよろしい時に。ただ、副司令が多忙を理由に拒否なさるのなら、私はこちらの要望を取り下げます。最優先は、“アグニ”プロジェクトの遂行ですから…」

シュミットは、穏やかな視線をルナに向けつつ「副司令が、三十分程度の時間さえ惜しいとおっしゃるなら」と、続けた。

ルナは、吐き捨てるような二度目の深呼吸をした。

「わかった。三日後でしたら、二時間程度なら時間を割けると思います」

 シュミットは小さく頬をゆがめた。それが笑みなのかどうかは、ルナにも判別は困難だった。

「ありがとうございます。では三日後の午後に、ヨルデとの面会を予定いたします。冥王星空域までヨルデを連行するには、二日ほどかかりますので。無論、直接の面会ではありません。モニター越しです」

「了解」

 ぽつりとつぶやいて、ルナは部屋を後にした。



top