ラリー、やろうぜ! 第二章

著 : 中村 一朗

D.“クォーター7”プレ・スタート会場


『宇都宮スピードパーク』に到着したのは、午前8時15分。

 パドックには、40台ほどのラリー車が既に集っていた。

 オフィシャルの誘導にしたがって、順番に駐車する。

 参加者たちは、等間隔で並んだラリー車両の間を行き来している。

「なんか、“キャッシュラリー”とは全然雰囲気が違うな」

 服部の呟いた言葉に、僕もうなずいた。

 パドック全体に、独特の緊張感が漂っている。

「車が違うせいかも。傷だらけのヤツばかりだ」

 “キャッシュラリー”の時は、ワックスがけしてあるピカピカの車が多かった。

 Jリーグの一派の車を除いては。

 でもここでは、ボコボコボディのJリーグ車両の仲間みたいな車ばかりだ。

 フェンダーやボンネットが凹んでいるのは当たり前で、中には屋根まで凸凹の傷跡をさらしている車もある。

 きっと、ひっくり返ったことがあるんだ、と思った。

 さっきのコンビニに並んでいた車など、まだましな方かも。

「まるで、車のゾンビだぜ」

 服部のその言葉に僕も同意する。

 スポーツ競技会の雰囲気をアクション映画に例えるなら、ここのそれはホラー映画だ。

 それも、けだるい不安を煽る低予算のB級ホラー映画。

 僕と服部は“野良猫”から出て、まわりの“怪物たち”を見て歩いた。

 傷だらけの“怪物たち”は、二つ乃至は四つの補助ランプで武装している。

 子どもっぽい言い方だけど、喧嘩好きの巨大昆虫のような姿に見える。

 “怪物使い”たちも盗み見て歩いたが、知った顔は見当たらなかった。

 計算ラリーで知り合った誰かがいることを、密かに期待していたんだけど。

「おまえら。四谷さんの車買ったのか?」

 後ろから声をかけられて、僕らは慌てて振り返った。

 そこに、ラッキョウに目鼻をつけたような中年男が立っていた。

 薄毛頭の“ラッキョウ”は、赤いレーシングスーツを着ていた。

「はい。そうですけど…」

 不安そうな服部の声を無視して、僕は記憶の糸を手繰り寄せていた。

 見覚えのある顔と、聞き覚えのある声…。あれは、“キャッシュラリー”の時…

 そうだ、確か。

「確か、青田さんでしたっけ?」

 思い出した。

 “キャッシュラリー”で四谷先輩が鳥かごに閉じこめられた時に笑い転げていた奴らのひとりだ。チーム名は確か、『打倒!Jリーグ』だった。

 記憶にあるこの人の車は、ラリー車とは思えないくらいピカピカのランサー・エボ9。

「おっ。よく覚えていたじゃん。賢いじゃん」

 人を小ばかにしたような低い声で“ラッキョウ”がつぶやいた。

「はい。“キャッシュラリー”で四谷先輩があなたの首を絞めたとき、青田この野郎、って叫んでいたのを思い出しました」

 “ラッキョウ”の顔が見る見る歪んだ。

 拗ねた子どものような、愛嬌のある顔だった。

 あの時、鳥かごから脱出してしばらくしてから、四谷先輩は“ラッキョウ”の首を絞めて振り回していたのだ。後に、“青木”のせいで鳥かご事件が起きたのだ、と四谷先輩は言っていた。たぶん、本音冗談のような気分で。生意気な後輩をたしなめるように。

「嫌なこと、覚えてんじゃねえよ。で?今日は、四谷さんは?」

「後で来ます。松尾さんと一緒に、サービスで。第一ステージのスタート時間までには」

「今日は、下の子の授業参観日だそうです。朝のSSは、観に来ないそうです」

 服部が答えた後に、僕は余計なことを補足した。

 “ラッキョウ”は、

「フン!」と、鼻を鳴らした

 ここでの三本のジムカーナSSは、プレスタート。

 終了予定は午後1時。そこでいったん解散になり、競技車両は林道SSが予定されている尾道峠に移動して、レッキというコースの下見をすることになる。

 全開走行をするためのペースノート作成をすることになるのだ。

 そして草間ダムサイトの駐車場に再集合してラリー車検をもう一度受ける。

 本番の林道を走る第1ステージの1号車スタートは、午後6時01分だ。

「じゃあ、サービス頼めるかな」と、“ラッキョウ”がつぶやいた。

「Jリーグの方々と一緒ですけど、オレにはわかりません。直接、聞いてください」

 四谷先輩はJリーグのサービス隊長として来ることになっている。

 ついでに、僕らもお世話になる。

 つまり、Jリーグの面々と一緒に先輩からサービスを受けることになるのだ。

 ちなみに、サービスの晩御飯メニューは、“おでん定食”だそうだ。

 “ラッキョウ”は小刻みにうなずいて去っていった。

 やがて午前8時30分になる直前、見覚えのある車が会場に入ってきた。

 GDBインプレッサが一台に、Evo.5とEvo.9のランサー・エボが二台。

「J(ジジイ)リーグだ」と服部が口にした。

 廻りで話をしていた幾つかのグループが、そちらに目を向けている。

 どれも敵意の視線ではないものの、敬意などは全く感じられない。

「あいさつでも、しておく?」と、僕。

「そうだな。そういうとこ、うるさそうだし」

 3台はオフィシャルの誘導で駐車スペースに停車しているところだ。

 近づくと、インプレッサの運転席から森さんが降りてくるところだった。

 助手席からは、僕らよりも年上の痩せ型の女の人が降りてきた。

 確か、八神千鶴香さんと言う名前だったと思う。

 目つきが鋭い。

 水木しげる作品の“妖怪・砂かけ婆”を若返らせてほっそりさせたような印象。

 美人と言えば、美人なのかもしれないけど。

 四谷先輩から、噂で聞いたことがあった。

 “ラリー界じゃあ、有名な話。『気をつけよう。暗い夜道と、鶴ねえさん』”と。

 ただし、どういう意味なのかはいくら聞いても教えてくれなかった。

「おはようございます」

 僕らはまるで意識して声をそろえたように、同時に言った。

「おう!おはよう」と、森さん。

 “砂かけ姉さん”はニコリと微笑んだ。

 ランサー・エボ9の運転席から、上町さんがニヤッと笑って手を振った。

 閉めたままの窓越しに、小さな音で男声ボーカルが聞こえている。

 なにやらアナログサウンドのアニメソングらしい曲を聴いているようだが、恐らく古すぎの作品らしく、マニアの僕でも知らないヤツだった。

 ランサー・エボ5の村木さんは、窓越しにじろりとこちらを睨んだだけ。

 すぐに視線をそらして、サーキットの方に視線を向けた。

 僕はその視線を追って、サーキットに目を向けた。

 いつの間にか大勢のエントラントが、三角コーンの並んだその中を歩き回っている。

「慣熟(かんじゅく)歩行、始まってたんだ」

 僕と同じように首を廻らした服部が、同じシーンを見て呟いた。

 今回のジムカーナSSのコースは、工事現場にあるような25本ほどの三角コーンをこの広場に並べて、ひと筆書きのような指定ラインで走るレイアウトになっている。

 慣熟歩行は、その複雑なコースを足で歩いて確認すること。

 路面の状態やタイムアップのためのラインを探るために自分の足で確かめるのだそうだ。

 特にジムカーナは百分の1秒を競う競技だから、とても細かいコースチェックが必要になるらしい。

 でも今回のジムカーナSSでは、コンマ1秒単位の計測だそうだ。

「じゃあ、SSのコースが発表されてるってこと?」

 僕の問いに、服部が慌てたようにうなずいた。

「おまえら、受付は?」

 森さんの渋い声に、服部が首を横に振りながら。

「あっ、そう言えばもう八時半ですね」

 森さんがうなずき返し、ランサー・エボ9の運転席の窓を軽くノックした。

 窓が下がり、上町さんが首を出した。

 アナログサウンドが大きくなった。

「おい、行くぞ」

 森さんが吐き捨てるように言った。

「先に行ってください。この曲、終わってから行きます」

 森さんは、勝手にしろとでも言うように

「フンッ!」と喉を鳴らして歩き出した。その後から、“砂かけ姉さん”がついて行く。

「オレ等も行こうぜ」

 服部も胸を張るようにして歩き出した。

 僕は上町さんに話しかけた。

「あの…すみません。それ、何ていう曲ですか?」

「ああ、これ?『忍者部隊・月光』の主題歌だよ」

「アニメですよね」

「違う。実写のアクションドラマ。キミ、確か水谷君だっけ?」

「はい。よろしくお願いします」

 白髪頭の上町さんが、再びニヤリ。

 僕はその場を離れて受付に向かった。

 その時、ちらりと盗み見たランサー・エボ5の車内から村木さんは、まるで呪いをかける魔神のような怖い顔でじっとサーキットの様子を見ていた。


 受付を済ませて、僕らは“野良猫”に戻った。

 僕らのゼッケン番号は『16』番。Cクラス車両のブービー番号だ。

 僕は受け取った書類を車内で整理していて、服部がゼッケンやステッカーをボディの指定位置に貼っていた。ただし、ゼッケンは掌サイズで、小型の仮ゼッケン。

 ここでのSS三本が終了したら、仮ゼッケンだけ直ちにはがすように指示されている。

 夜のステージになるコースのコマ図も、夕方から始まる本コースのスタート会場で渡されるらしい。手元にあるコマ図は、ここのSSのコース図と、レッキ用のコマ図だけだ。

 準備を終えると、服部は落ち着かない様子で車検員が来るのを待っている。

 僕は車の中で、レッキ用のコマ図とにらめっこをしていた。

 そのうちに、オフィシャルの車検員たちが巡回してきた。

 そして、まあ当然だけど、ラリー車検は無事に終了した。

 車内で三本のジムカーナSSコースを検討する。

 どれも、小学校低学年で習う漢字を一筆書きにするようなレイアウト。

 早い話が、シンプルなコースレイアウトで間違えようがない簡単なものだ。

 僕がそう口にすると、

「いや、そうでもないんだぜ。走ってみると、思ったよりもずっと判らなくなるんだ」

 と、服部が珍しく慎重な態度でそう言った。

 SS1は広場を使う、

「四」の字に似たコースレイアウト。外周コースの二箇所で“島まわり”と呼ばれる360°ターンがある。SS2は、その逆走。SS3は、SS1のコースから外側のサーキットコースに進入し、そこを一周半する。

 距離は、SS1と2が、約1km。SS3は、約2.2kmある。

 単純そうに思えるが、コースレイアウトを見ていると不安になってきた。

 特に、妙に真剣な顔つきでレイアウト用紙を睨んでいる服部を同時に見ていると。

 やっぱり走行中に、何か指示を出したほうがいいんじゃないか。

 少なくとも、ネコの手程度には役に立つはずと自負して、ちょうど口を開きかけた時。

「おい、初心者。慣熟に行くぞ」

 そう声をかけられて顔を上げると、窓の外に“ラッキョウ”が立っていた。

 “ラッキョウ”の傍らには、ナビの萩野さんのニコニコ顔。『ドラえもん』の“のび太くん”を小太りにして大人にしたような、締りのない顔だった。

「あっ!はい」

 服部が車から飛び出しながら、すでに歩き出した“ラッキョウ”たちを追いかけた。

 僕も少しはなれて後に続いた。

「ジムカーナじゃあ、慣熟歩行が大事なんだぜ。コンマ01秒が勝負だからな」

「はい!」

「まず、ここだ。パイロンのどの辺りにクリッピングをとるかを決めとけよ」

「はい。ここは、二本目の奥のとこですよね」

「おっ!わかってるじゃん。ホイールベースの真ん中より後ろで内接するように…」

 クソ真面目な服部は、熱心に“ラッキョウ”からアドバイスを受けている。

 僕はその説教くさい話を、彼らの後ろで聞いていた。ただし、このポイントでの荷重移動がどうのとか、サイドブレーキを使うタイミングなどという話には全く興味がない。

 別に他意はないけれど、服部が全て任せろというんだから、やはりそうすることにする。

 今の僕は、ただ面白がってついていくだけの背後霊みたいなもの。

 それでも、肌寒い日差しの中、パイロンを置いたコースを歩き回っている行為自体がものめずらしく、その意味では、“ラッキョウ”の辻説法も心地よいBGMみたいに感じる。

 で、僕らとは裏腹にコース上では、真剣な面持ちの参加者たちが歩き回っている。

 大抵は、ドライバーとナビゲーターのチーム同士で。

 逆走もあるせいか、それぞれが好き勝手にコース全体に散らばっている様子。

 服部がジムカーナの練習会に参加したときは、整然と秩序だっていたようなことを言っていたけど。やっぱり、ラリーとは違うのかもしれない。

「おーっ。おまえら、ここに出てるの?」

 そう声をかけられて振り返ると、見覚えのある笑顔があった。

 “奥多摩のモーガン・フリーマン”こと、キャッシュラリーの大会委員長だった川田さんだった。今回、“フリーマン川田”さんは、ナビゲーターとして参戦している。

 その横には、周囲から“姉御”扱いの女性ドライバー大野紀美子さんがいた。長い手足と大きな目が印象的。今は堅気の看護師らしいけど、20年前までは武闘派の女暴走族チーム“ブラック・センチネル”の四代目リーダーをしていたという。

 車は、赤のランサー・エボ9。つまり、僕らのライバルチームだ。

「おはようございます。川田さんたちは、去年のリベンジだそうですね」

 僕は頭を下げながら挨拶した。

 前方で話に夢中になっている服部は気づかない。

 以前、四谷先輩から聞いた話。

 昨年のこのラリーで入賞争いをしていた姉御・フリーマン組は、尾道峠でガードレールをなぎ倒して10mほど転落したという。壊したガードレールは“姉御”が弁償したが、その時、新しいガードレールの裏側に密かに『紀』マークを記したのだそうだ。

 そして

「以後、誰も私のガードレールに触るな…」と宣言した。

 ちなみに、『紀』マーク入りのガードレールは関東一円で3本あるらしい。

「そうだぜ。あの時のリタイアをきっかけに、赤エボ・9はフル・オーバーホールだよ。去年どころか、新車の頃より今の戦闘力はずっと上がっている。気をつけろよー」

 川田さんは楽しそうに笑った。

 大野姉御は小さく微笑みながら、僕の目の奥をじっと見据えている。

 その大目玉の視線には、猛禽類の鋭さが備わっていた。

「あんた、…生意気なんだよ」と、優しい声で小さく呟いた。

 僕は、どう返していいのかわからなくて立ち止まった。

 “フリーマン”と“姉御”は、そんな僕の横を通り過ぎ、早足で服部たちも追い越して去っていった。その際、“ラッキョウ”が

「ようっ!お疲れ」と二人の背中に挨拶した。

 服部たちはフリーマン姉御組に追いつき、4人で歩き出した。

 僕は背後霊でいることが何となくバカバカしくなり、一人散歩気分で広場側のパイロンコースを歩き回ってから“野良猫”に引き返した。

 その時には服部たち四人は、まだサーキットコースの中ほどを歩いていた。

 途中、自分の車の中でおにぎりをほおばっている上町さんを見かけた。

 腕時計を見ると、一号車のスタート予定時間まで、もう20分もない。

 脇を通り過ぎようとしていた僕と目が合い、呑気そうに微笑んだ。

 僕が目礼して足を止めると、車の窓が開いた。

「あの、上町さんは、慣熟歩行に行かないんですか?」

「うん、行かない。朝は寒いから嫌なの」

「…え。それって、余裕ってことなんですね」

 さすがに、不遜なベテラン。慣熟歩行などしなくても、十分に勝てると思っているのだ。

「違う。寒い中を歩き回るくらいなら、5、6秒ぐらいなら負けてもいいと思うのさ」

「…はあ」

 僕はぺこりと頭を下げて、その場を後にした。

 この人は、どこまで本気なのだろうか。

 1秒で、5点。5秒負ければ、25点の差になるのに。

 コンマ01秒を削るために頑張る几帳面な“ラッキョウ青田”さんと、寒くてめんどくさいという理由で何秒負けてもかまわないと啖呵をきる怠け者の“忍者部隊・上町”さん。

 肌寒いサーキットコース内には、服部たちのずっと前方をゆっくり歩き回っている“魔神・村木”さんや“タオパイパイ森”さんたちの姿が眼に入った。

 あるいは上町さんは、慣熟歩行などしなくても勝てると思っているのかも。

 とにかく、もうすぐその答が出る。



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